20日午後倉本聰先生の講演会を聴いて先生にご挨拶し、車で岡山を発ち高速をひた走り、何回か休み、別府に11時過ぎ着き、さすがにくたびれたので、車が休めるインターで5時間近く寝て(妻が考案した布団に完全に足を延ばし寝袋で熟睡できた)起きて2時間ほど運転し、兄の家に8時前には着いた。
(別府から峠を超え、北川の流れと北浦の海が目に入ると、故郷に帰ってきたという不思議な安ど感にいまだ私はつつまれる、高速を降り早朝の北浦の砂浜で 少し休んだ、来年は北浦の海で泳ぎたいと思っている)
さてその日、21日、少し休んで今にも雨が降りそうな中、兄と二人お墓にゆき、40年ぶり、屋根付きのお墓の主に屋根を含めた、たまりにたまった苔を、二人して3種類大中小の、金のブラシで4時間近くごしごしと辛抱強く、磨きに磨いた。
時間が経つにつれて、膨大な量の苔が(特に光の当たらない北側部分と裏側)とれ、大変ではあるのだが、はかどり始めると、二人して夢中になってバカなことを言い合いながらの作業を楽しんだ。
お昼近くから小雨が降ってきた中、切りのいいところで作業を中止、兄が水圧のかかる散水用のホースを家に取りに帰り、ブラシで磨き上げた部分に水をかけ、洗うと、見違えるほどきれいになったお墓が姿を現した。
途中、次兄もやってきて中高年兄弟トリオでの、力併せての、まさにつもりに積もったちりや苔を、お祓いする、 めったにはできない儀式をすることができたことを、なにはともあれ、きちんとできた喜びを五十鈴川だよりに書いておきたい。
よく22日、朝食後再びお墓へ。長兄と二人やり残した部分を仕上げるために、2時間近く昨日の続き、快晴に恵まれ、朝日を浴びた掃除の行き届いたお墓は、塗装がはがれていても喜んでいるかのように思えた。
これで来年春、暖かくなったら塗装も兄弟で力を合わせて、何とか仕上げたいと思っている。今回の帰省は、お墓掃除が目的だったので、その願いは満願成就となった。
21日の夜は、兄夫婦が私を鮎やな料理(延岡の五ヶ瀬川のやな場での炭火焼)、22日夜は姉夫婦がお寿司でもてなしてくれた。
また、22日昼はまたも兄夫婦に、おいしい中華料理をご馳走になったのち、わが山野の素朴な紅葉が美しい五十鈴川のほとりをドライブに連れて行ってくれた。
23日早朝出発前には、姉夫婦が私をへーべーず(柑橘類のスダチの大きいの)取りにつれて行ってくれ、たくさん車に積んで持ち帰ることができた。
今回門川には、2泊3日のちょっとあわただしいお墓掃除の帰省旅、毎回帰省の度に、兄も姉も私も歳を重ね、人生の晩秋がいよいよ近づいてきつつあることが、ようやくにして少し実感できる旅となった。
わが兄弟も戦後を何とか生き延び、おのおの歳を重ね、いい感じで再会できる今を、私はことのほか在り難く受け止めている。
これからも年に数回、そして毎回これが最後になるかもしれないという感覚を大切にして、一期一会の帰省旅を可能な限りつづけ、祖先に対して感謝の想いを馳せたいと思う。
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