ロバの夢が終わったら一度高松で飲もうと以前から約束していたのである。その約束がかない、ちょっと地軸を外した高松での男二人の飲み会は心から愉しく話も弾み、おいしいお酒となった。
I氏と出合ったのは1996年のこと、あれから20年の歳月が流れているが私と1氏の関係はまさに君子の交わりの、いい塩梅の幸運を今もキープすることができている。
その理由は私にもわからない。夫婦関係もそうだが長続きをする秘策などというものは、この世には存在しない気が私はする。
心からくつろげ、遠方まで何としても会(愛)いにゆきたいとおもう交友関係を築くのには、それ相応の時間の蓄積がやはり必要だと私には思える。
そのやうな朋が、現在両手くらい私には存在する。私は果報者である、と臆面もなく五十鈴川だよりに書いておきたい。
利害関係なく、ただあっていてくつろげる 友との一杯なんて、これぞまさに至福の時間というしかない。
暑さでぐったりしている相棒のメル |
だがそれもこれもお互いが、いまをしっかりと生きているという暗黙の阿吽の息が感じ取れる相手でないと、私の場合どうも長くはお付き合いがかなわない。もちろん相性もある。
やはり似たもの同士の匂いのようなものを私は感じてしまうのだが、裡に何かを抱えながらひたむきに生きている、男女とも私はそのようなタイプと相性があう。つつましくけなげな人に私は惹かれる。
私がひたむきであるといっているのではない、誤解なきよう。自分にはまったく持ち合わせていないような繊細な感覚のひたむきさが、私を引き付けるのだ。
そしてたまに会い、近況を語り合う。まるで小津安二郎の晩年フィルムがようだ。まさに人生の奥は微妙な味わいと共に深いとしか言いようがない。
一年でも長くこれらの友との語らいを持続するためにも、どのように生きてゆけばいいのかを、自問自答しながら、一日一日を大切に過ごしたいと思うのだ。
今これを書いている我が家の室内温度は34度、汗が流れるがクーラーはつけていない。時折網戸から涼やかな風が流れてくるから、何とか昨夜のI氏との玉響の幸福お酒タイムを五十鈴川だよりに
書くことができた。
アサヒビール管理職のI氏、慰労してくださいましてありがとうございました。ごちそうさまでした。この場を借りて感謝します。
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