明日から、私が宮崎の実家に帰省することのなっている。 同行するのは妻と妻の母との3人旅である。妻が思いもかけず長い休みが取れ、一緒にゆくといってくれたのである。
そんなら母も誘おうということで何度も誘ったら、ほとんど あきらめていたのだが一緒に行ってくれることになった。母が宮崎の実家にゆくのは初めてである。
こんなうれしいことはない、私にしかわからない喜び、私の両親の眠るお墓まいりに同行してくれるというのである。
ロバの夢といい、母の同行といい今年はまさに思いもかけないことが起こる年である。やはりきっと何かの節目ということがあるのではないかと思う。
もう一つうれしいことがある。この夏兄の娘に40歳で初めて子供がまれたのである。それも七夕の日に。そんなわけで兄夫婦はいまこの夏は兵庫県の娘のところにいて宮崎にはいないのだが、姉と次兄が私たちの帰りを待ってくれている。
母は83歳なのでおそらく今回が最初で最後の同行ということになるが、私が生まれた故郷をちょっとでも感じてもらえたら、もう私にはいうことは何もないのである。
お風呂場の風に抜けるところで自在なはな |
母の年齢もあるので、車で帰るのだが明日は山口で一泊し、宮崎には2泊、戻りは四国にわたり高知で一泊の予定の、思わぬ母との4泊5日の旅となる。
このようなことはめったにないから、やはり素晴らしいのではないかという気が私はするのである。
あの母、どこにもあまりゆきたがらない母がゆくといってくれたことに関して正直私は驚いているが、私としてはうれしいの一言である。
妻も母も水着を用意してくれていて、何やら子供に還ったかのような、修学旅行前夜のような塩梅なのである。
さてどのような旅になることやら、貴重な旅なのだから、あまり写真を撮らない私だが、今回はきちんと写真を撮ってこようと 思っている。
というわけで、最近とんとブログを書かない私ですが、次回のブログは宮崎から帰ってからにならるかと思います。
まったくのアナログ男が、時折ブログを書くときだけデジタルに頼るそんな昭和男子の五十鈴川だよりなのです。
話は変わりロバの夢に来ていただいた方に、暑中お見舞いを書かせていただいたのですが、やはり私は文字を書いたり、声を出したり、土にまみれたりするのが自分らしいとあらためて感じております。要はバーチャルであれリアルであれ、その人らしく流れてゆくのが一番いいのではと私は思うのです。(人間の体は血が流れているのです)
母はもちろん典型的アナログ昭和人ですが、デジタル人が逆立ちしてもできないようなことがきちんとできる人です。そのような母に刺激を受けます。何が人間にとって素晴らしいことなのかを私は乏しい頭で考えたく思うのです。
私という存在は、命はどこから来ているのか、そしてどこへ向かって流れてゆくのか、年に数回お墓参りをし両親と話をし、五十鈴川のほとりで沈思黙考しないと、どこへ流されてゆくのか私は不安を覚えます。
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