昨日はロバの夢の稽古があった。これを終えるまでは、しばしロバの夢を芯にして私の生活は組み立てられてゆくことになる。2時間から3時間の稽古、くたくたになるが充実した疲労感である。
何しろ33年ぶりの舞踏と劇言語による舞台作品である。私がこれまでの人生では経験したことがない世界に挑んでいるので、はなはだもって不安は大きい、だがこの不安は希望の持てる、絶対矛盾的やりがいのある不安なのである。
母が育てた見事な百合の花 |
不安を打ち消すためには、稽古するしかないのである。64歳の今やれることをわが体でジャンプする。(きっと33年後はないのだから)
我ながら何をやっているのだろうと、四苦八苦の体をさらしての稽古場だ。
一時間程度の舞台作品の私の言葉の部分は15分程度あるか無いかなのだが、セリフを記憶し役の台詞に血を通わせるのは至難である。
とまあ、ここまで書いてきてこれ以上ロバの夢に関して書くのは控えることにする。ただただ現在の自分のあるがままをさらし、稽古を積み重ねたい。
ところで、にわかに集ったロバの夢チームはみんなほとんどがボランティアによるスタッフである。チラシもチケットもまだできていない、きっとこの分では今月の中旬くらいになるはずである。
このチームの一員として、出演するものとして何とか満員にするべく私はささやかに微力を全力でするつもりだ。
何とか50枚のチケットをさばきたく思っている。前売り2千円ですので、この場を借りて是非チケットを買ってくださいと、五十鈴川だよりで書かずにはいられない私である。
今のところ、妻と娘が買うといってくれている。チケットができたら一日一枚の気持ちで久しぶり行商に 出かけるつもりでいる。
ネギを売りにゆくのも、チケットを売りにゆくのも私の中では、何かが基本的には同じような通底するものがあるのだ。
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