この数年毎年書いているかもしれないが、おそらく私が元気で五十鈴川だよりをかける間は、厚かましくも何度も書き続けるような気がする。
そして年を重ねるにつれ、その書き方は面の皮が厚くなってゆくような気がするので、ちょっと我ながら恐ろしい気もしないでもないが、とうに還暦を過ぎているのだから、無礼講でゆこうと思っている。
というのは、今日は29回目の結婚記念日であり、知り合って30年目になるので、やはり私としてはなにがしかの個人的な感慨が秋空のもと生まれてくるのである。
人生にもし、あの時ということがなければとか、 人はまるで異なる人生を歩んだりすることはままあることだと思うが、まさに一人の女性との出会いがあったからこそ、いまの私は生きながら得ることができて、このように五十鈴川だよりを書ける好運に思いをはせてしまうのである。
一人の女性と出合い、あれから29年、結婚し子供に恵まれ、その子供が巣立って行き、またもや晩年夫婦二人の暮らしを始めつつある人生の今。
下の娘がまだ同居しているが、時間の問題で夫婦二人の暮らしがやってくる。これからあと何年共に暮らせるのかは神のみぞ知るということになる、が、いつも書いていることだが、そのような不確かな先のことに私は重きを置いていない。
それよりも今、今日という一日をきちんと過ごせることに、なにがしかの感謝を寿ぎながらの積み重ねを楽しみたいと思わずにはいられないのである。
話は変わる。おとといの土曜日、午前中母と妻の3人で近所のとある方のおうちに、西条柿の収穫にゆき、その日の午後から皮を向けるように母と準備し、昨日一日朝から夕方までかかって吊るし柿を、おおよそ20列以上干すことができた。
おそらく今までで一番多くの吊るし柿を干すことができた。母の思わぬご縁で大量の柿をいただくことになったのだが、実は今年はもう干し柿を作ることはよそうかとも思っていたのだが、意外な展開の成り行きとなり、結果とてもよかった。
畑仕事もそうだが、陽だまりで柿をむいている母はことのほか嬉しそうなのである。そのような母を見ているともちろん私もうれしくなる。バカなことを言い合いながら皮をむいていると、下の娘が私も手伝うと思いもかけない展開、おかげで予想よりずっと早く吊るすことができた。
母、私たち夫婦、そして孫3世代による結婚記念日前日の、我が家の干し柿づくりは、秋日和にこれ以上はない、穏やかな記憶に残る一日となった。
剥いたばかりの柿が、秋の陽光に映える様に、娘が秋の風物詩だねといい、姉と怜君にラインで写真を送っていた。
可能な限り、母が元気な間は3世代での干し柿作りは我が家のささやかな、結婚記念日イベントにしようと心に決めた。
夕方母を送っていったのだが、84歳の母曰く、役に立つ間はできる限りのことはするから、またなんなりといってくださいといわれた。その一言にいうに言われぬ感情がこみ上げた。
これ以上野暮なことを私は書きたくはない。平和とはまさに千差万別、それぞれが日々の暮らしの中で紡いでゆくほかに 、今のところ私には方法がない。
【写真がありませんが、想像力で補っていただけると心からうれしく思います】
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