さて、シェイクスピア遊声塾発表会の3回目の発表会、続いて私の個人遊読会と何とか終えることができた。ハラハラ、ドキドキ、ギリギリ感の中を、ようやく二日間走り抜けることができた。
何か素直にアクションを起こすと、痛い思いもするのですが、嫌でも自分自身とたち向かわないといけないので、 3年前無謀だとは思いつつも遊声塾を立ち上げてよかったとの思いに体が満たされている。
整理できないいろいろな思いに、いまは まだ身体がつつまれていて、雨上がりの曇り空がいい感じで、ささやかな庭を眺めながらブログを書いている。
昨日、若き日ロンドンで出会った以来の交友関係が持続できている親友が私の個人遊読に駆け付けてくれ、祝杯を共に挙げてくれた。今日もこれから竹韻庵でS氏と3人で会うことになっている。
私の妻や私の娘たちは、若き日私が演劇的世界に耽溺していたころを知らない。一度その世界から遠のいた私だが、還暦を過ぎ老春を生きるために気が付くと再び若き日の血潮の残滓が残っていて、33年ぶり、ささやかに妻や娘に見てもらいたいという気持ちがあり、まだ間に合うのではないかというのが私が個人遊読を決めた、大きな理由の一つである。
Uさん・貴女に逢えて感謝します |
社会人一年生の娘から(仕事の都合で遊読会を30分くらい見てくれた)ラインで、素敵だったよ、という言葉をいただいたのだが、親ばかの私はこの一言が一番うれしかった。妻も二日間きちんと見届けてくれたので、私にしかわからない喜びが押し寄せた。
塾生の発表会は、50人の方が来てくださり、9割は私の知らない人たちばかりでそれがとても新鮮だった。
昨日は20名の方が来てくださり、4名の方が新聞を見て来てくださったのがうれしかった。まったく私のことを知らない方たちも、意外に新鮮な反応をしてくださり、これからまた次に向かってゆける手ごたえやヒントを、なにやらほんわかといただきました。
カルチャー教室で、ともにシェイクスピアに読んでいる今年86歳になられる童女Uさんから生まれて初めて 素敵なバラの花束をいただいた。
今やUさんと私の関係は身内同然という感じに育ってきた。命が軽んじられ、絆やあらゆる言葉表現に、生命体の衰え、血が痩せ細っているのを私は感じる。
親子、友人、あらゆる関係性で社会は成り立つ。自分にとって大切な関係性をシェイクスピアを声に出しながら、乏しい才能ながらそれしかないのだから、その自分を耕しながら新しい他者との豊かな関係性を見つめてゆきたい。
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