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2020-12-31

2020年大晦日の朝に想う。

 大晦日である。さんさんと陽光がわが部屋に差し込んでいる。静けさがあたりを支配し、穏やかさに我が身がつつまれる。正直、この一年を振り返る余裕は今のところ私にはない。

何といってもいまだ、終息の気配の見えないコロナウイルスに、まさに人類が右往左往し続けている、ウイルス には大晦日も関係ない、だからなのだろう。こんなにも形容しがたい大晦日の気分はまさに初めてである。だが老いつつもこの初めて感じる感覚を大事にしたい。

誤解を恐れずに書くが、心からの終息を願いながらも、きわめて個人的には、またとない静かに考え続ける時間が持てたことに関しては、私にはよかったという思いも否定できない。

とにもかくにも身近な方以外とのコンタクトを避け、静かなる生活を心がけたことで、今のところコロナウイルスに感染することもなく、大晦日を無事に健康に迎えられて、このように五十鈴川だよりを綴れることができる、生きていることへの感謝である。

よしんばコロナ渦騒動がなくとも、この年齢ともなると、つつがなく健康に一年暮らせただけでも私には大いなる感謝なのだが、はじめてのコロナ渦中生活を何とか大みそかまで、それなりの充実感をもって生活できたことへの感謝の念はひとしおである。

そもそもヒトはひとりでは生きられず、誰かに迷惑をかけ誰かに頼らないと生きられない存在だが 、限りなく自力的に、つつがないつましいながら生活が送れたこと、家族や身近な方が生活できコロナに感染しなかったことは、慶賀の至りである。

想像を絶するコロナ渦中生活を、送らざるを得ない人たちのことを想像すると沈黙するしかない。コロナウイルスの行く末は、いまだ変異し続けようとしてわからない。不安を抱えたまま大晦日を過ごし、新しい年を迎えるしかほかに方法はない。

だがいたずらに不安を抱えても致し方ない。医療関係者はじめ、多くの心ある方々が懸命にウイルスとたたかっておられる。個人個人が節度をもって生き延びる方策を考え、行動実践するしか今のところない。特に私のような前期高齢者は考えて行動しないといけないと自戒する。

話を変えるが、世の中に出て半世紀、動くことで生き延びてきた私がこんなにも静かな生活ができるとは思いもしなかった。人間は状況によってかくも変わる、ことができるのだということを、またしても教えられた。

だが、行動範囲が狭くなり、ヒトには極端に会わなくなったが、この一年の肉体労働をはじめ、(声を出すことは少なくなったが)弓ほか、体を動かしながら考えるという基本生活、コロナ以前からやっていたことはほとんど変わらなくやれた。この一年の大きな変化は、土に親しみ作物を育て、天界地面との対話時間が増えたことが大きい。

風の歌を聴け、もさることながら、雨のしずく、光、土の匂い、芽吹きの妙、枯れた落ち葉の美しさ、やがて根に帰り、新たな生命となる。大いなる命の循環。土の声を聴けである。

命はどこから来て、どこへ向かうのか。今を生きる居場所で最も大切なもの、大事な人たちの存在への感謝の気づき。コロナ渦中生活は、老いゆく我が身に、手の届く範囲の居場所、足元を磨き耕すことの重さを知らしめる。


2020-12-29

コロナ渦中生活、終息するまで原点に回帰する生活のあれやこれやを、妻と二人できる範囲で実践する。そのことに思いを巡らす。

昨日、 長年できなかった衣類の整理整頓、自分の衣類なのだから妻の指示提案に従いながら、自力で何とかすっきり手わけをすることができた。娘たちが使っていた2階のリヴィングの次に広い部屋の収納スペースに、すべての衣類が手わけされおさまった。手の届く範囲ですぐに着かえ が春夏秋冬、生活できるようになった。すっきりと落ち着いて気持ちが実にいい。

寝室も兼ねている二階のこの部屋でほとんどの時間を、(運動のため布団を必ず折りたたむようにしている。ベッドはおかない)この部屋で過ごすことが一番多い。東南と西に窓があり、冬でも日差しが明るく差し込み、五十鈴川だよりは今冬の陽ざしの力をいただきながら書いている。

さて、父親の残した丹前を羽織り暖房なしで、一文を綴っている。少し寒さを感じるがやせ我慢、強がりとやせ我慢が私のこれまでの人生を支えてきたのだし、近代化以前は当たり前だが暖を取るといったら、炭を熾しての囲炉裏こたつくらいしか なかったし、12歳くらいまで手がかじかみ、毛糸の手袋や分厚い靴下などそれまで無縁だったので、意地のやせ我慢的な性格が育まれたのに違いない。その幼少期の記憶が今の私の原点、それが私を支えている。

耐える、自分との闘い。天邪鬼的な被虐的(たいしたことはないのだが)性向がゆっくりと育まれたのだろう。だが先人たちの書物をひも解くと、可愛いものである。

単なるやせ我慢にすぎないが、冷暖房設備が満たされていると、頭が回らずささやかな一文がつづれない。(本質的には私は怠惰で横着な性格なのである)

皮肉にもインターネットが知らしめる、あまりの富むものと貧しきものとの格差の広がり。なんとも不条理、理不尽な世の中の経済構造とその不可解さを、中村哲先生はじめ、心ある人たちが命を賭して伝えてくださったことに対して何をしたらいいのかを考える。

 コロナウイルス、鳥インフルエンザ、口蹄疫、狂牛病、トンコレラ、等々のウイルスが猛威を振るう現実は、一体全体人類をどこに向かわせルのであろうか。

文章に脈絡がないが、劣悪な環境の中での底辺生活、寒さと風の中生きざるを得ないおびただしい人々、酷薄な環境に置かれている人々のことを、老いゆく身体で想像する。拙文をひねり出すには、手先をこすり合わせ押し競まんじゅうをしながら寒さに耐えた、あのころの自分を思い出す。

なんと今の自分の暮らしの満たされていることか。幼少期から少年期までの食卓の記憶を鑑みれば、今の食卓は比較にならない。ありがたい。足りないということは、想像力を育み、知恵を育み、感謝の念が育つように思える。

私は出口の見えないコロナ渦中生活、以前にもましてシンプル質素、幼少年期回帰つつましやか生活を実践するように心かけている。

亡くなられた野坂昭如さん他の方々の戦後の飢餓体験は壮絶である。戦場で人肉を食べざるを得なかったところまで、追いつめられた記録他、お正月を前に書くのは控えるが、非常事態、食物がなくなったら、人間は野獣に帰り鬼畜化する。私だってわからないのだ。

だから私は、食べ物を心からいただきますという感覚を取り戻さないとまずいと、コロナ渦中生活で心から思っている。コロナは私にいわば原点生活回帰を喚起させる。

話変わるが。春から晩秋まで育てたわずかな菜園場の野菜(ピーマン・なす・トマト・ジャガイモ、サツマイモ、おくら、シシトウ、枝豆)を、こんなにもいただいたことは初めてである。とくにぴーまん、わずか3本の苗で半年以上を食べ続けても足りたこと、スーパーで買う必要がなかったことに驚いた。

コロナ渦中生活いつまで続くのか 。特に都市部に住む人たちの不安は、想像に余りある。これでロックダウン、非常事態、が続いたりしたらパニック化することもありうるかもしれない。最悪の事態、SFが現実化する。スーパーマーケットから食い物が消えない日を祈るほかはない。頻繁に報道される他国の目をおおう映像現実は、対岸の火事とはとても思えない。

杞憂に終わってほしいが、もう見て見ぬふりする時代ではないという認識 は深まる。が浮き足立ってはならない、月を眺め花を眺め朝日を浴び、静かなる日々を送るしかない、楽観的に。

できるだけ明るい話題を書きたいが、私自身の生活にも非常事態が起きることの可能性はあるのだ。だから安易な移動、ヒトとの接触は避ける生活を心がけ、くいものを先ずは育てることをもっと学びたく思う年の瀬である。

 

2020-12-27

妻と二人きりの一年のコロナ渦中生活、いつもと異なる年の瀬を気分一新楽しむ。

 妻と二人きりの年の瀬を過ごしている、というか今年はずっとほとんどの日々を妻と過ごしている。コロナのおかげというか、コロナのために否応なくなのだが、このようなことは以前も書いた気がするが結婚して以来初めてである。

妻と出合ったのは34歳なので、妻は私の演劇熱中時代のことはほとんど知らない。だから上京後のそれまでの私のことを、彼女 はほとんど知らない。(私の友人たちからその後少しは聞かされて知っている程度だ)

昨日の出口さんのことを少し書いたことで、私の青春時代のさまざまの一部をはじめて知ったと、妻はわたしに語った。男と女が出会い、仲良くなって共に暮らしても、お互いがお互いを理解するなんてことは、不可能だと私は想って居る。(何十年連れ添っても、妻は変化し私も変化移ろう、だから新鮮に暮らせる)。

またそのようなことのこまごまを、いちいち言葉にすることなどはまるで無理だし、私には興味がない。ただいえることは出会って35年近くなるが、もしコロナ渦が出来しなかったら、このように長い夫婦 二人きりの時間を過ごすことはなかったかもしれないと思うと、まさに怪我の功名、再確認、再認識、人生とは奇妙奇天烈というほかはない。

縁あって何十年も連れ添う生活の中で、夫婦というものの味わいの奥深さのようなものを コロナ渦中生活で私は(臆面もなく書くが)いま感じている、意外性、伴に居て面白いのである。

今年は娘たち家族が帰省してこないので 、二人きりの年の瀬お正月となるし、極めてつつましいお祝にとどめるつもりなので、時間に余裕があり、二人しての10日間のお休みを、昨日から家の中の整理整頓に、二人して時間を決めて一日に数時間充てることにした。

昨日の初日だけでも、ずいぶんと部屋がすっきりしてきた。部屋の細部のいちいちにアイデアが湧いてきて尽きない。私の部屋のカーテンの色も変わった。部屋の雰囲気が変わるとやはり楽しい。妻は私にとっては異能の人、私のような社会生活にうまく溶け込めない粗忽者を、社会生活ができるようにしてくれた、再び臆面もなく書くが、いわば恩人なのである。ややもすると息がつまりそうな生活の風通しをつまは変えてくれる。かけがえがない。

もう古希もまじかなので、今後は娘たち家族にも書ける範囲での私のお恥ずかしき人生は折々書いておきたいとの思いである。一言でいえば冷静沈着、私が不得手なことが善部こなせる人なのだということが、生活を共にすることで、徐々に徐々に私にはッきりとわかってきたのである。

妻とは直観的に結ばれ、ようとして未知の知れなかったことが判然としてくる。幼少期、少年期、青年期、ほとんど人に褒められたことのない私だが、昨日書いたが、出口さんに褒められ、上京後30歳目前にして、ようやく自信のようなものが、かすかに芽生え始め 、富良野塾を経て、ずいぶん遠回りをしたのちゼロから人生をやり直そうとした極みに巡り合えた。

出会ってから妻は私の存在そのものを肯定し、ほめ、金銭的にも全面的にバックアップ、応援してくれた、人生で最初の人である。だから私は頭が上がらない。

妻と巡り合い、玉のような娘たちに恵まれ、仕事に恵まれ、180度私の人生は変わった、といえる。なんびとも、蜘蛛の糸のような危うさを抱えながら、綱渡りのように歩むしかほうはないと思う。

私の場合は振り返るとだが、安易な途を(若気の至りとは言え)今となっては選ばなかったことで妻と出会えた。


 

 

2020-12-25

40数年にわたって、劇団シェイクスピアシアターを主宰された出口典雄さんの訃報に接し想う朝。

 昨日で体動かしアルバイトを無事に終えることができた。今年もあとわずかになり、一年を振り返るのは大晦日にしたいと思う。

さて、30代に向かって人生の進路の岐路に立たされていたころ、20代の終わりの3年間所属し、蕁麻疹が出るまで鍛えられた、劇団シェイクスピアシアターを主催してこられた出口典雄さんが亡くなった。一報を友人からもらって知った。感慨無量である。

高校生の時に見た映画が私のシェイクスピアとの出会いだが、上京し、昼はアルバイト夜は演劇学校の二重生活を送っていたある日、二十歳の時に千駄ヶ谷の日本青年館で観た文学座の【十二夜】の演出が出口典雄さんだった。映画はゼフィレッリのロミオとジュリエット、舞台は出口さんの十二夜がシェイクスピアとの出会い。

あんなに笑い転げたシェイクスピア作品をその後私はみたことがない。道化を演じた江守徹さんはじめ次々に出てくる魅力的な役者たちの演技には圧倒された。マルボーリオを唾を吐きながら奇妙奇天烈に演じた北村和夫さんももうこの世にはいない。書いていると時間がワープして帰り来ぬ青春時代の記憶思い出がつーんとよみがえってくる。甘くもほろ苦い。

その後自分が後年シェイクスピアシアターに所属し、直接出口さんからレッスンの薫陶を受けることになろうとは夢にも思わなかった。人生の運命の糸の綾の見通しは、まことに持って予測不可能である。

このようなことを書き始めたらきりなく書いてしまいそうになるし、そっと個人的な大切な宝の記憶としてわが胸のうちにしまっておきたいが・・・。1970年上京してからの、18歳から23歳くらいまでの間に出会った数々の多士済々の才能が群雄割拠、寺山修司、唐十郎、つかこうへい、蜷川幸雄、佐藤信、(野田秀樹や渡辺えりは少しあと、書ききれないくらいの才能が咲き誇っていた)多分野の劇場での観劇体験は私の中の黄金の記憶の宝というしかない。記憶の中の怪優たちの声が今も私の中の脳裡にしみこんでいる。亡くなられた方もいるが、私の中ではくっきりと今も生きている。

一期一会の、オンライン観劇とは全く異なる、前列の客は役者の口から放たれる汗と唾液の飛沫を浴びながらの、演じる方も観劇する方も一体感が劇場の空間を横溢していた。今となっては考えられないの熱気と狂気とが充満していた小劇場体験は、テントであれ、アンダーグラウンドであれ、田舎から出てきて間もないうぶな少年の心をわしづかみにし、震撼とし(させ)大都市の闇に咲く、うごめく、人間の情念の吐露に、私は恐れおののいたのである。(1970年11月25日三島由紀夫の割腹は少年の私の度肝を抜いた)

30代に入り、まるで 記憶を封印するかのように普通人としての生活にシフトしていった私だが、あの時代を懸命果敢に生きた演劇人や、映画人他、モデル、歌い手、イラストレーター等々同時代の方々の訃報を目にすると、いまだ初老凡夫の血がざわめくのである。

話を戻す。あの時代に小田島雄志先生が翻訳したてのほやほや本になる前の台本を、出口さんは並走するかのように若き劇団員たちと共に、六年近くかかって日本でのシェイクスピア作品の全作品を、当時渋谷にあった客席数一〇〇人の地下にあったジャンジャンという小屋で上演し演出した。誰が何といおうと前人未到の快挙である。

その快挙の最終コーナー八作品に参加することができたこと、今となってはわが青春の終わりの誇りである。半分近くは日本初演の知られていないシェイクスピア作品。わけても 上演時間九時間に及ぶヘンリー六世三部作(傑作である)にいろんな役でとっかえひっかえ出演できたこと。とくに(セイ卿の役)で私は褒められた。出口さんに褒められ上京後の苦労が報われた。(ヘンリー六世、声が出るうちにコロナが終息したら何とか機会を作り仲間と音読したい)ジャンジャンではなく六本木の俳優座劇場で、朝昼夜と連続上演したことはけっしてわすれない。

あの時代東京で、縁あって同時代に居合わせた方々から、縁あってすれ違った方々から、無数の縁、何と多くのことを肌を、声を、肉体を通して教えてもらったことか。今私がこのコロナ渦中を運よく生活できているのは、おそらくあの時代をどこかで共有し、情熱熱の果てに召された方々の記憶が今も私を支えてくださっているからに他ならない。

口角泡飛ばして飛沫を浴びせあいながら激論を交わしあったすべての縁あった方々が懐かしいが、懐かしんでばかりはいられない。元気に生きている、いられる者としては、死者たちのおもいを無駄にはできない。何かせねば。

五十鈴川だよりに、シェイクスピア作品の上演、演出に心血を注いだ、出口さんのことをまとまらずともわずかでも書いておきたい。あの三年間がなかったら遊声塾はない。ご冥福を祈り、いつの日にかコロナが終息したら、ご霊前にお線香を立てに行くつもりである。


2020-12-12

コロナの渦中、初老凡夫生活沈黙の弓をひく時間にすくわれる。

 12月に入って二回目の五十鈴川だより。もうすっかり感性が世の中の今についてゆけない、ゆかない、自己満足的生活を送っている、散歩と弓の稽古以外ほとんど出かけない初老凡夫生活を送っている。

もともと還暦を過ぎてから、帰省旅や家族に会いにゆく、遊声塾のレッスン、弓の稽古他よほどのことがない限り、静かな暮らしをしていた。コロナ渦中の間今年も二回ほどは帰省をしたし、上京し家族にも会っているので、きわめて個人的には遊声塾のレッスンがかなわぬこと以外は、私の生活は基本的にはさほどの変化はない。

が、世間世の中・世界は激変しているのが伝わってくる。もうすでに世の中での役割をとうに終え、地面の近くから世相の移り変わりを、ぼんやりと物思うくらいの存在とかしつつあることを、私は十分に自覚している。

スーパーテクノポリス 、都市化ハイテクリモート社会(画面を通してつながる)が、ますます進んでゆくのを、静かに大地の一隅から眺めるにしくはない。私は森や海山川(動植物、微生物)がないところでは生き苦しくてまず住めない。そういう体を引きずりながら今も息をしている。

生と死は選べない、願わくば五十鈴川のほとりで生を受けたので、五十鈴川のほとりで息を引き取りたいとの念いはあるが、そうは神がおろしてくれるのかどうかはは野暮である。

と、ここまで書いて おもうことは木の葉が落ちるように自然の摂理に身をゆだねる覚悟を育むためにも、今をきちんと日々を送ることにこそ老いの情熱を燃やしたいとの思いが、このコロナ渦中の日々の生活の中で強くなってきつつある。

孫や娘たちが生きるAIと人類が共存する未来社会がより良き社会になる様に、ひとりの年寄りとしてできることをささやかに考え実践してゆく自立した年よりになれたらとのおもいが、コロナ渦中 強くなってきている。

何より、じっと考える時間が増えたことが大きい。コロナは時期はともかく必ず収まる。その時に備えて、今のこの時間を大切に生きることの気づき、悔いのないように以前にもましてきちんと日々を大切に生きることの大事を身体を通して考えている。

話は変わるが、コロナのおかげで声を出す時間が極端に減り、弓をひく時間はその分増えた。饒舌と沈黙の時間をこの数年往還していたが、今年はコロナのために沈黙で過ごす時間が増えた。そのことで老いつつも、私の中の躰との対話は、深まってきた。予期せぬ収穫である。

この数年、全身、細い体でシェイクスピアの登場人物を声に出して、繰り返し音読してきた。普通本を繰り返し何度も何度も声に出したりして読んだりはしないと思うが、少なくとも遊声塾を立ち上げてからは、毎年一つの作品を何度も音読してきた。昨日と今日とは違う体で。

弓も同じである。方や饒舌、方や沈黙。だが全身を使うことは同じである。必然的におのれの体の器の現在があぶりだされてくる。そのことの自覚がより深まったのは、コロナのおかげである。


2020-12-01

月の光を浴び、たまたま見ることができたガンジーのフィルムから間接的に英知の光を浴びて念う。

昨日の夕方から、つまり11月30日から今日12月1日にかけて、いまも西の空には満月が浮かんでいる。おぼろ月も愛でることができたし、月を偏愛している私には、三日月の月の出から満月に向かう間、初冬の月のあのひんやりとした夜空を眺め、乾いた心が普遍の輝きに癒された。

昨夜は寝室の窓から夜通し輝く月の光をカーテン越しに感じながら熟睡したのだが、いつにもまして早起きし、ひとり夜明け前のフルムーンを愛でコーヒータイム、早朝の五十鈴川だよりというわけだ。月の満ち欠けでかくも私の精神と体は変容する。

一昨日の夜、総社の弓道場でかなりまあるい月の光を浴びながら弓の稽古をしたのだが、月の話題は居合わせた稽古人たちの口から出ることはなかったし、私も口に出すことは控え、このコロナ渦中、ただ月の光を浴びながら稽古ができることの ささやかないっときを天に向かってしずかに感謝した。

長女の夫も月が好きで、東京のマンションから望めた満月の写真が送られてきた。このような感性を持つ父親に日々育てられる孫の望晃くんの成長が、おじじとしてはただ楽しみである。週に何度か送られてくる動画や写真に私や妻がどれほどエネルギーをいただいていることか。こればかりは老いてみないと分からない喜びというしかない。

話は変わる。昨日午後たまたまNHKテレビで、リチャード・アッテンボロー監督のガンジーを後半だけ見ることができた。詳細は長くなるので省くが、いわゆる大作、フイルム時代に撮られた3時間以上の映画の醍醐味を小さな画面で堪能した。

ジョン・ギールグッド、エドワード・フォックスはじめ名前は失念したが、私の知る過去の名優が男女ズラリ登場する。ご存じの通り結末は悲惨である。イギリスの植民地支配からは独立を果たすものの、ヒンデュー教徒とイスラム教徒の宗教対立が勃発する。

多くを語れる知性も教養もない初老凡夫の私だが、ガンジーの死から幾年月、状況は殺りく兵器のおぞましい進歩(私に言わせれば卑怯千万な退歩兵器というほかはない、しかも正々堂々と一対一で戦わない、兵士を雇う、ほとんど利害だけの代理戦争が無限地獄のように続く)、特に核弾頭、無人兵器の開発で悪化する一方に思える。

朝からこのようなことを書くつもりは毛頭なかったのだが・・・。ガンジーが生きていたら今のこの世の世界をどのように思い語り行動するであろうか。ガンジーは無抵抗、断食しながら思考を深め、歩き行脚し戦うことの愚かさ、差別することの愚かさを説くが大多数のおびただしい貧しい民衆には聞く耳がないし届かない。

理不尽。不条理を言葉で言うは易い。だがガンジーのような先人がいたことは救いである。ガンジーは言う。時の権力者がいくら力を行使しても、真実と愛の前ではやがては敗北すると。

すでに8カ月、このコロナ渦中がもたらした、静かな初老生活は、ゆっくり学び、知り、考えるまたとない時間をもたらしてくれている。少数の過去の先人たちの偉業、英知の光を月の光のように浴びたいと初老凡夫は念う。

2020-11-30

希代のトランペット奏者、近藤等則さんの死を悼み想う朝。

 11月最後の日の五十鈴川だより。つづるつもりはなかったのだが、朝一番新聞を開いたらM新聞の悼むという欄に先月17日にお亡くなりになったトランペット奏者近藤等則のことが書かれていた。享年71歳。

書物2冊、【ラッパ一本玉手箱、我かく戦えり】がわがささやかな書棚にある。IMAバンド で直接演奏を聴いたこともある。土取利行さんと同じ年、あまりの早すぎる死には言葉を失なう。

私とはわずか3年の年齢の違いしかない この不世出の演奏家を、土取さんとの出会いでたまたま知り、直接演奏を聴く機会がもてたこと、今となっては一瞬にして思い出になってしまった。(1989年長女が生まれた年、天安門事件が起き、それに抗議する緊急ライブをいち早く実行したアクションに瞠目した)

あらためて人の命のはかなさを感じるのは、当たり前だが、若いころは遠かった感覚の死が老いと共に身近に感じられるからだろう。 何を書いたらいいのか、何が書けるのか。

ただ、近藤等則さんという、私にとって最高にカッコイイトランペット奏者と同時代に生きて巡り合い、その生き方の真摯さに撃たれたものとして、きちんとご冥福を祈りたい。

職業としてのトランペット奏者の概念をぶち破り、音楽家、人間としての純粋な矜持、魂を見失わない、息を吹ききった壮絶な希代の奏者というしかない。四国出身で同じ年、土取利行さんと若き日武者修行のように伝説の演奏を繰り広げたつわものの、コロナ渦中での死。

昨年末の中村哲先生、私が影響を受けた方々が次々と冥界に旅立たれる。 真の詩人や、哲学者、音楽家、あらゆる人間存在生活の多分野で真の勇気を持ち、死を超越した生き方、活動を現世でなした方は、この先を生きてゆくものの一隅の足元を照らす。

どちらに向かって歩めばいいのかは、中村哲先生の書物はじめ、わたしがこれまでの生きてきた時間の中で直接出遭え影響を受けた人間、また間接的に出会った魂を揺さぶる書物や音楽、絵画が導いてくれる。

私が生きている間は、中村哲先生も両親も有形無形、これまで私が影響を受けた方々は消えてはいるが私の中に生きている。私の中で繰り返し再生し勇気をくれる。このコロナ渦中生活で私の中にも変化が生じている。

無意識が意識化されてゆく。壮絶な死者のエネルギーを浴び、いただきながら、共に歩んでいきたい。



2020-11-28

初冬の日差しを浴びながら、うつらうつら陽だまりで布団を干し、夢想する。

 あっという間に一週間が過ぎての五十鈴川だより、コロナウイルス、初冬を迎えての感染増加の脅威は収まる気配はない。この8カ月間極めて行動範囲の狭い暮らしを続け、家族や近親者以外の人たちとの会話や対話をほとんどしていない私である。(例外は土取利行さんのみ)

この間 弓の稽古だけは持続している。弓道場はほとんど青天井、多方向からの風の 流れがある。居合わせた方々と少ない会話を交わすことはあっても、面と向かっての長い会話はない。

アルバイト先は野外、他者との交流は皆目ないので、今のところ私は極めて以前と全く変わらない健康な生活が営めている。そのことに対する有難さは筆舌に尽くしがたい。

新聞ほかのメディア報道によればこの(異国を含めた)コロナ渦中の多くの国民の多岐にわたる職種、世代ごとの生活困窮者は凡夫の想像力をはるかに超えている。冷静に考えても粛然とする。(自殺者の急増他、置かれた立場の困難には言葉がない)

経済とは何なのであろうか。お金とは何なのであろうか。一方で期限切れ賞味期限切れの食品廃棄物がわんさかある、方や飢餓にあえぐ地球上の生活困窮者が億人という数字上の単位で存在するという、不条理現実に唖然とする感覚を有する初老凡夫である。

先日読んだ永六輔さんの伝言(矢崎泰久さんがまとめた、素晴らしいお仕事)に、やなせたかしさんの言葉【正義とは世界から飢えをなくすことである】とあった。

あまりにもの理不尽というしかない格差、そのバランスの悪さに人類につけこんできたかのようなコロナウイルスの猛威は何を暗示、示唆しているのか不気味である。

理解を超えた理不尽不条理がまかり通る世界の現実を知らせてくれてくれるのは、この100年の映像の世紀、電波通信、移動乗り物、書物物流の発達のおかげ、この数十年のデジタル革命インターネットである。過酷なアフガニスタンの辺境大地から警鐘を鳴らし続け、一隅の緑の大地を創り上げたた中村哲先生が言うように、爆弾よりも安全な水と食い物なくして、ヒトは人らしく生きられないのだ、その言葉を心の片隅に私はこれからの人生を歩むつもりである。

どんなにテクノロジーや科学が発達したとしても、飲み食う排泄する人間の基本生活は普遍である。足元の自分が立っているところから、こころの闇をさまよいながらも物事をつつましく思考する勇気を失いたくはない五十鈴川だよりでありたい。

老いつつもあらがい、身軽に小回りのきく下る身体を持続するためには、今日一日どのように過ごしたらよいのかいけないのかを、以前も書いた気がするが(何度でも書くのだもう老いているのだから)ハムレットのように、永遠の問いをくりかえすしかない。

悲しいかな自分や身近な存在のことで精いっぱいではあるものの、無数の不遇をかこう他者の存在をどこか心の片隅に留め置く想像力を養い、書ける間は五十鈴川だよりを書きつつ、アフターコロナを見据えたい。

日差しは万物を包みあまねく降り注ぐ、今夜は徐々に月の形がまあるくなりつつ輝く、その光を浴びつつ思考し何かを蓄えたい。

 

 


2020-11-21

11月に入り、にわかにコロナウイルス感染者が増え続けこの数日2000人を超えている。3連休、初日の朝に想う。

 早一週間、五十鈴川だよりを書ける、ささやかな嬉しさがある。どういう暮らしが今の年齢の自分にとって気持ちがいいことなのか、また幸福とは一体全体どのような状態を指して言うのかは、世代ごとに、または置かれた状況、立場によって、このような複雑怪奇な時代には、おそらく千差万別であろう。

私の場合は、このように五十鈴川だよりを書ける、書こうという気になる日を持てるということが、このコロナ渦中生活でも持てているといったことが 、ささやかにも幸福な状態にあるといった認識を持っている。食うに困らず、夜露がしのげ、健康であれば、ほかにこともなしといったあんばい、ハラハラ落ちる色づいた木の葉を眺め散歩のお供はメルで十分。

非常事態、まさに再びの到来を不気味にも告げるかのようなこの数日のコロナ感染者の急増、メディア報道によれば、今日、この3連休の移動自粛を盛んに呼びかけている。GOTOトラベルやGOTOイートは実施していてのこの矛盾は、どのような結果をもたらすのか。

初老凡夫、静かな生活の充実を好む齢となっては、多くを語ることは差し控えるが、命あっての物種であるということを、もはや多くの国民がとうに忘れ去っているというしかない。

安ければ旅をする(安いというのは多くの場合錯覚であると凡夫は思っている)、安ければ普段は手の出ないものに手を出すというのは、へそ曲がりの小生にはやせ我慢してでも近づきたくない。(自分にも他者にも禍が及ぶ可能性が高まる)

それにしても、冬が深まるにつれてのコロナの世界的な増加爆発は、いくら能天気な初老凡夫でも、寒々と気が滅入る 。とくに大国アメリカやEU、インドほか他国の増加、感染爆発には、対岸の火事どころではない、何か得体のしれない不気味さを感じるのは、小生だけではないだろう。

ワクチンの対処一つとっても専門家の意見は異なる。フェイク情報がまかり通る。危ないのはコロナウイルスだけではない、多岐に及ぶフェイクウイルス情報に感染してしまうことも。何が正しい情報なのかが、この超情報化時代あまりにも判然としない不気味さを私は感じる。

だから画面を通しての編集された間接情報を私はほとんど信じていない。一初老凡夫としては身体を通しての直接情報に重きを置いている。五感を通しての直接情報、光や、雨や、風や、土や、色づく木の葉など身体を通して感じ湧き上がる、血が体全部が感じる、体感生活をこそが私の基本生活である。

リアルワールドとバーチャルワールドの往還。だがあくまでリアルが基本、その上に頭が、バーチャルが乗っかっているのである。足で歩き、手で耕し、日々を愛でる。極めて普段通りの生活をしながら(手洗い、マスク、栄養、睡眠、土いじり、読書、弓、散歩、音楽、運動等々)ひとりでできること、ひとりで楽しめることの充実を図る生活をする、といったことくらいしかない、のだが。コロナが終息するまでは努めてひとり時間を大切に生きるのだ。

この3連休、お墓参りに帰郷したかったのだが、じっとしていることにした。でも年内に、コロナウイルスを避け、車でそっとお墓参りに帰りたいのだが、成り行きに任せるしかない。。人知を超えた季節をまたいでのコロナウイルスの脅威を前にして、凡夫にできることは限られている。

さて、一週間後感染の増減がどのように推移しているのか、ひどくならないように祈るしかない。

 

2020-11-14

冬の陽だまり、土取利行さんとの突然の昼食再会時間が持てました、そして想う。

 一週間に一度綴る五十鈴川だよりになりつつあるが、この程度の頻度でつづるのが今の私にとっては、自然な流れである。

今日は最近入会した総社の弓道クラブの月に一度の例会が午後ある。そのことは置くとして、先週の日曜日、八日 午前10時ごろいきなり土取利行さんから電話があり、今香川(土取さんは香川の出身)に来ている

あまり時間がないのだが、都合がよければお昼をとのお言葉。今年の冬コロナ騒ぎがこのような事態になる前にあって以来の再会。直接対面して人と話をするのは家族以外では先の上京で友人と短い時間あって以来。

コロナ渦中、わざわざ 時間を作って会いに来てくれるというのは、きっと何事かあると直覚した私は無論いいですよと、返事をした。電話を切りわずか一時間半で香川の土取さんの音楽活動をサポートするO氏の運転で土取さんは我が家にやってきた。

近所のお店でお昼を食べ、食後は席を変え、我が家のご神木八朔の樹の下でお茶しながら、約二時間近く近況を語り合った。いつものように土取さんの口を突いて出るお話、コトバにじっと私は耳を傾けた。

前回は 香川が産んだ反骨のジャーナリスト宮武外骨の話、今回は私の知らないキリスト者として人生を独自にまっとうした、その名【賀川豊彦】氏のことを、いつものように熱く語られた。

話は飛ぶ。土取さんのことは五十鈴川だよりを書きはj秘めてから折々書いているので省くが、26歳で ロンドンで知己を得て以来なので、早42年の交友が続いている。このような私にとっての異能(脳)の人とのご縁を、私は今更ながらに、歳ふるごとに感謝している。

出会って以来、私は土取さんとはつかず離れずの関係性を今もだが持続している。カッコつければ、君子の交わりを続けていていざという時にしか、連絡をお互いに取り合わない。

でもいざという時には、このように連絡が必ず来る。いつ何時連絡が来るかもしれないので、せめてちょっとでも役に立てるように、自分も普段からフットワークを軽くして関係性持続生活力を保っている(つもりである)。

芸術家というに値する生き方、あらゆる困難を抱え込みながら、土取さんの口を突いて出てくる言葉は、初々しく今現在を生きており、未来を見据えよどみがない。人生にはタイミングというものがある 。娘たちの手が離れ、初老凡夫生活の今、再び土取さんと久方ぶりに何か共に企画プロデュースをやれる仲間に、私を加えたいのだとのありがたいお言葉。

全世界の終息がいつになるやもしれぬ このコロナ渦中(この一週間で感染者はますます増え続けている)土取さんは時代を怜悧に見据えながら、これからの音楽家としての使命をいよいよ故郷で実現すべく布石を打っている。そのことが地下水が流れるように伝わってきた。

私もコロナ渦中、私自身世の中に出てからのこの半世紀の出来事をじっくりと振り返ることができ、これからの時間の過ごし方を考え続けていたので、またとないタイミングでの対話時間となった。

土取さんはとんぼ返りで香川に帰っていった。夏は郡上八幡、冬は香川での暮らしを今後は考えるとのことであった。私もいよいよ岡山とふるさととの二重生活を考えているし、土取さんが香川に来る機会が増えれば、今後ますます会う機会が増えるので、私としては実に大いなる喜びである。

時代を鵺のような面妖な閉塞感がおおうがこのような時にこそ真の意味での音楽家の存在が必要である。 素晴らしいというしかないあまたの勇気ある先人たちの足跡を知ると、冬の光を浴びながら、コロナ後の生活を見据え、コロナ渦中生活を大切に生きたいと思わずにはいられない、土取さんとの予期せぬ初冬の陽だまり昼食再会時間となった。

土取さんを応援する若い世代の香川の有志たちとの出会いも愉しみ、香川にゆきたくなっている。

2020-11-07

小松由佳著、【人間の土地へ】素晴らしい本に出合いました。

 早立冬である。先ほど外に出たら路面が濡れていて小雨である。季節はあっという間に移ろい、あの暑い夏のこともにわかには信じられないくらい忘れて、ストーブなどの準備をしなくてはならない。

思うに人間には忘れていいことと、けっしてわすれてはならないことがあるし、また個人的な体験、どうしても忘れられないことがある(でできている)と、私は想っている。

五十鈴川だよりは、その五十鈴川がながれる河口の小さな田舎の町に生を受けた、はなはだ個人的なその土地の記憶が、今も鮮明に私の脳裡の奥深くに色濃く眠っていて、老いが進むほどにその記憶は、つらかった記憶も含め、今となっては黄金の記憶のように思えるのである。

ヒトは人生という一回限りの旅を、物語るかのように生きる器である、という気がしてならない。自己分析の持ち合わせがなく、ほとんど成り行きでこの年齢まで何とか生き延びていられる現在を振り返ると、前回の五十鈴川だよりでも書いたが、運に恵まれたというしかない。

今年も残り2か月を切ったわけだが、良し悪しではなくコロナ渦中生活のおかげで、自己との対話、内省的な時間がたっぷりととれたおかげで、コロナが終息を(むかえてほしい)迎えたら、以前にもまして静かな初老凡夫平凡生活を送りたいという気持ちが強くなっている。

アメリカ大統領選挙の行く末、日本学術会議への権力の介入、一見国民のためという装いで、まったく説明責任を果たさない(果たせない)鉄面皮のような新首相(まったく前任者の悪しき所を踏襲している)のらりくらり答弁には、うすら寒いこの国の行く末が、不気味に横たわっているいるような、想像だにしたくない未来が待っている気がしてならない、そのことはごまめの歯ぎしり、初老凡夫五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。 

このようなことを書き始めたら、歳を忘れて怒りがいまだ体に渦巻くが、長いものには巻かれろ、力の強いものにはこびへつらい、弱いものには居丈高になるといった輩とは、一線を画す五十鈴川だよりでありたい。

さて、いきなり話を変える。コロナ渦中生活7カ月、この間本当に良き本に多々私は出会っている。山藤章二さんに続いて、小松由佳著【人間の土地へ】をゆっくりゆっくりと読み進み、読み終えた。また世界を変えてゆく一人の若い日本女性のすばらしいというしかない本に巡り合った。

長くなるし、時間の都合で簡単に記す。五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方、検索して、心が動いたら本を買ってお読みください。お薦めします。シリアの砂漠のラクダと共に生きてきた民の末裔と、縁あって結婚し(現在お二人の男の子供を授かっている)た日本女性のノンフィクション。

なんとその女性は、日本人初の知る人ぞ知るヒマラヤの最高峰K2に登頂を果たした【小松由佳】さん。波乱万丈という言葉しかない真摯な生き方、歩み方に思わず涙した。

悲惨極まりないこの10年間に及ぶシリアの戦争(内戦ではない)状況を、一日本人女性が命がけでリポートしている、地に足が付いた視点から。国家とは、民族とは、家族とは、友人とは、勇気とは、男女とは、自分とは、命とは、豊かさとは、幸福とは・・・・・。

人間の土地へ、母なる大地のような著者の生き方、命がけの選択に深く深く初老昭和男は打たれた。良き本は勇気をもたらす。中村哲先生の御本もそうだが闇夜を照らす明かりのような本に私はであった。是非著者にあってみたい。

2020-11-03

月のエネルギーを浴び、朝日のエネルギーを浴び五十鈴川だよりを綴る。

朝湯を浴び、五十鈴川だよりに向かう。窓からは西の空にまだまあるい残月がのぞめる。月を望めてちょっぴりと幸せな気分になれる私は、現代人としては単細胞に極まる初老凡夫である、と自覚している。

老いと共に、はなはだ始末に終えない頑固な単細胞人間化してゆく我が身をどこかに感じている。亡き父もはなはだ頑固で、老いては子に従わないなどとのたまっていた。血なのである。

晩年父は人との交わりは極端に減らし(父は情が濃く寂しがり屋でヒト好きであった)囲碁三昧に終始し、旅といえばいつも傍らに亡き母を同行した。母が先に行くと一気に老いが進み後を追うように逝ってしまった。

父は83歳まで生きて旅立ったが、意識は最後までかなりしっかりしていたと兄や姉はそばにいなかった私に、のちに語ってくれた。

さて、父が旅立った年齢まで私が生きるとすると、(生きたとすると)私の人生時間は残り15年ということになる。このコロナ渦中の7カ月、降ってわいたように静かに考える時間が増えたことで、(今も考え続けているが) いよいよもってこれからをいかに生きてゆくのかという問いをいやでも自らに問わずにはいられない、いろんな自分の中の一人がいる。

朝からこんなことを書くと、何やら意味深であるが、本人は18歳から世の中に出て、まるで本能のままに動物的な感覚で、何とか世の中、世間と折り合いをつけて生きられた50年をおもうと、運にすくわれたという思いしかない。若いころから影響多々の五木寛之さんに習えば、他力本願で生きてきた私である。

だから三つ子の魂百までという性をおそらく最後まで引きずりながら、往生悪く往生できたら、それでいい。なるようになるといった心境、可能な限り無理を承知で、老いと向かい合いたいという気持ちが、降ってわいた静かなコロナ渦中生活で 芽生えつつある。

61歳で始めたシェイクスピア遊声塾、65歳で始めた弓との出会い。コロナのために、いまだ遊声塾は休塾しているが、弓のほうは無言で稽古ができるので、遊声塾に費やしていた時間をほとんど弓についやしている、そのおかげで私のコロナ渦中生活の心身の、さやけき健康が保たれているといっても過言ではない。

昨日雨で山藤章二さんの【自分史ときどき昭和史】をほぼ読み終えた。昭和男の面目約如ぐいぐい引きこまれ、段違いの才能というしかないが、書かれた時が77歳、記憶力、文筆力、ユーモア、冷静さ、諧謔性、戯作力、落語に関しての博覧強記、ラジオで鍛えられた耳のよさ。それらが怜悧な脳に詰め込まれていて、独創的な絵師が生まれたのがよくわかる自伝。

感動した。読むのに忙しく(私は読むのが遅い、読んでいるとあらぬことを想像し、考えてしまうのだ)五十鈴川だよりにには読んだ本のことをほとんど書いていないが、これからは可能な限り書こうと、(少ない読書量だが)思っている。

このコロナ渦中の読書、あらためてこの歳で本と真摯に向かい合う読書体験をしている。自分のこれまでの偏った読書、物の見方考え生き方というものを見直すまたとない時間をコロナ渦中生活は私にもたらしている。

単細胞人間の私は感動すると勇気が湧いてくる。18歳から半世紀、やけのやんぱち思い付いたことにすがり、負をエネルギーに、コンプレックスを我流でいいように解釈し乗り切ってきたが、今後もこれを踏襲し、反省し振り返り、わが立っている足元生活を固めたいと、踏みしめたいと念う。

 

2020-10-31

コロナ渦中生活で迎えた、33回目の結婚記念日の朝に想う。

 早起きは三文の徳、夜は皆目ダメな私だが朝はなんとも言えず好きである。良く休んで疲れが消えた体は、ニュウートラルな状態とでもいうしかない、さわやかな感覚をいまだ私にもたらしてくれる。だからなのだろう、何かにすがるかのように拙文を綴りたくなる。

平均すれば、週に一回程度になりつつあるわが五十鈴川だよりだが、よたよたとと水量が少なくなっても、生きているなあという感覚がある間は、つづりたくなる、いわばわが業の肯定のように、日々の整理浄化のように一段とつづりたくなってきつつある。

さて、今日は結婚記念日である、33回目の。妻のことをいけしゃあしゃあと書くのは、いまだはばかられるから、もう少し歳を重ねたら書けるかもしれないという気はしているが、今はまだ書かない(書けない)。

ただこの女性との出会いがもしかなわなかったら、と考えると、このような安寧に満ちた今の生活は、またの夢であったであろうとの正直なおもいが私の中で去来する。 

昨日の夜の十三夜の月、先ほど外に出たら西の空にほぼ満月の美しい残月が浮かんでいた。しばし古人に還ったかのように長め入った。月を愛でる目が私にはある。

コロナ渦中での結婚記念日である。もう特段なことはお互い何もしないが、ささやかに何かしようとの思いはある。お互いのごく普通の今ある生活をただ感謝するだけである。月に祈り花でも活けて。

さて、いつものように忽然と話は変わるが、コロナ渦中生活も七カ月が過ぎようとしている。本格的な冬を前に、にわかにまたも世界的に発症が増えている報道を知ると、自分自身もいつ感染しても、おかしくはない。

家族や身近な方には感染者がいないが、先々のことはわからない。ただ自分で考えて行動をしながら、我が身を守るしか今のところ私には方法がない。(感染したら運命に従う)現役バリバリで働いている世代、医療従事者、介護施設他、どうしても人混みの中での労働や、移動、動かなければならない仕事の方々の、心労は想像に余りある。

新聞くらいしか読んでいないが、こころがぎすぎすし余裕がなくなり、それがより弱いものへと向かう心根の貧しさには言葉に窮する。いじめなども急増している、(らしい)。自分がそのような立場に置かれたら、というくらいの最低の想像力さえもが、現代社会では失われてきているとすれば、ゆゆしき時代というほかはない。私の常識的な感覚と世間の常識的な感覚とのずれは広がる一方である(だからといって私は絶望はしない)。

こういう時こそ、じっと月を眺め、花を眺め、穏やかに只今ある我が身の在り難さを噛みしめる、いっときの余裕が必要である。この七カ月、極めて平々凡々と生活できていられる我が身の在り難さを想う。会いたい家族にも度々は会えないとか、コロナ以前とは考えられない生活を強いられてはいるが、私などよりははるかに厳しい環境を生きざるを得ない人々が、無数におられる。そのことを想像する。

話を戻す。この七カ月、こんなにも妻と限りなく二人きりの暮らしを続けているのは(いられるのは)33年共に暮らして初めてである。コロナ渦中の二人時間を大切にしたいと私は考える。新たな初老夫婦自主的自粛生活をいかにして新鮮に楽しめるか否か、私は模索している。

2020-10-25

秋日和、田舎道を走り、日本の山里の景観を満喫し、そして想う。

わが二階の部屋に、日々深まる秋の朝の陽光がさんさんと降り注ぎ、初老凡夫には言うに言われぬ在り難き気持ちよさである。世の中がコロナブルーに染まって久しいが、そのようなことをこの晩秋の陽光はしばし忘れさせてくれる。

昨日ちょっと個人的な用事で、ひとり津山まで車で運転したのだが、久しぶり車の少ない中山間地域を走ったのだが、日本の秋を満喫した。そこかしこにいろんな種類の柿がたわわに実り稲刈りがまだ行われていたりして(それとコスモス)、景観が刻一刻と変化し、情緒的な昭和男子としては、きわめて個人的な物思いに身をゆだねながらの運転を十分に楽しめた。

行きの途中美作では、市営の安い露天風呂にしばし浸かったのだが、まだ午前中であったせいなのか、湯船につかっていたのは私一人であった。目の前の川、色づく里の秋を眺めながらの湯あみは、これぞまさに至福のひとときというほかはなかった。

ゴートゥートラベルなどは私には無縁である。 小さい秋見つけた、ではないのだが、今の年齢の私にとっては小さき身の丈に合った、さやけき暮らしを、日々の中に見つけることこそが、生きがいとまではいわぬにせよ、大事なのである。

大事なことは、つましき中に今現在のおのれにとっての小事をゆるがせにしないような生き方ができないものかと、カッコつければ思案している初老生活なのである。

沢木耕太郎さんの本のタイトルではないが、貧乏だけど贅沢な暮らしのようなものを、私は還暦を過ぎてからは目指しているし、あれからもうすでに8年が過ぎようとしているが、その思いは、いよいよ晩秋の木の葉の色づきのように深まってきつつある。

やがては時の摂理、その木の葉ははらりと落ちるのではあろうけれど、それまでは命の輝きのようなものを、わが内なる体に見つけられたらと、詮無い望みを抱くのである。

それにしても身体が動き、運転ができるというのは有難い。後期高齢者までは何とか安全に運転ができることを望む私にとって、交通量の少ない田舎道をのんびりと走るのは、これからの今しばらくの楽しみである。

津山での用事を済ませ、帰りは吉備中央町を抜け総社へと。日没がまぶしかった。着いたのが午後5時過ぎ。 7時過ぎまで居合わせた仲間と弓の稽古をした。かなり冷えたなか空には白く光る半月が浮かんでいた。月のエネルギーをいただきながら、しばしままならぬ体で弓を射った。贅沢な時間がおのれの躰を流れた。

 

 

2020-10-16

ようやく奥深き弓の世界の入口に立てたような感覚が、初老凡夫の体を満たす秋、そして想う。

 今日から来週月曜日まで上京する。約7なカ月ぶりの上京、この間初孫の望晃君に直接会っていない。スマホ画面ではよく会ってはいるが、直接触れ合えるのとではまるで異なる。私はまったくアナログ、昭和男を自認している。時代についていけない男であることも自認している。

だが、くれぐれも誤解しないように一言書いておきたいのだがデジタル時代の到来を否定しているのではまったくないことを。この五十鈴川だよりだってデジタル時代の おかげでつづれる。

娘たちや、ノア君はこのデジタル時代の大海渦中を、まるで空気のように吸って日々を生きているのだから、デジタル時代家族の行く末を、昭和初老凡夫としては、遠巻きに何かしら役に立つおじじであらねばと、想うくらいだけなのである。老いゆく我が身を未来の人たち家族と共に、気の合う仲間たちと共に。

きっと大昔から、年寄りの役割 のようなことが、各々の生れ落ちた地域の中であったに違いないのだが、この戦後の超高度デジタルテクノロジー革命で、雨散霧消してしまった感が小生にはする。だが私はあきらめたくはない。

このようなことを書き始めたら、切りがなく拙文を綴りたくなるのでやめ話を変える。さて前回、少し触れたが、このコロナ渦中の生活の中で、個人的に今の私の生活の心身を鍛え、いちだんとバランス感覚を養生してくれているのが、65歳から始めた弓の稽古である。

始めた動機はいろいろあるが、シェイクスピアを声に出して読むには深い呼吸がどうしてももっと必要だとの思いからである。それともう一つは、集中力の持続が老いと共にどうしても弱まってくる。【身体が】これをいかにしたら、との思いからである。

というわけで、はじめて3年半たつ。瓢箪から駒という言葉がある。長くなるので簡単に記すが、この数か月、総社に在る道場で、そこで巡り合えたすぐれた先生方の指導の下、平均すれば、週に数回稽古を持続しているのだが、去る11日総社氏主催のスポーツ大会弓の部に参加してみないかとのお誘いを、指導していただいている、T先生から有難いお言葉をいただいた。

小生無級、有段者がずらり揃う中に混じって弓をひいたこともなく、そもそも大会など出たこともなかったのだが、度胸試しくらいの軽い気持ちで、コロナ渦中の思い出に気分を変えたく参加した。

久しぶりに大いに緊張したが、何と3人一組の団体の中で(一度に4本、三回引き的中率を競う)結果的に優勝してしまったのである。私のチームは5段と2段の方と私。3人で24本を的中、私は4本しか当てていないのも関わらず。良きチームメンバーに恵まれた。

良くともに稽古をしていた顔見知りの方たちであったし、3回目次第ではひょっとしたら優勝の可能性が出てくるというプレッシャーの中、わずか一本の差でわれわれのチームが優勝してしまったのだ。4本的中の2本は最後の2本。

総社弓道クラブの先生が、誘ってくれなかったらもちろん競技に参加するなんてことは ありえなかっただろうから。まさに何事が出来するかわからない。私は4本しか矢が的中しなかったにもかかわらず、ほかの2名の方のお力で、優勝という栄誉を初参加で経験させていただいた事、いまだ信じられない。だが結果的に事実優勝したのには間違いはない。私には予期せぬ大きな出来事なのである。3人で支え合いながら、声を掛け合い、気で交流しながら矢を射る素晴らしさをはじめて知った。

苦節3年の果て、一日一日生活しながら弓をひく晩年時間がますます 貴重で大切に思える。I先生との出会い。I先生の創られた幸節館道場との出会い。総社の弓道クラブのすぐれた先生方との出会いが、コロナ渦中の私の生活を、豊にしてくれているという実感が深まる中での、思わぬ優勝の二文字は今の私に勇気を育む。

稽古の重み、持続の重み、仲間の重み、日々変化する身体の在り難さ 、弓は自問自答生活を永遠に迫る。

2020-10-04

10月最初の、曇り日の日曜日に午前中に思う。

 10月最初の日曜日である。M新聞の書評欄が日曜日から土曜日にかわった。執筆者も少し入れ替わっている。執筆者であられた山崎正和先生が、先ごろお亡くなりになり、それより少し前、これまた私が愛読していた執筆者のおひとり、池内紀氏もお亡くなりになったからでもある。

毎週毎週、M新聞の書評が読みたいがために、M新聞の購読を続けているといっても過言ではない。日々刊行される本を読んでいる時間はないし、読むのが遅い私には 信の置ける執筆者が取り上げる本の書評を読むことは、ささやかな20年来の楽しみの一つなのである。

というわけで、今朝も書評に目を通し、目に留まったもののみファイリングしたり、ノートに張り付けたりした後、妻が仕事に出掛けたのちの家に一人の五十鈴川だより時間。

最近以前にもましてテレビを見ない凡夫としては、ほとんどのニュース情報からは置き去りにされているような按配なのだが、今のところこれといって生活に支障がなく過ごせ、目も疲れず耳もつかれずまったく問題ない。静かな時間がこよなく年齢的にあってきたのである。

無関心というのではなく、ご隠居気分の私にはもう十分との思い。おおよその俯瞰的、新聞による情報や、信頼する方々からの主体的に学ぶ情報で、事足りているので、もう年齢的にインプットする情報は最低限にして、日々是好日的に、いかに過ごすのかに重きを置いている。(でも学術会議の委員を勝手に減らすなど、権力の横暴にはいからないとまずい)

歳を重ねるとあらゆる動きが、若いころのようには立ちいかなくなるのだという実感が、古希を目前にしてようやく深まってきている。当たり前の ことながらこれが老いてゆくという現実なのである。

でもだからといって、後ろ向きに考えることはまるでない。前向きに蟻のようにゆったり、ゆっくり進む勇気を育めばいいのだと、最近は得心している。だから時間は大切に、宝である。

さていきなり話は変わる。先のふるさと帰省で、3日間幸節館道場で弓の稽古、I先生に御指導を仰いだ。先生と出合って一年半、数か月に一度帰省の度の直接指導。身が引き締まる時間を過ごしている。

長くなるので端折るが、先生との出会いがなかったら、弓は挫折していたかもしれない。道場には【至誠一貫】の文字が大きな板に刻まれている。先の大相撲で大好きな熊本の力士正代が、大関に推挙された際に口にした言葉である。

至誠一貫、言うは易しである。亡き父もよく口にしていたが口先三寸なら何とでもいえる。要はいかに実践できるか、否かである。お恥ずかしき話だが、時代に浮かれて思春期を過ごした私は、世の中に出てもまれ少しは人並みの苦労も味わったのだが、この半年間のコロナ渦中の、主に戦前戦後の受難というしかない時代の先人たちの体験された御苦労の数々を知り、思うと何と恵まれているのかと、忸怩たる思い、反省しきりである。

一言でいえば、家族の生活の生業ができている。健康に存在している。そのことだけでありがたき幸せというほかはないのだ。まさに足るを知ると頭では分かっていても、人間は安きに流れすぐに忘れてゆく、悲しい器、そういう私なのである。

話を戻す。弓は人格が如実にである。I先生の指導は正道過たず、指摘は当たり前のことばかりである。岡山で弓をひく時間をもっと見つけなさい、と。そこで家からはちょっと遠いがコロナ渦中の前にしった、総社の道場に通う時間を増やすことにしたのである。(この道場との出会い集う方々のことはまたいずれ書きたい)

6月の帰省以降、平均すれば週二回は通っている。今夜もゆく予定だ。やはり積み重ねる稽古に勝るものはない。相撲と同じである。たゆまぬ努力をいかにしたら続けられるのか。私の行く末を、亡き父は案じて厳しくしつ、そのたびに逃げ回っていた私だが、コロナの渦中のこの半年、弓の先生はまるで亡き父の生まれ変わりのように、厳しくも暖かくいい歳をした私を見守り、指導してくださっている。

亡き父は、晩年亡くなる直前まで囲碁三昧で過ごしたが、晩年時間、音読、読み書きにもう一つ、弓の稽古時間が増えた。私のコロナ渦中生活は、肉体労働生活と共に、光陰矢のように日々が過ぎてゆく。


2020-10-01

お月見にハイボール、そして想う、ほろ酔い五十鈴川だより。

 10月(日本語は素晴らしいちゃんと月が入っています)になりました。月の満ち欠けにわが体は存在する。今夜は中秋の名月、先程買い物に行くとき少し寄り道をして、吉井川のほとりでしばし、姿を現したばかりのオレンジ色のまあるいお月様を、しっかりと眺めた。月を眺めることで私の体と心は、穏やかになる。

 ひとり月見酒をしたく、傍らにスーパーでかった一本のハイボール。今日も昭和生まれ、初老凡夫は一日身体を良く動かして、働いた。遊声塾をお休みして早半年が経つ。

この間私が ほとんど以前と変わらぬように生活できていることに、まずは感謝するほかはない。世間や世界は、このような能天気な状況にはない人々が、それこそ天文学的数字に及ぶほどに、おられるに違いない。私だっていつコロナウイルスにかかってもおかしくない。

 だが、68歳の私はコロナ以前とほとんど同じように日々の暮らしを、継続できていることに、何はともあれ天を仰いで感謝せずにはいられないのだ。人の心は魑魅魍魎に揺れ彷徨いたゆたうが、その人心のはかなさを、月の輝きは補って余りある。

健康でいられるわが体、かけがえにない家族の存在、大切な数少ない友人の存在 等々。老いてますます、自分にとってかけがえがない存在とは、、、。コロナウイルスが改めて私に知らしめた。

だから、明日コロナウイルスに感染してもたぶん私は、さほどうろたえないだろう。多少のうろたえは、ああやはり来たか、なんて思いはしても、重症化はしないのではないかとの、脳天気な自信のようなものを、感じている。

感じてはいても、自信と裏腹に重症化しても、それを受け入れるしか仕方あるまいというくらいの気構えを、何とかよたよたこの半年間養ってきたとの、ささやかな生活力的自負がある。

ヒトは弱く、卑怯千万匿名主にネットによる、コロナ感染者(他ならぬ医療従事者に対してまでも)に対してのバッシング他、弱者がより弱者を攻撃したりしたりしている、(らしい新聞によると)狭い島国の悪しき伝統的世間体を気にする心根には、江戸時代かと、小生など慙愧に堪えないが、事実はともあれ、五十鈴川だよりを綴るものとしては、時代錯誤も甚だしいとだけ述べておく。人類の行く末をこそ、万人の英知を結集しないといけないこの非常時に。

私はちょっと気が短い初老凡夫に過ぎないが、卑怯な人間が一番苦手である。この歳になると、もうあらかた人生時間の大部は過ぎたし、今後は好き勝手に自由につづる五十鈴川だよりますますなってゆくし、何より頑固ジジイ的にご隠居、韜晦しつつも、弱い者に対して居丈高になるような輩とは 、一線を画す。私は孫に対して顔向けできないような、ジジイにはなりたくない。

お月見のハイボール、たった一本でほろ酔いになるなんて、安上がりな初老凡夫わが現在の体である。

2020-09-18

コロナ渦中でのふるさと帰省の朝に想う。

 きょうから4日間ほど故郷に帰省する。朝早く出発するし、起きたばかりで何を書きたいのかも判然としないが。このコロナ騒ぎの渦中、6月に続いて二度目の帰省である。

そんな中での帰省なので、脳天気な私だがやはりちょっと格別なおもいの帰省である。そして今回は妻が久しぶりに同行してくれる、のがやはりうれしい。

妻のことはほとんど五十鈴川だよりには書いていない。本人が嫌がるからである。でもいずれ私がもっと老いたら、この女性と巡り合わせてくれた運命のお導きに感謝し、そのことを綴らずにはいられない、日がやってくるかもしれない。

いずれにせよ、様々な理由で一緒の帰省がかなわなかったので、お互いが元気なうちにお墓参りもかねての同行旅がかなうのは、これ以上書くのは昭和男子としては野暮である。

五十鈴川だより、五十鈴川が流れるわが小さな故郷は、日本各地のほかの辺境に在る土地と同じように、過疎化が止まない小さな港町である。そこに生を受けて68年、寄る年波と共に、この町に生を受けた幸運を、噛みしめている。いずこの町も同じように、戦後のわが町は激変した。

この町には幼少期を共にした姉と二人の兄が、近所に家を構え元気に暮らしている。私の原点である幼少期の思い出を語り合える大切な人間である。静かにつつましく暮らしているわが姉、兄たちと共に語り合える時間は少なくなるので、今この時をとのわが想いなのである。

今夜は妻も同行しての帰省なので、全員が集うことになっている。家族が集うことが少なくなっている昨今だが、昭和男子のわたしとしてはあの古き昭和の思い出があるからこそ、今を何とか生きていられるので、私としては五十鈴川のほとりで、今も静かに穏やかに暮らす兄たちや姉との年に数回の里帰り再会は、喜びという以外ないものである。

時間が無くなってきたので、もうこれ以上書けないが、生れ落ち、生を受けた土地というものの記憶というものが、私を故郷に回帰させ老いてもなお、いまだ私に元気と潤いを与えてくれるのである。ただ私は元気に故郷に帰れる現在、只今がただ嬉しく、ただいまと帰るのである。

2020-09-11

9月11日、少し涼しくなり秋の気配を感じる朝に想う。

 9月11日。ニューヨーク同時多発テロが起きた年。あれから20年が経つ。忘れもしないあの夜の画面を通してみた、空前絶後のあの惨劇。たまたま一緒に共に見た長女が小学校の5年生だった。

(脳天気に、穏やかに、平和を享受していた 私の生活に、いったい世界で何事が起きているのか、考えないと大変なことになるといった、漠然たる不安がにわかに沸き起こったことをおもいだす)

その娘が 31歳になり一児の母親になっている。あれからの本格的なインターネット時代が私の中で始まったような記憶がある。私自身が遅まきながらパソコンの海の扉を自覚的に開くようになった。

一口に20年、この間の凄まじい時代の空前絶後の推移。出来事の諸相、テクノロジー革命といってもいいほどの急激極まる大変化を我々の生活に、今現在ももたらしている。(後年いろんな角度から語られるであろうがその時には私はいない)そしてコロナブルーが、鬱ぜんと世界をおおう。

その渦中を何とか生きている、生きられているというのが正直な私の気持ちである。人間はやがてなれ、忘れる。どんな悲惨にも。だから、私のようなものは生きられるともいえる。

忘れないと、とてもではないが息がつまる。深呼吸、月や青空雲の流れ、花々、美しき普遍的な物語や音につつまれないと身体がきっと病んでしまう。

鬱になったり、病んでんでしまう人の方が、ある種の動態平衡感覚があるのではという気がしてしまう。善と悪がこうまで曖昧模糊として判然としない、割り切れない時代がやってくるとは。だが、人類はあまたの受難を引き受けてきた、先人たちの偉大な営為にまなぶ、コロナブルーの日々である。

まさに時代の明日は、皆目初老男にはわからない。だがギリギリ、心と体が喜ぶことを念い積み重ねる日々をいきるほかはない。。

 とまあ、朝からちょっと意外な展開の 五十鈴川だよりになってしまったが、ほぼ社会的な役割を終えた初老凡夫としては、ことさらに時代に添い寝するような感覚はとうの昔に、うっちゃったので、もう何事が起きても驚かない(でもやはり驚くだろうが)。

このようなことを書くと、何やらわびしさが漂うが、きっと老いるということは、(何しろ初めて老いているので)現時点では、そういうことなのだろう。だが今しばらく絶対矛盾を抱えながら、老いてゆく体にしがみつき面白可笑しく生きてゆく術を模索したい。少し涼しくなった 秋の気配の朝に想うことである。


 

2020-09-05

台風10号が近づく朝に想う。

 綴る回数が少なくなったが、五十鈴川だよりは有為転変を受容しながら、今を生きるささやか凡夫生活をわがままにつづる。

早9月である。今日から明日にかけて驚異的な台風10号が九州全土をすっぽり覆いながら通過しそうである。過日の熊本球磨川流域災害に遭われた方々の心中を思うと、言葉がむなしい。

昨日兄とメールのやりとりをしたが、今回はすでに家の周り他の台風対策の備えをしているとのことだった。こうも自然災害、ウイルスの脅威、猛暑等々が矢継ぎ早に襲来すると、誰だってこたえる。

いきなり話は変わるが、噺家の林家木久扇さんが先日、M新聞の特集ワイドの コーナーで、コロナの時代を面白がって生きるコツを語っておられた。現在82歳、東京大空襲を日本橋の生家で7歳の時に体験しておられる。7歳にして雨のように降るB29の焼夷弾が爆発する様を生で見ている。

 木でできた日本の家屋を、焼き払うために発明製造された焼夷弾。密集した庶民の家屋が瞬く間に燃え上がる。一晩で10万人が焼け死んだ東京大空襲、その地獄を7歳の少年はみた。

今現在80歳以上の方々で、当時東京エリアにお住まいだった方々は、あの地獄の在り様を体感なさっておられるはずである。悲しいかなヒトは体感しないことは、身に染みてはわかりえぬ存在である。

だが、わたくしごとだがコロナの渦中のおかげで、以前よりずっと私より一回り上の、あるいはそれ以上の年上の方々が経験された事実の重さに耳を傾けることが、改めて 大切だと今更ながらに、気づき始めている。

インタビューで木久扇さんは答えている。あの空襲を体験しているのでこのコロナ騒ぎも冷静でいられると。罪なき庶民、ヒトが無残にも死んでゆく、殺されてゆく不条理を7歳で垣間見た少年は、生きてゆく上での肝心かなめ、座標軸をしっかりとつかんで、その後の75年間を生きるのである。死屍累々の屍は戦場だけではなかったのである。

いざことが起こったら、このような過去の出来事は今現在も十分に起こりうる、くらいの想像力を持たないと、危険な時代である。あきらかに平和ボケしていることを告白しておく

木久扇師匠の言葉は、本当に私にはわかりやすく腑に落ちる。師匠は言う、生きているだけで得だと。何も持っていない人間は強い。体一つ、芸だけ、落語という話芸で、聴衆の心をもみほぐす。すごい、素晴らしいというしか言葉がない。

馬鹿になる自由さ、子供がお砂場で無心にお金がなくても遊べるのに、私も含めた大人は、何と不自由で、気が付けばお金がないとにっちもさっちもいかないという、強迫観念に取りつかれている。

じゃあ、どうすればいいのかは、各人が考えるしかないというものの、へたな考え休むに似たりともいうし、要は五十鈴川だよりで何度もかいているが、あまりお金に頼らずに一日を身体が喜ぶことを、気持ちのいいことを見つける生活を、私の場合心がけてゆく、くらいにしか思い至らないのだが。

馬鹿の一つ覚えのように、わが全財産、体に今もしがみついて、かってに動いてくれている体の全体、生まれ変わる細胞、心臓をはじめとする諸器官に私は想いをはせる。しかし、身体のどこに心はあるのか、今もってわからない。わが初老凡夫の心は、時代の風次第で 葦のように彷徨い揺れる。事実、死んだら、揺れることすらできない。生きていることは神秘で面白い、という側に木久扇師匠のように私も立ちたい。

台風10号に話を戻す、通過した後わが故郷も含め最少の被害で済むように祈らずにはいられない。

 

2020-08-26

おおよそ半年間、初老夫婦自主的自粛生活の中で想う。

めっきり五十鈴川だよりを書く回数が減ってきた。書かなくても、平気になってきた、もう十分に身の程知らずにも書いてきたものだという気もする。

 自分でいうのもなんだが、人生時間が少なくなるにつれ、より真面目に学ぶ、知る時間が増えてきている、そのことが書くよりも面白い。それが五十鈴川だよりを書く回数が減ってきている一番の要因だと思う。

還暦を過ぎ、老いを見つめつつの日々の身辺雑記録を綴る体で書き始めた五十鈴川だよりであるが、パンデミック狂騒といっていいほどのコロナウイルスの猛威の前に、ありきたりの私のうちなる言葉は、無残にも打ち砕かれてしまった。(のだ)

 こういう人生で初めて経験するウイルスの猛威の前には、コトバを発するのが億劫になり、増して老いつつあるわが体を、直撃するこの夏の暑さの 前に、初老凡夫はなすすべがないというのが、正直なところ。

でもまあ、幾分朝の時間は猛暑が和らいできたし、何かを綴る元気が湧いてきたので、しばらくは文字だけの写真なしの五十鈴川だよりになるが、元々18歳から世間に出て、満座に恥をさらしながら生きてきたので、この期に及んでという気もするし、やがて自然に書けなくなるのであるから、回数のことは考えず、書こうと思ったときには書く、わがまま五十鈴川だよりである。

さて、今も続く予断を許さないコロナ渦中のなか、もう5カ月以上、降ってわいたような静かな初老夫婦時間を過ごしている。幸い、お互いフルタイムではない仕事があり、社会的な活動もしながら、ほとんど遠方には出かけない自主的自粛生活を送っている。

子供たちが自立してから、こんなにも二人きりでの時間は初めてである。ヒトという生き物は状況に合わせて変化する。状況にうまく適応できないと、いろんな問題が生じてくる。さて我が家の場合はどうか。一言でいえばうまく回っている。詳細は省く。

子供が自立し、以後の夫婦時間の過ごし方で生じる、様々な老いつつ生きる諸問題、この半年間近くのコロナ渦中生活の中で、今も考えさせられている。ただ一言言えるのは、初老夫婦が穏やかに過ごすのに一番の大切なことは、やはりお互いがまずは健康体であることである。

そして相手を思いやるということに尽きる。家族に何事かが起こった場合は、五十鈴川だよりは、直ちに休筆する。人生本当に一瞬先はわからない、そのことをコロナウイルスは私に教え知らしめる。頭にではなく身体に。当たり前に享受できていることなんて、あっという間に消えてゆくという厳然たる事実を。だから今日をいかに生きるのか、そのことを初老凡夫はかろうじて今も考える。永遠にハムレットの言葉は星のように輝く。

このコロナ狂騒の中、シェイクスピア作品を読むと、頭にではなく体の肺腑に言葉が以前にもましてしみてくる。シェイクスピアのコトバは、非常事態生活の中で一段と輝く。

 

2020-08-15

終戦記念日、8月15日の朝に想う。

8月15日、敗戦、終戦から75年である。私は現在68歳、敗戦から7年、米軍の占領政策が終わり、再び日本国として、平和憲法のもと国づくりを進めてゆくほぼアメリカがレールを敷いた年に、宮崎の田舎に生を受けた。
 
あれから68年の歳月が流れた今年の夏は、コロナの猛威の前に、なすすべなくひれ伏すかのように、原爆の記念式典をはじめ、多岐にわたるあらゆる記念式典、これまでまるで当たり前のように行われてきた儀式、行事が自粛、また取りやめの重苦しい、なんとも表現不可能な終戦記念日となった。
 
コロナの夏で、私も帰省を控え、初めて経験する静かな初老夫婦の夏を 過ごしている。あの真夏、広島長崎、人類の上に、はじめて投下された原子爆弾の空前絶後というしかない、コトバがむなしい大惨事を日本は経験した。
 
原爆のみならず、先の大戦でお亡くなりになった戦渦の犠牲者は300万人以上といわれる。あの無残というしかない惨禍、焼け跡から 人々は立ち上がり再び復興し、焼失した
国土の面影は、繁栄と共に消え去り、あの戦争を直に経験した世代は高齢化し、私を含めた戦争を知らない世代が、戦後生まれが83パーセントに達したといわれる。
 
食べ物がある。衣類に事欠かない。夜露をしのぐ住まいがある。極めて当たり前のように想える生活、豊かな社会とは先人たちの努力の営為の賜物、筆舌に尽くしがたいご苦労の上に気づかれたのだと知るには、私も随分と時間がかかった。

とくに、気恥ずかしいくらいに私などは戦後の繁栄のおこぼれのおかげで生き延びることができ、争いのない平和というものの有難さを、享受してきた世代なのだと身に染みて思い始めたのは、還暦も近くなってからである。

そして想う。私自身高齢化してゆく中で、先の戦争体験者の言葉をささやかにほんのわずかでも、記憶の風化を止め、自分自身の言葉で語り伝える術のような努力を、元気な間はしなければならないと反省、自省するコロナ渦中の夏に思うのである。

とくにこの数年戦争体験高齢者が、おぞましいほどに、戦争がごく普通の人を狂わせて行く実態の諸相を語っているが、極限状況に置かれると人心はかくも無残に鬼畜かするのである。
 
他人ごとではない。飢餓に置かれれば人間は変質する。賢人は言う。衣食足りて礼節を知る。衣食がなければ人間は野獣かするのである。そのあまりにもの悲惨を避けるための指針が、平和憲法であると知る。
 
私の一文でこれ以上書くことは、むなしくなるので控えるが、世界は現在も筆舌に尽くしがたい無数の人々の困難さの営為の上に、我々の平和的な暮らしが送れていることへの感謝を胎に刻まなければならないと、まずは自分に言い聞かせる。
 
ともあれ、知る学ぶ。初老凡夫なりに一人の人間として、未来の人々のためにも、身近な家族、大切なヒトのためにも、暑さの中考え、自問自答の自粛生活の夏を送りたい。
 
 



2020-07-26

夏の朝、鳴き始めた蝉しぐれを聴きながら想う。

私の一番好きな時間帯。夜明け前から白々と明けてゆくこの静かな時の流れ、川の流れにではなく時の流れに身をまかせる。朝顔が開いている。アサガオはコロナとは無縁な時の流れに身をまかせている。

植物、樹木ほか沈黙の生命体は、静かに生命を拓いている。私もコンクリートやアスファルトの裂け目に居場所を見つけて、今を生きているあまたの雑草群の生命力に力をあやかり、ややもすると沈みがちになる内なる気を引き上げる。

自分がいま生きている場所で、あのアサガオのように静かにたたずみ、沈黙の笑みを浮かべるべく存在したいと念うのである。柄にもなくまるで瞑想生活とでもいうほかはないような状況を今しばらくは覚悟する。

こないだも書いたが、世の中に出て半世紀たち、忽然と現れたこの新型コロナウイルスは、オーバーではなく、この半世紀を何とか生きてきた、これまで自分が生きてきた歩みの中で、身につけたものの見方や考え方を、根底から揺さぶりあぶりだす、かのように思える。

私のつたない語彙ではなかなかにその思いが伝えられないのだが、この4カ月にも及ぶシンプルな足るを知る生活とでも呼ぶしかない暮らしは、あらためて今現在を生きている私にとっての大事な事柄を再確認、再認識させる。
妻は草花を大切に育てる、学びたい。

本当に大切なもの、大切なヒト等々、大事なことは目には見えないと頭では理解しているつもりではあるが、コロナウイルスのおかげで、あらためて生活の細部の中での大事なものへの気づきが深まってきたような最近のわたしなのである。

話は変わるが、この4カ月、以前にもまして、妻と一つ屋根の下で過ごす時間増えた。そのことが結果的に、今はいいように流れている。(気がする)初老夫婦 の過ごし方の方法の模索という点でも、このコロナウイルス騒ぎは、いい意味での試練を与えている。

詳細は省くが、妻は以前から家の中での過ごし方が、どちらかといえば苦にならないタイプで、私はまったく逆、家にこもらないで外の風を存分に浴びるタイプでタイプであったのだが、このコロナ騒ぎは私の内面生活にも、にわかに変容を及ぼし、気が付けば私もかなりのオタクになってきたのである。

急激に環境が変わったり、状況が一変した時に、きっと人類は何度もそのような苦境を体験し、今も災害や難所、あらゆる局面に多くの人々が困難の差はあれ、直面している。

その多大な空前絶後の試練にいかに対応、変化できるかが、それぞれの年代で、各人各様生きておられるのだろう。私などの置かれている状況はギリギリには程遠いが、いつ何時明日は我が身、くらいの最低の想像力をもっていないと危ない。

とまあ、コトバでは何とでも書ける、要は根本の自分の体を動かし、(頼れるのは動く身体と心)老いゆく渦中の躰でも可能な範囲で無理せず鍛え、物事を考えないと机上の空論になる。ささやかに体を動かして実践しながら、考える癖をつけたい。

2020-07-24

野火のように全国に広がる2次的なコロナウイルスの感染者の広がりに想う。

オオサンショウウオではなく、小さな小さな山椒魚にあやかるかのように、コロナ渦中以前から、基本的に静かな生活を心がけていたわが初老凡夫生活である。

だがこの4カ月は、コロナウイルスの猛威の前に、社会的生活激変の渦の中、否応なく私も静かな生活を以前にもまして送らざるを得ない状況を生きている。

若い時のようにはニュースやメディア報道ほかに、一喜一憂することはほとんどなくなった、限りなく少なくなった気がする。これは年齢のせいで感性が鈍ってきている証左なのではないかと思う。(浮世の世相とはかけ離れた居場所で私はうすらぼんやりと生きている)

老い老いの小さき命の日々の下り坂、物思い風情を能天気につづる、自分で自分に語り掛けるかのような、唯我独尊妄言的戯れ文五十鈴川だよりに、なってゆくような予感がする。

とはいっても他の人はいざ知らず、コロナ渦中のさなか、私個人は以前とほとんど変わらない(東京の家族や、遊声塾の面々に会えないことをのぞいては)生活が送れていることに関して、日々感謝している。早い話、火急の事態が出来したら、五十鈴川だよりどころではなくなるのは、あきらかである。

ある意味では、コロナのおかげで日常の些事に、よりストイックに真面目に取り組むようにさえなってきているようにさえ感じている。

俗に足るを知る生活というが、足るという認識は現代人の常識では、おのずと千差万別であろうと思うが、18歳で世の中に出て半世紀、この年齢で遭遇したコロナウイルスはあらためて、生きるということの回帰原点感覚を、覚醒させる。

五十鈴川だよりを書かなかった(書けなかった)この10日間のコロナウイルスの地方都市部にも及ぶ増加傾向は、能天気な初老凡夫にも じんわり不気味である。見えない、感染経路がわからないというのが。だからといって、やたら付和雷同し怖がっても致し方ないというのが、偽らざる正直な気持ちである。

前回も書いたが、できるだけ自分をコントロールしながら行動するようにはして命の防御を図るほかはないが、都会で現役でバリバリ働いている世代の心身の健康状態は想像するに余りある。だからなのかもしれない、 能天気に初老凡夫生活、五十鈴川だよりを書けないのは。
今しばらく、私も奥の細道をじたばた歩む、素晴らしい御本。

とはいえ、時は過ぎゆく。生活の細部、小事に随分と時間をかける、手間を惜しまない暮らしの実践をこの4カ月ささやかに心かけている。ときおりにしかやらなかったこと、例えば自分の部屋の雑巾がけとか、を意識的に。面白いことに変えてしまう。

大昔にまで帰らなくても、テレビやラジオ、車社会以前の生活、つまり私は幼少期の生活に限りなく近い生活をコロナの終焉まで、何とかやりながら心身の調節機能をはかりたいと思うのである。

だが、この先のウイルスの変容や拡大によって、社会生活が急激に変化しないとも限らない。社会の一員として、絶えず世の流れ動向に左右されるのではあるが、危機を生き延びた先人たちに習って、辛抱の時と言い聞かせている。

そんな私の今の一番の苦楽はひとりでできるいろいろな事、中でも今は弓の稽古 である。長くなるので端折るが、故郷の幸節館道場にはなかなか帰れないので、師の言葉に従ってとある道場での稽古を再開したのである。

先の帰省から戻り 時間を見つけて、週に平均2回程度続けている。過密を避け言葉もさほど不要、丹田呼吸ができるので実に心身が安らぐ。的前に立つにはいやでも心身の集中力持続が不可欠なので、初老凡夫には有難い。

コロナウイルスとの共生生活は、長期戦を覚悟している。収まるまでの間、受け身になるのではなく、能動的に静かに敵を迎え撃つくらいの覚悟をもっておのれを律しないと、この難敵は手ごわい。

2020-07-14

7月も半ば、雨音を聴きながら初老凡夫は考え想う。

目が覚めてしばらくたつが、依然として昨夜からの雨音が聞こえている。すぐそばの砂川が限界水位を超えたら、確実に我が家も水害に襲われる。そのようなことをいやでも考えてしまう、この数年来続く梅雨の時期の水害報道には、ある種の不条理と、虚無感が漂う。

いやでも、そしてかなり思考停止気味の初老凡夫の私でさえ、コロナ騒ぎの渦中でのこの被災のメディア報道の映像には、あらためて自然の猛威、天変地異の容赦のない力には、言葉を失う。だから、あだやおろそかな言は慎む。
抜群に面白く勇気づけられた

言葉では何とでもいえる。運命はかくも非情であることを眼前にこうも赤裸々に露呈されると、そんな目に遭うこともなく、日々を送れることの有難さに、ただただ思いをいたすのみである。

わが心のふるさとを流れる、五十鈴川もかなりの増水ときく。九州全土をおおうかのようなこの度の大水害、いつ何時兄や姉の住む小さな田舎町も水害災害に遭うやもしれない。まさに他人事ではない。

そのような中、コロナウイルスはこの暑い季節でも、まったく衰える気配が見えない。あらためて予断油断を怠ってはならない状況が、今しばらく続くことを覚悟しなければならない。

ワクチンの開発他、安全な普段の生活の 指針が示されない限り、自分の命は自分で守るくらいのある種の覚悟を持たないと、と自分で自分に言い聞かせている。あらためて侮れないこのウイルスの怖さを感じる。

が、かといってこの緊急事態のさなか、善良な市民生活の弱みに付け込んでの悪徳商法や、政治家のが繰り出す巧妙な法案提出などについては、注意深く目を光らせていないと、思考停止のつけが、いずれまた国民の上に降り注ぐのは、歴史が証明している。

姑息な検察庁長官の定年延長法案に対して、瞬時に数百万の人々がSNSで異議を唱えたのはもろ刃の刃だが、素晴らしい方に使えてこそ意義がある。(姑息な匿名の誹謗中傷などはもってのほか、コトバは凶器であり、ヒトを狂気に導く、これももろ刃だ)危機のさなかにこそ、落ち着いた生活をと、これは自分に言い聞かせる。話を変える。


地を這う本物の作家の仕事を教えられた
人間だから心は揺れるのであるが、この4カ月間、私の生活の中で精神を前向きにニュートラルに するのに効果があるのは、好きな文章ほかの音読、弓の巻き藁稽古、好きな本を読むこと、体を動かして自然の中で働くこと、ほかにも あるが割愛する。

要はオンラインであれリアルであれ、現在の自分の生活の中で、身体が喜ぶいちばん気持ちのいいことを 優先的に一日の生活を組み立てて過ごすということである。もう何度もくどいほど書いているが、できるだけ物やお金に頼らない自分の体に頼る初老凡夫生活をしなければ、足元からコロナウイルに引き抜かれてしまう危うい生活になりかねない。

ゆめゆめ油断大敵である。雨が降ったら傘を差し、強風の時はじっとやり過ごして過ごし👍耐えるしかない。肝心なことは楽しく耐えることである。些細な喜びを見つけ生きることである。

2020-07-05

コロナ騒ぎのおかげで菜園場にいる時間が増えました、そして想う。・

お休みの日、うっとおしい梅雨のさなか、地球が自転し新しい夜が明け、私はしみじみ元気に起きて五十鈴川だよりを書けることが、こころから有難く、うれしい。

昨日の熊本県の大水害の映像を見ると、我が家が水害に在ったこともなく、この年齢まで悲惨というしかない体験をしたことがない私には、遭われた方の心中は言語を絶する。

だから、余計なことは書かない。ただわが故郷に近い、県境をまたいでの球磨川流域の大水害なのでとても、やはり心痛がおこる。過去にわが心の五十鈴川も氾濫したことがあり、今兄や姉が住んでいたところも過去には水没したことがあるというが、私が故郷で18年間過ごした間には記憶にない。
幸節館道場

今回も今のところ、五十鈴川は氾濫していないが、先ごろ帰省していた際もかなりの雨が降り、増水していた。まだ梅雨が明けるまでは予断を許さない状況がわが故郷でも続く。他人事ではない。最低の備えと、いざという時自分の体で判断し、動ける体力を一年でも長く持続したいと思う私である。

避難するとき、一番大変なのは赤ちゃんやお年寄りである。いつも思うのだが、バーチャルやデジタル時代を非難しているのではなく(今回のコロナ騒ぎで、一面、デジタルの素晴らしさを再認識している)我々はリアルワールドに存在しているというまぎれもない事実である。

リアルワールドのすごさは、非常時や緊急の時にこそその猛威のすごさを露呈する。そして人間の本質もまたしかりであると、自分に照らして考えるときにそう思えるのである。

だから、普段の生活が大切なのだと、一日一日をあだやおろそかに生活してはならないのだと、弓の先生は言葉ではなく、弓をひく姿で語っていた。私も遅まきながら還暦を過ぎ、子育ての責任を終え、死者の側の声に耳をそばだてるようになってきている自分を感じている。

今この世で起こっているありとあらゆる事柄 、事象はすべてつながっているのだとの自覚が深まる。限界はあるが万分の一でも他者の置かれた心中を思い至るような想像力を、持たねばと、なくしたくはないと自省する。

話を変える。この4カ月近くわが人生でこんなに人と接触しなかったのは初めてのことである。この先コロナ騒ぎのめどが立たない限り、長期的に私は他者との交流が極端に少ない生活を余儀なくされるが、覚悟して耐えるしかない。
オクラやきゅーりも育ち、妻がぬか漬けにしているが、これが旨い

が今のところ、私は一日一日があっという間に過ぎてゆく、以前とはさほど変わらない生活ができている。これまた有難いことである。アルバイト生活ができ、わずかな面積ではあるが菜園場のおかげで野菜の生育に好奇心が深まり、次から次にやりたいことが続くからである。

シェイクスピア遊声塾のレッスンがかなわぬのはさみしいのだが、一日は過ぎてゆく。ならば今やれることをやるしかないのである。やりたいことは見つかる。
見つける努力をするかしないか、老いつつも今しばらく、私はかってにハムレットにあやかりたいのである。身体が動ける間は動ける元気を楽しむだけである。

あとは沈黙、という世界が来るまでは バーチャルとリアルを往還し、静かにしかしじたばたするのである。野菜も苗を植え実をつけるまでには時間がかかる。手間や労を惜しんでいたのではいいものは育たない。

わずかな面積の土を耕したり雑草を抜いたりして土をいとおしむ。とまとやナスなどのを収穫して喜んでいる自分がいる。コロナ騒ぎは負の面ばかりではない。ことさら新しい生活などと、のたまう必要もない。先人たちがずっとやってきたことである。私に新たな気付きをこのコロナ騒ぎはもたらしている。

2020-07-04

故郷に帰って幸節館道場で、I先生に4回弓の指導をしていただきました、そして想う。

ずいぶんと五十鈴川だよりを書いていないうちに季節は廻り、7月も早4日である。コロナ騒ぎは依然としてようをしれない中、約4か月ぶりに故郷に帰ってきた。

先週水曜日早朝に岡山を発ち、山陰経由で関門橋を渡り、翌木曜日の昼には故郷に着いた。4泊五日を過ごし、29日月曜日10時に門川を発ちその日の真夜中に無事、西大寺に帰った。

往復 、この年齢での長時間小さな車での運転で、妻や娘たちが心配する中、あえて車での帰郷運転を私は選んだ。理由はいろいろあるが、梅雨時の車窓の水田地帯の景観、西日本、大分、宮崎の風景を移動しながら物思いにふけりながら走りたかったのである。わずかに高速を利用した以外は、一般道路を走ったので時間はかかったが、それなりに、いい旅時間を過ごすことができた。

書きたいことはいっぱいあるのだが、コロナ騒ぎでなかなか帰省がかなわなかったので、いちだんとまた故郷の空気がしみた帰郷となった。半日、石井十次友愛記念館(友人が新聞記事を送ってくれたので訪ねた。いってよかった)を訪ねた以外は4日間、I先生が30年以上前に作られた、まさにわが町の 弓道場、幸節館に通い、I先生の指導を受けた。

先生は14歳で弓を始められ、今年弓歴70年であられる。市井の片隅で仕事の傍ら、ひたすら弓の道に精進され、自ら個人で自前の道場をおつくりになった、至誠一貫、つわものという以外ない雰囲気の持ち主である。道場の隅々にお花や樹木が植えられていて、弓に対するおもいが行き届いている。

このような方と、私は昨年の冬の帰郷で出会った偶然に、今となってはいわく言い難い思いにとらわれる。今回ついてすぐ私は幸節館道場におられる先生を訪ねた。先生ご夫婦は暑いさなか、汗をかきながらお二人で道場の庭木の剪定をされていた。

幸節館という道場の名前は、お二人の名前から一字ずつをとっている。夫唱婦随 の仲のいいご夫婦である。恐縮至極、ご夫妻は私の里帰りを喜んでくださる。I先生との出会いがなかったら、私は弓の世界からは遠のいたかもしれない。
この度の帰省で私は二つ目のかけを手にした

I先生の創られた幸節館という道場で弓をひきたいとの念い、I先生に稽古をつけてもらいたいとの一念で、再び弓をひくことに決めたのである。幸節館からは山の中腹にある我が家のご先祖のお墓がのぞめ、お墓に見守られて弓の稽古ができる。手を合わせるしかない。

よく金曜日の朝から、月曜日の朝の稽古まで都合4回、先生は熱心に暖かくも厳しい稽古を、なかなか帰ってこれない初老凡夫にしてくださった。ピーンと張り詰めた空気の中で、全身に神経を行き渡らせての稽古は、この年齢になるとそうは経験できない。

まさに一期一会の稽古、先生はご高齢にもかかわらず、眼光鋭く私の所作の隅々に目を光らせ指導してくださる。一対一、まな板の上の時間 、自分の至らなさが露呈する。でも終えると、先生の眼は涼やかである。その心がけで稽古を続けなさいと、一言。

まさに、この年齢で師と心から思える方に、出会えた幸運に感謝せずにはいられない。先生は人間として的外れにならないように指導してくださる。ごく普通の老人に見えるのだが、いったん弓を構えると生気がみなぎり84歳にして矢が的を射抜く。

大地に根を張ったような ゆるぎない構えである。大木は一朝一夕にはならない道理。歳を忘れ修行を重ねるしかない、わが故郷でよき師に巡り合えた幸せを、五十鈴川だよりにきちんと書いておく。

2020-06-21

4か月ぶりに五十鈴川を詣でる旅に出掛けることにし、そして想う。

県をまたいで移動する自粛が、ようやく緩和されたからだというわけではないのだが、約4か月ぶりに来週帰省することにする。

汽車も大好きなのだが今回は車で。この年齢での長距離運転を妻は心配するが、用心して帰ることにする。年齢と共に旅の重さが 、帰省ごとに深まる。兄や姉との語らい食事時間は確実に減ってゆく、それが生き物の宿命である。だからこそ、毎回の帰省旅時間を大切にしたい。


梅雨のいま我が家の花の色に心が和む


おおよそわが故郷までの距離600キロ。出来ることなら、走ったことのない路を寄り道しながら、時間をかけて西日本から九州までの道のりを、ただ移動するだけではなく、年々過疎化、高齢化が進む日本の山里の6月の梅雨の若葉が染み入る風景 を視野の中で愛でながら、のんびりと走りたい。今回は、時間をかけて山陰周りにしようかと考えている。

話を変える、同じようなことを繰り返し書いているような気がするが、今日は今日のおもいを綴っている。コロナ騒ぎ(今後も続くが)のおかげだと思うことにしているが、事自分にとっては、はなはだ貴重な数か月の自粛時間であった、と今想う。

置かれた立場や世代にとっては、天と地ほどの違いの過酷な状況を、世界の多くの国民が生きておられるに違いない。瞬時にSNSにより個人発信の動画が広まる。フェイクと真実の境界が曖昧模糊となり、同じ人類であるのにこうも国によって、行動思考様態がことなる。運命の不条理に言葉を失う。

だが、このコロナ騒ぎが、あらゆる局面でのことの本質の脆弱さを、多面的にあぶりだし、わが国の諸問題が露呈されたのではないかと、いう気がする。
まずは素直に謙虚に事実を知ることの大切さを教えてもらった

わたくしごとき、初老凡夫の頭では、これから先の時代などまったく皆目見当もつかないが、ひとりの今を生きる個人としてささやかに考えなければと痛感する。

でも陽はまた昇り季節は廻り、人心は風に吹かれて移ろいゆくしかないのだと、いい意味で前向きにどこかで、日々区切りをつけ達観するしかない。

世の中に出て半世紀、この激動の時代を曲がりなりにもにも生き延びてきて思うことは、一寸先の時代は、わからないというという極めて当たり前の真実である。

したり顔で語るテレビの識者と言われる人や文化人たち、政治家たちの厚顔無恥な堕落した顔相の悪さにはほとほと、書く気にもならないくらいに呆れてしまう。コロナ渦のおかげで、静かな生活の中でこの時とばかり、普段あまり手にしないような本をこの数か月読むことができたが、知る、学ぶことの大切さをあらためて痛感している。

再び話を変える、何はともあれ久方ぶりに故郷へ 帰れるかと思うと、初老凡夫の私の体はいまだうきうきする。ご先祖に深く感謝し、これからますます、つつましくも豊かな生活をいかにして学び、持続できるのかを再確認するためにも、久しぶりの帰省旅が、私には格別にうれしい。



2020-06-14

梅雨本番、鬱陶しい季節の雨の合間にに想う。

私のいる窓から望める空は分厚い雲に覆われている。先ほどまでは雨音が聞こえていたが今はしない。パソコンの応答がなかったので、散歩に出掛けようとしていたらアクセスできたので、しばし散歩はお預け後回しに。

もう6月も半ば、五十鈴川だよりを綴る回数が極端に少なくなっている。この調子では月に数回くらいにしか流れない五十鈴川だよりになりそうである。でもまあこれが今のところの自分としては、自然なのであるから、本人は書く回数が少なくなっても、まったく頓着していない。
妻は何かしら季節の花を欠かさない

なる様にしかならない雲の流れに身を寄せて老いの想像力にすがって生きる。努めて前向きに生きる。これまでもそうしてきたし、これといって私には他に気持ちよく生きるすべは見当たらない。

これまで歩んできた道のりの自分が、これからの歩む時間を照らしてくれるかのような、支えてくれているかのような塩梅なのである。それと書物、これまで読んできた多くのすぐれた先人たちの本を再読する。老いゆく私の足元をてらしてくれる。

話を変える。先のことは予断を許さないにもせよ、コロナウイルスも峠は越えたかのような感は漂うが、あきらかにこの度のコロナ騒ぎショックが、元通りの生活には戻りえないほどの後遺症が多面的に我々の暮らしに及ぼす影響は、初老凡夫の理解の遠く及ばないところである。

もうほとんどの社会的役割を終えた初老凡夫だからこそ、責任のない一文を書けるのだとのやんわりとした自覚がある。自分がもし子育て真っ最中であればと想像すると、きっとてんやわんやの日々を送っているのかもしれない。早い話、物事の真実は、置かれた境遇の各世代ごとの、万人の諸事情で異なる。運命は過酷である。
こちらは果肉植物

ただ人間は、社会的な一人では生きられない生き物であるから、このコロナ騒ぎがどこかしら、私の内面にも目に見えない心理的な影響を与え続けているのは間違いない。

にわかには言葉では表現不可能な、もっと言えば、言葉が無化されるかのような、ある種の恐怖を与えずにはおかないほどの大きな出来事の渦中を、まさに生きているとの認識である。

このようなことを書くと何やら深刻だから言葉は始末が悪い。おおよそ4か月、青天の霹靂のような、自粛的生活を強いられる羽目になったり、移動自由時間が少なくなったとはいえ、動かない静かな時間の過ごし方(の大切さ)は、増えたように思える。軽やかに深刻を生きるすべを見つける。

梅雨時、重苦しい雲の層の厚さに、気分も鬱陶しさを増しがちな日々だが、沖縄は梅雨が明けた。身体に精神の風を自由自在に入れ替える想像力、体力を日々保ちたい。


2020-06-06

わずかな夏野菜を収穫し、そして想う。

コロナ騒ぎのおかげと思うことの日々を、送るにしくはなし、といった気持ちでこの数か月を過ごしている。大方の社会的な役割を終えた現在を生きているがゆえに、このようなある種能天気な、初老凡夫ブログを書けるのだという、自覚がある。

おそらく想像を絶する過酷な状況生きざるを得ない、あまたの生活困難を抱え、途方に暮れておられる方が、全世界に無数におられる。そのような中、脳天気に戯れ文を綴れる己が我が身の現在を、私は心から有難いと思っている。

コロナ渦中のこの数か月、とにもかくにも五十鈴川だよりを書けるほどの元気さをキープできているのは、身体が何はともあれ元気だからである。遊声塾のレッスンができなくなったことと、遠距離の移動がかなわなかったくらいで、それ以外は基本的に変わらない生活が持続できている、ありがたいというほかはない。。

私のアルバイト先は、三密には程遠く野外であり、ひとり仕事なので気持ちがらくに働ける、私は18歳から生活者である。生活者を全うしたい。話は変わるが、コロナ騒ぎの渦中、いやでも自分の生活の中での優先順位、大切な事柄の再確認、見直しをしている。

毎週水曜日夜の、遊声塾のレッスン ができなくなってちょっとさみしいが、7年間何事もなく続けられたことが今となっては、ありがたい時間であったのだと身に染みて痛感している。

まさに一寸先は闇、予期せぬ不可抗力的な出来事が こうもあからさまにわが人生にも起こるということを、身につまされれている。でも下を向くのは性に合わない。元気に生きている初老凡夫、動いてものを想う律動は押さえられない。

五月のはじめバイト先で借りているわずかな土地に夏野菜(ジャガイモ、ピーマン、オクラ、トマト、ナス、きゅーり、シシトウ)を植え、先日初めて茄ときゅーりをわずかだが収穫できた。
夏野菜・お日様のもと・生え光る

土を耕し、雑草を取り、肥料をまき、苗を買い移植し、水をやり、生育を観察しながらようやく収穫。おおよそひと月以上。

この間天に向かう枝ぶりの成長、ナスの花、きゅーりの花の愛らしさ、トマトの花芽の小さな可憐さ。神は細部に宿り給うというが、然りである。その恵みをいただく。あの暑いお日様の力なくしてはいただけぬ夏の恵み。

実をつけ、やがては枯れるのではあるが、枯れるイククオール 死ではない。枯れて次の生命を生み出す偉大な土の一部と化すのである。輪廻転生。死と生は隣り合わせ、まさに密接不即不離なのであるのが摂理として腑に落ちる。水が豊かで作物が育ち、その恵みをいただける環境に、風土に生をいただいていることのありがたみを、この齢になって初老凡夫は深く自覚する。

命をいただき、自分の命となる。コロナ騒ぎがなく、自粛もなかったら、こんなにも夏野菜を観察し、手をかけいつくしむ気持ちは育たなかった気がする。





2020-06-01

6月1日の五十鈴川だより。

ブログなるものを書き始めた時、まだ中世夢が原で仕事をしていた。囲炉裏通信を書き始めたたいがために、私はパソコンにキィを打ち込む訓練から始めた。

その時言われた。ブログを書くなら毎日書かないとだめですよ、と。囲炉裏通信から五十鈴川だよりに変わってもう丸7年以上が経つが、このところ私の日常は、五十鈴川だよりを綴らなくても、何ら支障もない。(数少ない五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方には申し訳ない)

でもまだ心のどこかに、ああ、今日も五十鈴川だよりを書かなかったなあ、との思いはどこかにあって、なぜ書かないのかを書くためには、またずいぶんと書かなければならないので、ただ億劫なだけである。

そのような億劫なきもちで過ごすのは、一日がとてももったいないので、もっぱら気持ちが上向くようなことに時を過ごしているのだ。メディア報道に、一喜一憂している時間はもうすでに初老凡夫の私にはないのである。

この数か月の世界の変容というか、(オーバーではなく歴史的大転換の渦中に身を置いているかのような)様変わりに私自身の身体が追い付いてゆかないというか、置き去りにされて行っているかのような、(それでも一向に私は構わないのだが)妙なおそらくこれまでの人生では経験しなかったような、あるいはたまたま経験しそびれていたような感覚というか、感情が初老凡夫の体に生じているといったあんばいなのである。

だからこの言うに言われぬ、感情を言葉か、文字かすると誤解が生じるかのような気がして、億劫なのである。だが、そうは言うものの私が信頼する方々は、身を賭して発言されたり、あらゆる表現行為をなさっているのに、支えられながら生きている。

ハイテク、今やナノテク、マイクロチップを体に埋め込まれ、個人のデータや行動記録がビッグデータがに管理され、監視されているといった社会がもうすでにきているのだということが、コロナ騒ぎのこの全世界的な騒動の渦中で顕わになったということを、初老凡夫はしかと認識した。その丸裸にされる気持ちの悪さ、ごまめの歯ぎしり、きちんと書いておきたい。【人間は秘すれば花の存在が気持ちいいのである】

一言でいえば、気持ちの悪い、気色の悪い、超管理化された時代の到来の不気味な時代の足音を感じるのは私だけではあるまい。画面を通して、あるいは言葉や文字を通して、の情報をうのみにしていると、とんでもない世界へと連れ去られてゆくのではないかと、いう気が抑えられない。私は画面ではなく、命の下である大地を、地面をしかと眺めて暮らしたい。移りゆく花の色、波の音や鳥のさえずりに、耳を澄ませたい。見えないものを感じたい。
謙虚に学び知る勇気を与えられるお二人の貴重な対談

初老凡夫は体を動かして、感覚を砥ぎしまし、自然が放つ豊香に身を置き、自分のかけがえのない体が喜ぶようなことにコロナ騒ぎの渦中を生きている。

もう初老凡夫の私には余分な情報は不要である。つつましくもかくも美しく勇気をもって生きて遺した、先人たちの残した言葉の素晴らしさに撃たれる日々を、コロナ騒ぎのおかげで、私はいただく日々を生きている。

コロナ騒ぎがなかったら、落ち着いて読むことがかなわなかった素晴らしいというしかない多くの書物に巡り合えた。まさにコロナの功名というほかはない。何をしていても時は過ぎゆく、ならばいかに生きるのかを。大事な方々と、一回こっりの人生を生きてゆくための方図を初老凡なりに、書く回数は少なくても、きちんと綴れる五十鈴川だより、でありたい。

コロナ騒ぎの渦中、今私は土に親しむ時間を大切にしている。土との対話といってもいい。自分の体に根を張らないと、簡単に時代の趨勢に染まってしまう、流されてしまう。

自分という便りのない杭を勇気をもって地中深く撃ちこまないと、危ない時代が来ているとの嫌な予感が、外れることを祈らずにはいられない。

2020-05-24

五月の夜明けの陽光の有難さにつつまれる初老凡夫の私。

今朝も陽が昇ってきた。私は限りなく昔人の暮らしに、年々憧れるようになってきているので、もう数十年の早起き男である。早起きの効能については碩学、あこがれの老いを生きる達人、外山滋比古先生が度々説いておられる。

私は初めて先生の御本から、この言葉を知った時に、まさに膝を打ったものである。わずか半世紀で、時代の流れから、流れにはついてゆけない体になっているのを自覚している。ますます自分は少数マイノリティの側に身を置いているのを。
花の神秘に癒される

どこか、もうすでに自分は、この世の側にはいなくて、あの世の側に、すでに身を置いているかのような塩梅の自覚がある。でもまだどうやら生きているし、家族や身近に感じる方々がいるし、その方々のためにも、自分のためにも、死を身近に抱え込みながらの、初老凡夫人生を、いかに生きるのか、思案している。。

文学詩人ともいうべき、日本に帰化され、先年亡くなられたドナルドキーン先生が、晩年、もう私は 自分よりも若い方の本を読んでいる時間はないと、おっしゃっていた記憶があるが、初老凡夫の私もまた、まったくにして天才的な大先達のお言葉が、わずかではあるが、染み入る年齢になってきた。

老いゆく季節の味わい、深まり感が ますにつれ、あこがれていた方々が、自分の中で年々様変わりしてゆくのは、何故なのであろうか。これが老いゆきつつあるということなのだというほかはないような感情にとらわれる、が初老凡夫の私は、いまだ絶対矛盾的な揺らぎの渦中を生きている自覚がある。さすらい、漂泊し、移ろいやすい、物の怪を生きる。



コロナ時間、ずいぶんと本が読めている、これもまたありがたい。

話を変える。コロナウイルスのおかげですっかり出かけることが、かなわぬような 世相の渦中に身を置いている初老凡夫の私であるが、本を携えてのささやかな旅ができないことは、やはりつらい。早いところ、県をまたいでの移動自粛 が解除されるようになってほしい。初夏、五十鈴川のほとりにしばし立ちたい。

とは言うものの、私の中ではコロナの効用のようなものが確かにあって、こんなにも移動せず、人にも遭わず、静かな自問自答生活を(今現在もだが)送ったのはわが人生で初めてのことである。じっと動かず、過ぎし来し方を振り返ることは、コロナ騒ぎがなかったら訪れなかったかもしれない。ありがたやと思うことにする。

事程左様に、禍福は糾える縄の如しという言葉が沁み行ってくる。何気ないありきたりな平凡な時間の何という非凡さの有難さが、こんなにもしみたこと、五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。

動ける。移動できる。孫や家族友人、知人、会いたい人に会える。そのような時間が再びやってくるのを私は待ちわびる。




2020-05-17

11日ぶりの五十鈴川だより、コロナウイルスのおかげで死生観が心なしか深まったような気がする。

11日ぶりの五十鈴川だよりである。えーっそんなに書かなかったのかと我ながら驚く。
 初老凡夫が自分自身をセラピーするかのように、自己満足的に書き綴っている五十鈴川だよりだが、こんなに書かなかったのは珍しい。

なぜ書かなかったのかを、つらつら書く気にはならない。ほかに優先してやりたいことがあったことと、誤解を招かないように想うのだが、コロナ一色報道にいささかうんざり、していた(いる)からである。書けばあらぬ誤解を招きそうで、小心者の私としては避けるのである。
妻の丹精のおかげ、今年も咲き始めた我が家の蔓バラ

画面を眺めるよりも、天然の地面や空、雲の流れ、変化する月、多種類の樹木の新緑の日々の葉っぱの変化、つまりは大いなるものを眺め、触れ、対峙している方が気持ちがいいからである。

誰もいない公園で、雨上がりの水たまりを裸足で踏みしめ歩く。まっすぐ意識して立ち、足裏全体重力に任せ大地を踏みしめる。大地が足裏マッサージをしてくれる。

10分以上歩くと小石にもまれ、足裏がじんじんする。老いゆく身体の毛細血管に血が行き渡り、じんじんしだしたらやめて足を洗い靴下をはく。気持ちがいい。もう私はできる限り、正直に身体が喜ぶことしかやらないようにしようと、思考する。

できる限り画面に頼らず、文字に頼らず(頼るのだが)直観を鍛え感覚に頼る、虫のように。時代遅れの(で構わない)昔人のようにありたいと願う。目に頼らず、耳を澄ます。ゆっくりと歩く、老いを受け入れあらがわない、初老凡夫を生きる。情報にふりまわされず、自分の体が発する声に耳を澄ます。夜は手元だけ照らし、余計な明かりは避け、小さい頃のようにうす暗い中で集中して本を読む。

幸いなことに、転がる石ではないが、本が本を呼ぶ。学ぶことは至福である。ありがたい、いまだ体は転がる。それを子供のようにできる無心で、楽しめる躰でありたく念じる。念じるという字は、今と心で成っている。老いつつますます手で字を書くことを心かけている。発見がある。今日一日の中に安らぐ生を見つけて過ごす。

今現在の自分なりの非常事態(といわれている)自粛生活 を有意義に気持ちよく過ごしていたら、五十鈴川だよりを書かなくても、依存しなくてもいい日々が今のところ送れている。(からである)

コロナのおかげでヒトとの接触が極端に少ない生活をもう2カ月以上もしている。妻には縁起でもないとよく言われるのだが、私は以前にもまして死について真面目に考えている。(気がする)人は不安になり、病や死を恐れる。私だってそうである。何故か?考えるのである。結論が出なくても考えるのである。そして日々いかに生きるのかを。

どこで死にたいかについては、10日前に書いたので重複は避ける。もう五十鈴川だよりでは何十回も書いていると思うが、メメントモリ、死について考えないのは、生についても考えないのと同義である。過労死してまで、ヒトは何故汗水流して働くのか、ハムレットは死を恐れるからだというが、果たしてそうか?自分を愛せずに人を愛せるのか?経済の、金の奴隷でいいのか?永遠のスフィンクスの謎?ヒトは永久の謎を闇を生きる?

いきなり話は変わる。個人的な事だが、高校生の時に演劇に出会ったおかげで、一回限りの右往左往人生を歩むことになり、あれから半世紀以上、よく生き延びたという感慨と共に、一歩判断を見誤ったら、とうに自分の人生は なかったであろうとも思う。なぜ生き延びることができたのかは、演劇を学び、複眼的な思考をいくばくか学んできたおかげなのと、運に恵まれたからである。
五十鈴川だよりを書いているとやってくる花、天然である。

人生は一回こっきりである。ギリシャの時代から、2000年以上演劇という古い芸術は続いていて人間の存在の謎を問うている、善悪を、悪魔と神を、この世とあの世を、【今現在も】、感動する。

このAI時代でもいまだ生身の人間が舞台やスタジオで演じている。たとえオンラインの画面越しであれ、画面の向こう側では生身の人間が体で声を放っている。

話は飛躍するが、この体というかけがえのない唯一無二の存在は老いや病、死という摂理からは逃れようがない、壊れやすく移ろう器である。いやでもその自分の体について考えるようになったのは、声を出す器としての無二の躰、演劇をまなんおかげである。

死はまるで事故のように突然訪れるとの賢者の言葉がある、コロナウイルスのおかげで、逃れようのない摂理としての死への覚悟がわずかではあれ深まってきたのは、五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。

2020-05-06

GWを私はアルバイト先の小さな作業小屋で主に本を読んで過ごし、考えた。

五月六日朝、GWも今日で終りである。非常事態宣言中であれ、時は過ぎゆくのである。

68年間も生きてきて、おそらくこのようにじっと静かに過ごしていたのは初めてではないかとあらためて思う。ヒトはおそらく一生の間にはきっと思いもしない予期しえない出来事を、どの世代も 経験してきたのではないかと思い知る。

さてこの数十年、必ずといっていいほど帰郷していた五十鈴川を詣でることなく私はGWを過ごした。月日が流れ、コロナが落ち着き緊急事態生活が解かれ、また再び平穏な生活が(心から私はそれを望む)送れるようになったら、これはこれでよいとまではいわないが、物事の原点を思考するには良き時間であったと、想えるかもしれない。

だが、世の中にはこのような初老凡夫のたわごとも許されないような、苛酷な状況を生きておられる方が、無数におられるに違いない。だから、五十鈴川だよりではこれ以上の能天気な一文を綴ることは控えたい。
普段読まないような本を随分読むことができた

さて、私は何をしていたかというと、アルバイトの先で借りている菜園場の土を耕し、ピーマンやナスやトマトを植えたりしながら、その菜園場で土に触れながら、そこにある作業小屋で主に本を読んで過ごしていたのである。

そのバイト先には、道具や機械がしまわれている小屋がありその小屋には電気も来ていたので整理整頓しスペースを作り、椅子とテーブルを置き、ちょっとした隠れ家のように過ごせるスペースをつくったのである。

そこではお湯を沸かしお茶を飲むことができるし、雨を避けて本を読んだりもできるのでだ。このところちょっと一人になりたいときに隠れ家的に使っているのである。午前中か午後どちらか、あるいは一日中そこで過ごしたりしていたのである。

もちろん自宅にも、十分にスペースがあるのだが、この休日の作業小屋には周りにまるで人気がなく、近所に気兼ねなく大声が出せるし、何よりも秘密めいたひとり時間が過ごせるので、すっかりお気に入りなのである。

話は変わる。人生の最後をどこで迎えたいか 、考える。現時点では五十鈴川の近くであるが、そうは問屋が卸さない、ままならないことは承知だが、姉は帰って来いというし(ありがたい)考えたい。
妻が育てたジャスミンの香りが我が家に満ちる

方丈の庵、程度のスペースがあれば、老い先ゆく身には足りると思う。可能なら囲炉裏があり、物思いにふけり戯言が書け、山野の移り変わりがのぞめればいうことなし。食は細くなるので、一汁三菜(時折肉)で足りるのではないかと、愚考する。

動けるうちは、弓をひき、姉や兄、宇納間の日高ご夫妻を訪、ねぼんやりと語らい、墨でも擦って文字でも書きたいと、夢うつつのこの世を向こう側から眺めるように生き、生を閉じられたらと。

だが先ほども書いたが、思いのままにはゆかないのが世の常。だが、だがである。念じ動いていると、このバイト先の小屋であれ、天は恵んでくれる。考えようによっては現在の方丈の庵といえなくもない。要は今はまだ二本足で大地を踏みしめ耕し、心から強く念じることである。

じっと落ち着いてたたずむ居場所、空間があるというのは、男にとって格別なのである。とりあえず今の世の中で、この年齢でくつろげる居場所があり、まだまだ動ける身体があり、食べ物があるということの有難さを再確認、今日もこれから倉庫、ウエアハウスで 午前中を過ごすことにする。

2020-04-30

緊急事態生活、初老凡夫は想う。

起きたばかりでまだ身体は胡乱な状態であるが、何か書きたくなる。新聞が届いていて一面に緊急事態宣言延期へ、とある。

主に3月中旬あたりから万人に与え続けている精神的、心理的不安激震は今も続いていて、今後どのような形での推移してゆくのかさえ定かではない状況を、オーバーではなく世界中の人々が生きている。

もう、いわばかなりの人生の季節を終えた初老凡夫の私でさえ、孫たちの行く末の未来を案じるのだから、突然降ってわいたような生活窮乏に陥られた方々の境遇を想像すると、まさに言葉を失う。


もし自分がそのような立場になったら、どのような言葉も心に落ちなくなるのは必定である。五十鈴川だよりではこれ以上の言葉をつづるのは控えるが、人生は不条理、非情であるというこれまでの歴史(現在もだが)を鑑みると、無常観すら漂う。

初老凡夫の語ることではないにもせよ、傍らに死屍累々のさなかでも、人類はその悲惨さの中から何かを学んで、今現在の世界的な問題山積の混沌の渦中を生きているのだと、知る。

話を変えるが、このひと月コロナ報道に埋め尽くされているかのような、メディア報道や新聞をかなり真面目に読み続けて、ずいぶんと感染症というものの恐ろしさや歴史を知ることができた。

時間があるおかげで、へーっと学んだいくばくかの記事を切り抜いて、ノートに貼りつけたりして、私なりに緊急事態生活をささやかにしのいでいる。だってこのようなことは、わが人生で初めてのことなのであるから、禍を転じて生きるにしくはなしとの、ごまめの歯ぎしりである。


いただいた白いチューリップと友人が作った流木オブジェ

そのような日々の中、一昨日霊長類研究所の雄、京大の山極寿一学長がM新聞に寄稿した【シリーズ疫病と人間の第一回】じっくりと読んだ。興味のある方はウェブサイトを検索して読まれるのをお薦めする。

長くなるので五十鈴川だよりではこれ以上の言及は避ける。ビフォーコロナ、アフターコロナ、わが初老凡夫生活もささやかに変容を迫られそうな気配である。

普段からの、これまでどおりの、ささやかつましやかな生活の充実を実践するくらいしか、私にはこれといった特効薬は見当たらないが、わが国の良寛禅師の生き方他、こういう時にこそ座右において、範を示してくださる先人たちの姿から学ばねばと初老凡夫は反省する。

2020-04-26

こういう時はただじっと天を仰いで、大地を眺めて過ごす。

珍しく兄からメールが届いて、著名人の死にショックを受けた内容がつづられていた。私から兄にメールを送ることはあっても、兄の方からのメールは、たまさかのことなので、珍しく私もちょっと長めのメールを返信した。

先週18日以来なので、ほぼ一週間ぶりの五十鈴川だよりである。誤解なきように書くが、私自身の日々の暮らしは、毎週7年間以上続けていた、シェイクスピア遊声塾のレッスンに、夜出かけなくなったくらいで、生活にはさほどの大きな変化も支障も今のところはない。有難いというほかない。

が、都市部や盛り場観光地ほか、ヒトの気配が消えたかのような映像を見ると、いかにこの新型ウイルスが多面的に経済他社会的に影響を与えているか、心理的に不穏な圧迫、予測の立たない状況下に、日本列島、世界各地の人々が置かされているのかが、身につまされる。

きっと私のような、凡夫の想像力を凌駕するような事態が、頻発していることは想像に余りある。だからといって、何ができるのか、何をしたらいいのかは、悲しいほど各々で考え耐えるしかない。
あまりにも赤裸々な人生が豪放磊落に綴られていて打たれた

NHKのメインのニュースなどはほとんど見ないが、珍しく東北原発事故津波災害以来、私にしては珍しくインターネット上での様々な情報を、たまにだが開いている。まさに時間がいくらあっても足りないほどに、情報があふれかえっている。

こういう時にこそ、自分の体で物事を冷静沈着に考える力のようなことが試される。インターネットのおかげで、明るくなる話題や勇気をいただける個人発信の人間力あふれる方々の、多数の存在を知ることができるのは、デジタル時代の良き面であるとは想う。

私のような時代に即応できかねる、ついてゆく気のない初老男にとっても、表裏があっても良き面をあらためて、認識しなおしている。要は情報をかみ砕く己の良識次第である。

さて、見通しの立たない日々だが時間は過ぎゆく。日々人は亡くなり、新しい生命はこの渦中でも生まれてくる。どのような悲惨な歴史も、人類は破滅せず何とかしのいできた歴史を、遅まきながら改めて知る時間に充てている。

私の個人史の時間の中でも、東北の原発事故以来の大事件になりそうなパニック化もやぶさかではないコロナウイルスの猛威が、終息するのを祈るしかない。やがてこのコロナウイルス終息後の世界が、どうなるのか、ならないのか、私が元気であれば、是非見届けたいところである。

根本的なパラダイムシフトの変換が、起きてゆく方にじんるいの英知の結集を初老凡夫と しては、願わずにはいられない。

東京一極集中のみならず、大きな都市に人間が過密に暮らす街づくりを根本から見直さないと、ウイルス感染は今後もたびたび猛威を繰り返すのではとの杞憂である。私の生まれた五十鈴川の流れる小さな町には今のところ、まだ一人もコロナの感染者が出ていない。

限界集落に近い姉兄たちの暮らす小さい街と、 テクノポリスとの感染者のあまりの格差は何を暗示しているのか、凡夫の私でさえ恐怖を覚える未来図、考えたくはない。私は限界集落で、金に振り回されず、五十鈴川を眺めて魚釣りでもして、焚火などしながら暮らしたい。

遺伝子の組み換えはじめ、優性思想、俗に世の中を支配しようとする側の人間たちは、人間には制御しえない世界が、宇宙の摂理、神の領域があることに鈍感である、とおもわざるを 得ない。

コロナ新型ウイルスの不気味さは、人間の存在の在り方を直撃しているかのように、私には思える。でくの坊という存在に初老凡夫は限りなく憧れる。



2020-04-18

コロナウイルスの猛威の中、手の届く範囲での生活を今一度見つめなおす。

起きたら雨が上がっていた。今週は外での一人体動かしアルバイトが恬淡と続いているおかげで、今のところ私の体調はコロナウイルス騒動以前とほとんど変わらない。

だが国内はもとより、この世界的なコロナの危機は、今しばらくというか、画期的なワクチンや薬でも開発されない限り、長期戦の覚悟をすべての国民が覚悟するしか方図がなさそうな雲ゆきである。ゆめゆめ油断は禁物である。このウイルスは変幻自在、神出鬼没である。

春爛漫の最高の時節のいい季節に、自室からあまり出ないような自粛生活はことのほかの禁欲的なストレスをもたらすが、致し方ない、 耐えるしかないい。

この数十年、必ずGWは故郷に帰って、英気を養い、穏やかな故郷時間を楽しんでいたのがまるでかなわぬ事態になったことに、いささか呆然自失の体である。あと一週間もすれば故郷の空気の中に居られたのに、かなわぬことになってしまった。(本音を言えば、だれとも接触をせず、五十鈴川にたたずみ春の陽光に身をさらしたい)
万分の一でもこの方のように老いてゆきたい

したがって、私はGwを人とは会わず、主に家の中で過ごすことにし、気分転換には近所のお散歩、この際簡単な料理などにも挑戦したりして、なるべく気分がふさぎがちになるのを防ぐためのあれやこれやの対策を立てようととかんがえている。(誰もいないところで、距離を保ち、マスクをして無言の焚火なんていかがだろう?誰もいない海に向かってシェイクスピア作品のコトバを大声で胎の底から出すなんてのもいい)

薫風と新緑が目にも鮮やかなこの季節、コロナウイルスのパンデミック狂騒がなければ、年に一度の日本人にとって天国のようなGWであったはずが、身動きの取れないあらゆる意味で不自由な生活を余儀なくされようなどとは、いったい誰が想像しえたろうか。

事程左様に、まさに一寸先のことは予知しえないということを、あらためてウイルスという目に見えない感染の恐ろしさを、凡夫の私はようやくにして、お恥ずかしながら実感している。今はただ、識者たちの言に従い、ヒトとの接触を避けての生活を営むほかはない。

信頼できる山中伸弥先生の言説や、本庶佑先生などの意見に深くうなずきながら、普段できない手の届く範囲でやれることの中に、新たな喜びを見つけたい。非常事態をいかに生き延びるかの知恵を養うたまさかな時間だ、くらいに考えたい。 そして、医療従事者はじめ、多大の犠牲を払いながらお仕事に従事されているあらゆる職種の方々のことを、こころの片隅で想う。


2020-04-12

コロナウイルスの脅威に雨音を聴きつつ凡夫は想う。

小さな温帯的圧程度の認識であったコロナウイルスが、凡夫のはるかに及ばない、想像を絶する超大型台風並みの感染爆発が、わが国でも大都市ばかりではなく、地方にまで及びそうな気配である。

もう何度もかいているから重複は避けるが、この3週間、特に4月に入ってからは不要な外出はしていない。アルバイトには出かけているが、ひとり野外での仕事なので 仕事中はマスクもしていない。

先のことは、ゆめゆめ予断を許さないが心身ともにおかげさまで今までとほとんど変わらない生活ができている。都会をはじめ盛り場からは閑古鳥が鳴いているかのようにヒトの気配が消えている。極端に人影が消えている。(ようである)

私を含めた多くの人が自宅で過ごしているのだろう。自由気ままに行動できないということが、ヒトに(特に動き回るのが大切な子どもに)これほどの負荷を心理的な抑圧を与えるのかは、個人差が大きいとはいえ、狭い団地やアパートで過ごさなくてはならない状況下に置かれている方々の、やり場のない閉塞感は想像に余りある。
軽くて最高、希望のマスクである

話を変える。一人一人が嵐の過ぎ去る方図を試行錯誤するしか、今のところ対策特効薬はないと覚悟するしかない。妻は手作りのマスクを作っている。だから私はマスクを買っていない。東京の娘たちにも送るそうだ。

心ある企業人たちが消毒液を寄付したり、国内外善意の支援を差し伸べたりしている方々のニュース映像も目にしている。方や便乗悪徳の輩のニュースも。人間というものは(私自身も含む)実に厄介至極である。

ヒトはそれぞれの置かれた状況を生き延びるしかない、というのが冷静な私の認識である。だから余裕のあるうちはきれいごとが書けても、いざとなったらわからないくらいの自己懐疑力は持っていた方がいい、と思う。

とはいうものの、できる限りギリギリまでは付和雷同しないための力を養っておきたいと念う 。いざという時、危機に人間の本質が図らずも露呈する。他人れんさのごとではなく、自分が感染した時にどうするのか、どうなるのかを考えてどうにもならないにもせよ、考えねばならない、いよいよのこれからのひと月のゾーンに入ってきたかの認識を持っている。

まったく他人ごとではない、自分自身のこととして考え行動し、生活し、大切な命と日々向かい合わなくてはならない。オーバーではなく覚悟がいる。



全編日本語で書かれている(外来語はカタカナのルビ、すばらしい)
さしあたって、生活の些事を丁寧に行い、これまでとほとんど変わらない静かな暮らしを今のところ続けられているのは、身体が動いてくれるおかげである。コロナウイルスは当たり前のように生きて動ける根源的な喜びの何気ない有難さを、知らしめる。

 欲望の肥大化した便利快適、グローバル人類都市化社会に、コロナウイルスは変幻自在に姿を変異し忍び込む。脅威である。文明の恩恵を被って生きていられる私自身の生活の今を、根底からコロナウイルスが脅かす。

足るを知らない、消費資本主義グローバル化社会の行く末、近いうちにコロナウイルスがもし終息したとしても、未来、果たして今後どのようなウイルスの新たな脅威にさらされるのか。コロナウイルスは前代未聞の問いを人類社会に向かって投げかけているのではと、蒼穹の下春の訪れを告げる草花を眺めながら凡夫は想う。

2020-04-09

夕方月を眺め、明け方再び同じ月を眺められる今に感謝する私。

起きて新聞を取りに行ったら西の空に美しい満月が残っていた。昨日夕方用事があり先月の遊声塾のレッスン以来久しぶりに岡山に出掛けたのだが、その帰り東の空にぽっかりとオレンジ色の満月が姿を現し、月の大好きな私は車窓から月と満開の桜を車を運転しながら、しばしコロナウイルスのことを忘れ、お月見とお花見を一人で楽しんだ。
東京の娘たちに贈ることができる

この調子では塾が再開できるのは先のことになりそうではあるが、生来の宮崎人的なのんびり屋でもある私の一面は、なる様にしかならないいわば危機のようなことが出来すると(個人的ではなく、これほどの社会的な危機はわが人生で初めてである)じっと嵐が過ぎるのを待つだけである。

できるだけ危機的状況を、そのさなかにあってもできうる限りの範囲で、なせることを淡々と生活するだけである。昨日は肉体訓練労働アルバイトがお休みだったので、午前中はキンカンの収穫や、午後はバイト先で借りている個人的な小さい菜園場に植えていたネギを収穫したりした。

それ以外にも声出し、弓などのルーティンワークがいろいろあるし、掃除やメルの散歩や買い物など、日々の暮らしのこまごまとしたいわば生活がいわば私の場合基本なので、その基本を先ずは押さえたうえでの、生きがい的な趣味、それがかなわぬ時はあくまであきらめるにしくはなし、といった心境なのである。
このところ普段はあまり読まない小説を読むのが愉しい

世界の非常事態地のあまりの急激な感染拡大で生じている惨場、遺体が放置されている映像などを見ると言葉を失う。関東大震災やおそらく戦中戦後の庶民の暮らしなども、簡単に比較することはできないが、もっともっとすさまじかったはずであるし、早い話人類は幾度もこのような危機を潜り抜けてきたのであろう。

ウイルスの災厄が自分のこととして 、親族、家族や友人に及ばない限り、悲しいかな人間は受け止める想像力の限界を生きるしかないにもせよ、この未曽有のわが人生に訪れた突然の危機を、一庶民の日本人の一人として落ち着いた行動をしながら、日々の暮らしの生きられるありがたさや、当たり前に桜や月を愛でられる今に感謝する私である。

何はなくとも月は出て、花は咲く。食いものさえあれば、命がつなげる。命が在っての仕事である。先人たちは乗り越えてきた、そのことから学ぶ、そのことを私は肝に銘じるつもりである。


2020-04-05

CW・ニコルさんがお亡くなりになった、そして想う。

昨日CW・ニコルさんの訃報に接ししばし言葉を失った。いつも思う、亡くなられていかに自分がその方から影響を受けていたのかがわかるのである。

20代のころ、氏の書かれた小説を数冊読んだ。 今も手元にそれらの本がある。自然を破壊して突き進む経済優先資本主義の行く末に、絶えず警鐘を鳴らし続け、こよなくこの水の惑星の素晴らしさを教え続けてくださった、稀有の畏敬するナチュラリストであられた。行動し体感し発言し文章で伝える、文武両道の達人であられた。

お目にかかることは かなわなかったが、いつか氏が心血を注がれた晩年のお仕事、長野黒姫山のアファンの森を訪ねたく念っていた。年のせいだと思うが、年々私の自然回帰、ふるさと回帰志向は深まるが、やはり心の片隅のどこかに氏の存在が自分の中に生き続けているのを感じる。

M新聞にカントリージェントルマンを不定期だが連載しておられ、時折切り抜いたりしていて、お亡くなりになられる4月2日(木曜)も掲載が続いていたし、よもやまさかその2日後に訃報を聞くとは思いもしなかった。

カントリージェントルマンは直腸がんに侵され、入退院を繰り返しながら書かれたのであることを知らされる。そのいちいちの文章の重みをしっかりと受けとめなくてはならないと、ぼんくらの私は感じいる。

朝一番新聞を手にした、短い評伝を書かれた萩尾信也氏の一文にこうある【 人間は、大自然の恵みへの感謝と共生のすべてを忘れてしまった。この星はいったいどこに向かっているのだろう】と。

33年前、35歳の時に読んだ長編あらためてもう一度読みたい

コロナウイルスのまん延に、カントリージェントルマンの一文で、ゆきすぎた経済発展幻想文明に 病床から警鐘を鳴らし憂いておられた【新型コロナウイルスは、今後、我々を襲うであろう災厄の先駆けに過ぎない】と。

わたくしごときの頭でこれ以上の拙文を弄することは控えるが、昨年暮れに亡くなられた中村哲先生も長きにわたって、行き過ぎた文明の作りだした温暖化をことあるごとに危惧しておられた、終わりの始まりを。クラスター爆弾や レジ―カッターほかの、おぞましい新たな生物を使う人間に(兵器の殺傷能力、いつも無辜の民が犠牲になる不条理に暗然たる怒りがにじんでいた)絶望しておられた。

中村先生のいいしれぬ深い憂鬱とCW・ニコルさんの底しれぬ苦悩は、方やアフガニスタンの緑の用水路となり、方やアファンの森となったのだと、今にしてわかる。

お二人に共通して言える偉大さは、絶望を希望に変えたまれな行動力と具体的に具現化する根性を伴った頭を併せ持っていた。傑物というほかはない。

コロナが落ち着いたら、アファン の森を訪ねたく思う。心からご冥福を祈る。


2020-04-02

シェイクスピア遊声塾しばし閉塾、そして想う朝。

4月が始まったが、全世界がコロナウイルスショックの渦中にあり、燎原の火のように広がり不気味である。わが国でも集団的な感染が地方でも起きる可能性は否定できない。

シェイクスピア作品の音読をまる7年にわたって続けてきた(これた)遊声塾のレッスンも昨夜からコロナウイルスが収まるまで、無期限のお休みとすることにした。

この7年間、数回お休みしたことはあるが、ほとんど毎週水曜日の夜はレッスンをしていた。だから昨夜は家にいるのがどこか奇妙な感じであった。昔から事実は小説より奇なりというが、まさにそのような感じ。

ハムレットは言う。この天と地の間には哲学など及びもつかぬことがあると。ロミオは言う、哲学でジュリエットがつくれますかと。私に言わせれば、コトバなどではとてもではないが、今わが人生で起こりつつある出来事の推移の懸念を言い表しうる術はない。

が、悲しいかな私の場合考える葦、心身機能を整える大部は、コトバにすがって日々をしのぐ。もうあらかた人生を過ごすことができた初老男なのではあるが、いまだ経験したことがない出来事が起こっている。(起こりつつある)いままさに非常事態かせんと、迫る状況下にある。
こういう時にこそ普段手にしない本を読んで過ごしたい

戦前戦後のあまりの過酷さを生きられた多くの諸先輩方は、あまたの艱難辛苦を潜り抜けてこられておられるから、耐性があるかもしれないが、我々の世代以降は食うに困らぬ世の中しかいわば知らないので、この状況が長引けば書きたくはないほどの事態が出来するのでは、との懸念はつのる。

とはいうものの、スーパーマーケットにはまだ食い物もあるし、戦前戦後のあの悲惨さとは比較しようがないほどの状況下ではある今、想うことは何度もかいているが浮き足立たない、じっと嵐が過ぎ去るまで静かに耐えることである。

耐えつつ考える力を持つということである。感染された方々や、医療従事者、物流で動いておられるかた、つまりはこの社会を底辺で最前線で支えてくださっておられる方々への感謝と、寛容の精神を見失わない努力が大切である。

ユウチューブなどで、気詰まり感を払拭するために、いろんな方々が希望を失わない試みをなさっている。若い方々はやはり素晴らしい。こういう時にこそITライフが有効なのだと思い知る。 五十鈴川だよりを書けるひとときが、どれほどわが一日にとってありがたいかがあらためてわかる。

当たり前の日常がこんなにありがたいとは。好きなもの同士集まって音読ができることがこんなにもありがたいとは。平凡の非凡さ、をこそ思い知る初老男である。

2020-03-29

心頭滅却して過ごす、コロナウイルスパンデミックの渦中の静かな生活。

日曜日の朝起きて洗面を済ませ、弓の巻き藁をやっていたら朝日が差してきた。この数日続いた雨の後であったので、実に気持ちがはれ上がり、にわかに五十鈴川だよりがつづりたくなった。実に精神というものは天候に左右される。昨日の予報では関東エリアは雪と報じられていた。(娘の住む窓から望める雪景色が送られてきた)

さて、大都市、人口の多いエリア千葉県などではコロナウイルスの感染者が日増しに増えていて、まさに先行き予断を許さない状況が続いている。この調子では地方の人口密集地でなくても、不要不急の外出は控えるようにとのお達しが出るのも予想される。

わたくしごとになるが、今年に入り私はアルバイト、お墓参りの帰省や、塾のレッスン日ほか(先週の孫の上京お誕生会も含む)、きわめて個人的な用事以外ほとんど不要不急の外出はしていない。

もっと書けば、この数年本当に 外出しなくなった自分がいる。老いるにしたがって、動きまわらなくても足りる生活を好む方に変化しつつあるのである。とはいうものの、いまだ私は基本的に旅が好きであるし、絶対矛盾を抱えつつも、日常の中に非日常的な感覚を取り込めるような生活ができないものかと思案する。いよいよもって初めて経験する老いの下り坂を、前向きに下ってゆきたいと思わずには、居られないのである。
久しぶりに読み応えのある小説を読んだ、作者の意気が素晴らしい

先のことはわからないが、コロナウイルスが終息したら土取さんの企画を推し進めるためににもゆっくり動き回らないといけないし、コロナウイルスの発生する前からほとんど人混みの中に出掛けないような暮らしをしていたから、さほど私の暮らしにはことさらな変化はない。

大変なのは就活中の若い人や個人事業主、現役バリバリの世代や、子供たちである。娘たち家族のことのみならず、人類全世界の家族が未曾有の未知のウイルスにおびえた暮らしを余儀なくされている。果たしてどのように生活すればいいのか。私自身も(が)問われている。

私のアルバイトの仕事は4月から働く時間数が増える。(増やしてほしいと頼まれた)前向きに考えることにし、頭で考えるのではなく、自分と向かい合えるこの仕事が気に入っているので、コロナウイルスが終息するまではただ体を動かしたいと思う。そしてそれ以外の時間は生活の些事に重きを置いた暮らしを心がけるというくらいである。

このところ、以前にもまして落ち着いて本が読めるのも得難い時間だ。何事があっても時間は過ぎてゆく。ならば心頭滅却して過ごすにしくはなし、といった心境である。

2020-03-27

加熱するコロナウイルスメディア報道をしり目に、雨の朝、春を告げる草花の静けさに想う。

もうほとんど映像はみず、とはいっても海外からのBSでのニュース映像は時折見ている。映像の瞬間的な効力は文字とは比べ物にならないので、映像に弱い私は努めて見るのは避け、もっぱら文字で想像を働かせるように、コロナ報道に関してはしている。

私自身がこれまでの人生で経験したことがないパンデミッククライシスが、全世界で起こっている。主に弱っている高齢者に取り入るたちの悪い新型コロナウイルスである。

先行きの予測、事態がどのように推移するのかまったくわからいいま、私のような輩にできることは、静かに落ち着いて手の届く範囲での生活を心がけるだけである。衛生環境の悪い国々、医療設備の弱い国々の高齢者は、大変である。

誤解を恐れずに言えばなる様にしかならない。あらゆる種類のがんや、疾患と同じで自分がかかったら覚悟を決めるしかない、というくらいの今は認識だ。(ワクチンや新薬の開発を待つしかない)

年齢が上がるにしたがって身体は弱り、そこに病魔が忍び寄ってくるのは、ある意味自然の摂理だと思うからである。いくらお金を積んでも特効薬なんてものはないし、私のような生活程度のレベルの者は、いつも死とは隣り合わせくらいの覚悟が必要だとは思ってはいる。

だがいつも書いているが、当事者になったら慌てふためくのには違いない。ひとによってインフルエンザにかかる人もいれば、かからない人もいる。陽性でも元気な人もいれば、たちまち重症化する人もいる。ひとによってこうもちがうのである。

新型コロナウイルスはこれまでにない厄介なウイルスであることが、にわかぼんくらの私でもようやっとその程度の認識である。
玄関の花は季節によって妻が入れ替える

だからこの話題はこのあたりでよす、明るい話題をこそ私は望む。いたずらに情報に一喜一憂せず、くいなくいちにちを過ごすことにこそ、初老男は情熱を傾けたいと思うのである。老いの残り火をいかに楽しめるか、楽しめないのか、といったらカッコつけすぎか。

話を変えるが、とはいってもコロナウイルス 狂騒曲のおかげといったら言い過ぎかもしれないが、私にとってはマイナス面ばかりではない。それはより一段と、もっと言えば以前にもまして、死を意識するようになってきたのである。

先日妻と二人話し合って、孫の顔を見に上京したのは、万が一状況が一変したら会いたくても会えなくかもしれないと思ったからであると、今にしては想うくらいである。

この週末の不用意なお出かけは慎むようにとの要請が出る前であったので、一週遅れたら自粛していただろう。孫のお誕生会には参加できなかったかもしれない。このように、間一髪の決断に運命は左右される。人心は風のように揺れ、状況は刻一刻と変化する。

悔いなく生きる。悔いなく生きるとは?この数十年のグローバル化、都市化社会の根底を揺るがしかねない今回のコロナウイルスパンデミック狂騒は、一体全体何を語り掛けているのか、答えのない問いを、五十鈴川だよりを書きながら 想う。

2020-03-25

コロナウイルスの広がる中、昨日【ベルの音が聞こえる】という自主映画の完成試写会に行きました、そして想う。

当然のことと予想していたが五輪は延期となったが、そのことについて書く気はない。

一昨日の夜遅く東京から帰り、昨日は、わずかのシーンだがボランティアで演じてとして参加した、市民手作り映画の試写会(ハンセン病にかかって強制隔離された、長島愛生園の中にかってあった高校生の苦難の青春を描いている)がない内で行われ見てきた。

私を含めてほとんどが素人での限られた予算、時間の中で、調整 撮られた自主映画だが、それなりに編集されていて、参加してよかったと思う仕上がりになっていてほっとした。

早くコロナウイルスが終息して 公に試写会ができることを願わずにはいられない。昨年夏の暑い時期、3回終日ロケに参加しただけではあるが、映画の面白さというものをこの歳で再確認した。しゃべっている自分を客観的にみることが、何故かわからないが、気恥ずかしくも、どこか他人を見るかのように見ている自分がいた。

高校生を演じている普通の人たちの演技が自然で、プロとは違う魅力があって、好感をもって 見ることができた。ともあれDVDとして記録に残るフィルムに出演できたことで、自分にしかわからない経験したことのないささやかな喜びが持てた。いずれのせよ、近所のHさんとのご縁でオーディションを薦められなかったら、出演の機会はなかったであろうから、縁の有難さに昨日は素直に感謝した。68歳のおじじの良き思い出を孫に残すことができたこと、それが一番うれしい。

(撮影の日のことは、五十鈴川だよりに書いていると思うので、読んでもらえると嬉しい)集団で力を合わせ何かを作ることは大変だが、経験した者でないと分からない共通体験の喜びが共有できるので、きっと病みつきになるのだろう。初老男ではあるが、若いころ演劇をまなび、演じ他人になり変わるという不思議世界の虚構の真実に、何か再び火が尽きそうな予感がある。
二歳の望晃(のあ)くんに読み聞かせする妻

話は変わる。世界はパンデミックなコロナウイルスの感染の広がりで、メディア報道の大部分はまるでジャックされたかのようだが、私としてはできる限り浮き足立たないように、静かに落ち着いた暮らしをしたいのであるが、こればかりは感染の予期しえない広がり方、爆発で、人心がとんでもない方向に揺れないように祈らずにはいられない。

それにしても、このようなコロナウイルスの広がりと危険性を年明け早々から、だれが 予想しえたであろうか。まさに世界は予期しえない出来事に翻弄されるというほかない。だが、できる限り右往左往しつつも、右往左往はしたくない。じっと揺るがない大木にあやかりたい。

悲観的にばかりなっていたのでは、物事は好転しない。ピンチのこういう時にこそ自分が試される。静かに花を眺め春の息吹生命力にあやかる冷静さが必要な私だ。

今日は遊声塾のレッスンの日だが、私自身もコロナウイルスの広がりにどこか心理的に脅かされるのが自然である。がしかし、いたずらにおびえてもなるようにしかならないという、諦念に近いものが私の中にないといったら、嘘になる。これ以上は書かないが、どこか私は声を出すことで、免疫を上げコロナウイルスを防ぎたいと念っている。

コロナウイルスの広がりを防ぐ特効薬のようなものがない現状では、いたずらにおびえて過ごすよりは、一人でも声を出したりしていたいのである。悲観的なネガティブ思考に陥らないためにも、私はひとり自分を鼓舞する。家族のためにも。


2020-03-20

孫に会いに上京する朝の五十鈴川だより。

今日から3日ほど孫の顔を見に上京することにした。出掛ける前の朝の五十鈴川だより。

イタリア、ヨーロッパ、全世界にコロナウイルスが広がり、パンデミックにおびえ、懸念され、その報道のヒートアップは過熱するばかりである。日本でも日々感染の広がりはやまない。

ウイルスと戦争状態になっているといってはばからない、世界に、一言のあたえる影響の桁が違う政治家の発言には開いた口が塞がらない。人類は歴史的にウイルスと長きにわたって共存してきたと、信頼するCW・ニコルさんは語っている。散々な苦難のウイルス感染症の歴史を人類は生き延びてきたのである。

だが、五十鈴川だよりではこれ以上の言及は慎むことにする、どこか私にはなる様にしかならないという気持ちで、ウイルスの終息を祈るばかりである。

もう生物としての大きな役割は果たした初老男だからこのような能天気なことが書けるのだが、成長期のお子さんを抱えた方々は、想像を絶する不安を抱えた暮らしが続く、そのことに胸が痛む。劇的改善は望めそうもない。耐えながら生きるしかない。経済的な打撃は空前絶後に及ぶ可能性があり試練の時というほかはない。

よもやまさかのことが、起こるのだということの実感を、この歳で改めて 思い知らされている。ヒトは危機に際して、いかに振る舞いいかに生きるのかということを、あまたの国の人々が潜り抜けて生き延びてきたのだということを、思い知らされる。

1999年初めて手にした先生の御本、いまあらためて読み直している

だがやたらにおびえていても始まらない。考えた末、上京することにした。新幹線の乗客数も半減し、人々の行動が自然自粛している最中ではあるが、妻と話し合い二人して思い切ってゆくことにした。

冗談ではなく、外出禁止令 などがわが国でも出ないとも限らない、一寸先は余談を許さない事態が起こらないとも限らない。細心の注意で行動しながら、初老夫婦は悔いなく2歳になった孫の成長を祝いたいのである。それだけである。

時間がないので簡略に記すが、放射能とかウイルスは目に見えない、匂わないだけに やたらにパニックに陥りやすい(私だってそうなる可能性がある)が、私はどこかで腹をくくっている。(くくるしかない)

このひと月以上、アルバイトとレッスン日以外遠くに出掛けていない。久しぶりの遠出、二人の娘たち家族のいる東京には人がわんさか暮らしている。そこで生活して居る人々は、おそらく人混みの中で生活するしか、ほかに方法がない(逃げられない)。

生活するとは、動くこと交流することに他ならない。皮肉にもいろんなことが今回のウイルス騒ぎの渦中で見えてきたことがある。素晴らしい人間力の発露と、それとは真逆の発露である。 どのように生活し、生きてゆけばよいのか初老男生活の今が試されている。


2020-03-13

望晃(のあ)くんの2歳のお誕生日の朝におじじは想う。

お爺バカになるが臆面もなく。今日はノアくんの2歳の生誕日である。まずは心からおめでとう。コロナウイルスの広がりがなかったら上京したかったのだが、間接的にでも、五十鈴川だよりで気持ちを伝える。

そして何よりもレイさん、娘にもお祝いの言葉を送りたく思う。いま、コトバではなく気持ちを伝えました。今この時代に世界でどのくらいの数の子供が2歳のお誕生日を迎えているのか、おじじは知りませんが、間違いなくノア君はその中の一人です。(ノア君とすべての子供におめでとうといいたいです、保育園のお友達にも)

私たちの時代と違って、日々動画や写真でノア君の成長が知らされているから、おじじはバーチャルには何とはなしに、その成長を身近に感じています。私(たち家族)にとってはノア君が誕生してからと、それ以前ではまったく何かが変わってしまいました。

それは、コトバでは到底表現不可能な、命の輝きの不思議さというほかはないオーラに満ちている、あなたの存在です。おじじは、あなたがもっともっと大きくなるまで、ひょっとしたら存在していないかもしれないので、ちょっと気恥ずかしいのですが。お便りを書くように、おじじの今の気持ちをいくばくか、五十鈴川だよりでお伝えしておきたいのです。

正直に書きますが、おじじはよもやまさか自分が孫に恵まれるとは、娘が結婚する時までは想像もできませんでした、が娘が結婚してからは心の片隅で、いつかはおじじになれる日が来るのを待ち望んでいました。

2年前ノア君が生まれてからは何かがやはり私の中で明らかに変わりました。それは言葉でいえば簡単なことなのです、当たり前、おじじになったということ、がすべてです。

こればかりは、なってみないと分からない心情というしかないほどの、未経験の感慨でした。あなたが、私をおじじにしてくれたというまぎれもない事実なのです。

春を告げる我が家の沈丁花
レイさんと娘の間に授かった、命の連鎖の恵みの有難さに、おじじは生きてきてよかったとのおもいに打たれます。若い頃のおじじは結婚もできるとは思いもしなかったし、現在のおばあちゃんに巡り合わなかったら、娘にも出会えなかったでしょう。

おじじが若いころ影響を受け学んだ演劇の先生が、人生とは出会いであるとの言葉を残していますが、まさにあなたはおばあちゃんとの出会いからすべてが始まったとすると、あなたのお父さんとお母さんとの出会いの、一粒の果実なのです。唯一無二、かけがえのない存在なのです。

繰り返します、本当におめでとう。そしていまおじじはこれからの人生を、いかにして、おじじらしく家族のお役に立てるかを考えながら、老いゆきながら五十鈴川だよりを書きつつ考え、あなたや家族にとってささやかに役に立つおじじを目指します。約束します。

あなたがもう少し大きくなり、私が元気で動ける間ともに旅をし、野宿をし焚火などしながらご飯を作り語り合うのが楽しみです。だからおじじは今しばらく頑張ることにします。

2020-03-11

東北津波原発事故大震災の朝に想う。

東北原発津波大震災から9年が経過、(昨日の母の命日は東京大空襲の日でもあり、一晩で10万人が亡くなったとある。一口に10万人、大虐殺である、わすれていいはずがない)翌年、私が大槌町に瓦礫の撤去に数日行ってからも、まる8年の歳月が流れた。8年前といえば長女がまだ大学生で、私も今よりずっと身体が動いた。

震災で被災され今も仮設で暮らされておられる方が、いまだに5万人近くいると伝えられる。が現実の詳細な生活の弱者の実態は、そうは微に入り細に入りは伝わらない。戦後も75年が経つわけだが、年々の高齢化の波で同時代の空気を体験した方々がお亡くなりになってゆくにつれ、記憶の伝道者の生の声を聴くチャンスは減り、風化は避けられなくなってゆく。(でも当事者たちには戦争はいまだ終わっていない)

だがそれでいいのかというわが内なる声が、かすかにわが老いつつある体に、まるで老いに逆らうかのように、年々響いてくるのはなぜなのか。わからないが事実なのである。だから最近、その響く声に素直に耳を傾け、これからの時間の中で、自分に何ができるのかどのように生きるのかを問いながら、ストイックに生活したいという気が深まる。
妻のかぶと油揚げのお味噌汁寝起きの一杯、しみる

コロナウイルスの発生で、あらゆるイベントや震災の追悼行事 、卒業式、もろもろ引きも切らず、自粛が続く状況は、名状しがたいこれまで経験したことがない、いやな感じである。緊急事態法などが次々に通る。うまく言えないが何か嫌な感じである。隙に乗じてというのでなければいいのだが。

こうも次々に予測しえない事態、ウイルスに関する得体のしれない情報が変異のように飛び交うと、なにを信じていいのかを分からなくなる。(人の心の隙間を突いての悪の手が忍び寄る。危ない気持ち悪い)私のような朴念仁は、特にそうなりやすいので、余分な情報は取り込まず、できる限りヒトとの接触を避け、どこか腹をくくって生活するしか、ほかに私には方法がない。静かに満月を眺め無言の対話をし、春の小花をなめる。水滴を眺め、おいしいお味噌汁を飲む。夜明けの朝日を浴びる。

信頼できる方の言葉にあやかり生活しながら、今しばらく推移を見守りながら浮き足立つことのないように静かに暮らすだけである。論旨に脈略のないとりとめなき朝の五十鈴川だよりになってしまったが、記憶の風化を自分に戒め、津波原発事故ほかでお亡くなりに方々のご冥福を祈り、そして被災され今現在も苦境を生きておられる方々のことを、想う。