人生で初めていただいた家族からの花束 |
34歳で現在の妻と出合い、家庭を持ち子供に恵まれ、私は私の青春に別れを告げ平凡に生きる道を選択した。
40歳で岡山に移住し、中世夢が原で主に企画者として21年間を充実して働くことができた。子供たちが育ち、私は定年を迎えた。
さあ、これから何をして晩年生活をと考えた時に、ただ漫然ととシェイクスピアを声に出して読む暮らしをしたいという思いが、忽然とだが熱くこみ上げてきた。それと同時に土に触れる暮らしを。
わけのわからぬ内なる情熱を根拠に、無謀だとはおもったが、シェイクスピア遊声塾なるものを立ち上げた。
あれから瞬く間に3年が過ぎ、昨年暮れ一人の素敵な女性の舞踏家に出会い、一緒に舞台をやろうというまったくもって予想をしない申し出を受けた。
生徒さんからいただいた花束 |
しばし躊躇したが、私はそのオファーを受けることにした。青春の終わり演劇的世界から足を洗った私が、なぜ再び減劇的世界に回帰したのか、主な理由は3つある、気がする。
一つは妻と娘たちは、企画者としての私しか知らず、私が青春時代どのようなことをやっていたのかまるで知らないので、一度舞台姿を見てもらいたいという煩悩が突き動かしたということ。
二つ目は今の私の暮らしで、家族的なまでに大切な仲間、シェイクスピア遊声塾の面々や数少ない山陽カルチャーの生徒さんに 私の舞台姿をみてもらいたいと思ったこと。
最後は、すぐれた才能の持ち主で稀な感性の持ち主であるSさんとの協働で、何か未知なる自分が現れるかもしれないという可能性にかけてみようとの思いがにわかに立ち上がってきたのである。
終えて今思うことはやってよかったという以外にない。充実した思いもかけない豊かな稽古時間と本番時間をすごすことができた、悔いなく金字塔的な私の夏となった。
正直、やはり33年のブランクは随所に顔を出したが、 この33年間の私の人生が決して無駄ではなかったことの証左も自分なりに確認できた。
ロバの夢に愚直なまでに真っ向勝負できたおかげで、また何やら遅まきながらも新しき可能性が自分の中に芽生えてきたような予感さえ今はしている。
ロバの夢が、ささやかに自分の中に新たな夢へのエネルギーを吹き込んでくれたような気がしている。人は何かと出会うことによって新たな自分と、出会うのは真実のように思える。
あの夜の自分には時折夢の化身が、33年ぶりにとりついていたかのような。ドリーム・オブ・パッション、夢への情熱はどこからやってくるのかは皆目謎だが、ヒトは集合的無意識に夢を見る。
ともあれ、この夏私はとてつもない夢を、一夜ルネスの空間と場で見ることができた、ような気がしている。そしてそのような夢は稀だからこそ素晴らしいのだと私には思える。
舞踏と語りの舞台は、今まで観たことがない世界 是非とも、行きたっかったです 今回は、再来週末にやるミュージカルの舞台稽古が重なって残念無念でした でも、きっと兄さんの次の夢もまたやってくるでしょう その際は、岡山の桃を頬張りながら鑑賞させていただきます いつも、楽しいブログを有難う ファイッとダス
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