おととい四国経由で帰省先の宮崎から帰ってきました。結果的に宮崎の姉の家で3泊し、海と五十鈴川で、少年時代とまったく同じ時間を過ごすというまたとない時間を過ごすことができた。
この数十年、私は故郷に帰っては精神と体をリフレッシュして区切りをつけながらの人生を歩んできた。今回もまたかろうじて最高の思い出というか、いい意味での一区切りの気分転換の里帰りができた。
人間の命の有限さの中での里帰り、もうこの先きっとこのような幸福感につつまれた里帰りはそうは叶わぬにしても、(でもまだまだ私は里帰りを続けます)なんだか今年はいろんなことが、ギリギリ間に在ったという、いろんな思い出が刻まれた私にとっては、もういうことがないくらいに良き思い出ができた里帰りの歳であったと思える。
そしてその現時点での幸福感は、これからを生きてゆく上で、限りなくどんなことがあっても希望をもって生き延びるのだという、エネルギーを垂らしてくれる予感が湧き上がってくる体のものなのである。
9歳上の姉の存在は私にとってとても大きい、姉との思いでは私の少年時代の良き思い出に彩られている。3歳で北朝鮮から引き揚げてきた姉はほとんど思い出せることがないというが、私には姉の受けた過酷な体験が彼女のなかに刻まれているのを感じる。
大陸生まれのあの天真爛漫さは、日本人にはないものだ。私は姉といると母なる大地といるようなおおらか気分になり安心して甘えられバカなことができるのである。
その姉と海で泳ぎ、川で泳ぎ魚釣りができたことは一生の思い出だ。その海と川に西大寺の母が同行してくれ、私がなぜこんなにも故郷回帰を繰り返すわけが分かったといってくれたことが、とてつもなく嬉しかった。
そんなこんなあまりに肉親との、おバカ文章をつづると、おつむが暑さでいかれたかと思われる向きもあるかもしれないのでここいらでやめる。
今年はまだあと4か月も残してはいるが、その残りも含めこの先もこのように健康であれば、きっとまたもや、後年節目の年として新たに刻まれるに違いない。
世はオリンピックでメディアは過熱している(私もたびたびそっと個人的には感動している)が、五十鈴川で私は静かなひと時をもて、お墓参りに3度通い、しみじみと故郷に帰れる肉体のいまに感謝したことである。
それにしても,故郷の私が泳ぎを覚え(人生で自力で何かをなした手ごたえを得た川)た五十鈴川の人気の少ない、そのあまりの素晴らしさ、変わらぬ美しさを私はただただ天に向かって感謝した。
このまま、ただただ流れてほしき五十鈴川、我は老いても、五十鈴川は流れる。ほんのわずかな時間であれ、この川で泳ぎたく、泳げる身体をキープしたいと思わずにはいられない。
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