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2016-10-10

シネマクレールでルキノ・ビスコンティ監督作品【山猫】を見る。

一昨日に続き二日連続で映画を見た。こんなことはこの十数年で初めてではないかという気がする。

それも妻と二人でというのが珍しいことなのだが、そのことをブログで書きたいのではなく、昨日観た映画のことをほんの少し書きたいのである。

私が昨日観た映画というのは 、シネマクレールで朝一回しか上映されない【ルキノ・ヴィスコンティ監督の山猫】という1963年の作品。私が11歳の時に創られた映画である。

私はこの作品を1981年、東京の岩波ホールでたまたま29歳(その時のパンフレットを探したら在った)の時に見ている。可能なら大画面でもう一度見たいと思っていた念願の作品だったからである。

今回のフィルムはもちろんデジタル化されているが、私が観たのはデジタル化される前のフィルム作品である。

バートランカスター、(同監督の家族の肖像の老教授も素晴らしかった)クラウディアカルディナ―レ,アランドロン 、が歳を重ねないでスクリーンの中で息づいていた。歳を重ねたのは私だけである。

強烈な印象を残したシーンが数々出てきた。まさに歴史が塗り替わる激動の時代が荒涼としたシチリアを舞台に描かれる。

内容をくどくどと書くことは控える。関心のある方はDVDかシネマクレールで14日まで上映されているのでご覧になったらいいと思う。

私はルキノヴィスコンティ監督のことは深くは知らないのだが、名門貴族階級の出身でオペラの演出家として有名な方であり、私が影響を受けたフランコゼフィレッリ監督もオペラの演出家であり、ヴィスコンティ監督の弟子筋にあたると読んだことがある。

いずれにせよ、私は青春時代、フェリーニ、デシーカ、 ピエトロジェルミ、エルマンノオルミ、(先日観た森はよみがえる、素晴らしかった)などのそうそうたるリアリズム映画の名匠監督たちの名作を多数観ることができたことを幸せに思う。

話を山猫に戻す、遠い異国の時代も環境もまるで異なるフィルムであるにもかかわらず、なぜこうも心の奥底に響いてくるのか、私にもよくはわからない、が滅びゆくものへの哀切感が、バートランカスターの名演技と相まって、64歳の私にシーンと伝わる。

29歳のときとはまったく違って、あらためてこの作品の奥深さに打たれ、35年ぶりに観ることが叶い、名作とはこういう作品をいうのではないかと私はあらためて感じ入った。

あの時代、当時の人々の生活、貴族階級の暮らしぶり、絢爛豪華というしかにない大舞踏会、細部に眼の行き届いた、的確極まる長時間の細やかな演出(内的心理をあぶりだす)は、ルキノ・ヴィスコンティ監督をおいてほか誰に演出できようか。

いつの時代も苦悩を抱えたまま、なすすべなく運命を受け入れた数多くの、まさに人間らしく生きた人たちの内面を、このように作品化してくれる 大きな映画人ルキノ・ヴィスコンティ、真の芸術家だと思う。

時代を超えて胸を打つ作品を、設備の整ったシネマクレールできちんと観ることの悦楽を堪能した。

これほどの作品を、1800円で観ることができるのだ。まさに映画ほどピンからキリまでが一律料金というのは、私にとっては有難いというほかはない。



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