68年間も生きてきて、おそらくこのようにじっと静かに過ごしていたのは初めてではないかとあらためて思う。ヒトはおそらく一生の間にはきっと思いもしない予期しえない出来事を、どの世代も 経験してきたのではないかと思い知る。
さてこの数十年、必ずといっていいほど帰郷していた五十鈴川を詣でることなく私はGWを過ごした。月日が流れ、コロナが落ち着き緊急事態生活が解かれ、また再び平穏な生活が(心から私はそれを望む)送れるようになったら、これはこれでよいとまではいわないが、物事の原点を思考するには良き時間であったと、想えるかもしれない。
だが、世の中にはこのような初老凡夫のたわごとも許されないような、苛酷な状況を生きておられる方が、無数におられるに違いない。だから、五十鈴川だよりではこれ以上の能天気な一文を綴ることは控えたい。
普段読まないような本を随分読むことができた |
さて、私は何をしていたかというと、アルバイトの先で借りている菜園場の土を耕し、ピーマンやナスやトマトを植えたりしながら、その菜園場で土に触れながら、そこにある作業小屋で主に本を読んで過ごしていたのである。
そのバイト先には、道具や機械がしまわれている小屋がありその小屋には電気も来ていたので整理整頓しスペースを作り、椅子とテーブルを置き、ちょっとした隠れ家のように過ごせるスペースをつくったのである。
そこではお湯を沸かしお茶を飲むことができるし、雨を避けて本を読んだりもできるのでだ。このところちょっと一人になりたいときに隠れ家的に使っているのである。午前中か午後どちらか、あるいは一日中そこで過ごしたりしていたのである。
もちろん自宅にも、十分にスペースがあるのだが、この休日の作業小屋には周りにまるで人気がなく、近所に気兼ねなく大声が出せるし、何よりも秘密めいたひとり時間が過ごせるので、すっかりお気に入りなのである。
話は変わる。人生の最後をどこで迎えたいか 、考える。現時点では五十鈴川の近くであるが、そうは問屋が卸さない、ままならないことは承知だが、姉は帰って来いというし(ありがたい)考えたい。
妻が育てたジャスミンの香りが我が家に満ちる |
方丈の庵、程度のスペースがあれば、老い先ゆく身には足りると思う。可能なら囲炉裏があり、物思いにふけり戯言が書け、山野の移り変わりがのぞめればいうことなし。食は細くなるので、一汁三菜(時折肉)で足りるのではないかと、愚考する。
動けるうちは、弓をひき、姉や兄、宇納間の日高ご夫妻を訪、ねぼんやりと語らい、墨でも擦って文字でも書きたいと、夢うつつのこの世を向こう側から眺めるように生き、生を閉じられたらと。
だが先ほども書いたが、思いのままにはゆかないのが世の常。だが、だがである。念じ動いていると、このバイト先の小屋であれ、天は恵んでくれる。考えようによっては現在の方丈の庵といえなくもない。要は今はまだ二本足で大地を踏みしめ耕し、心から強く念じることである。
じっと落ち着いてたたずむ居場所、空間があるというのは、男にとって格別なのである。とりあえず今の世の中で、この年齢でくつろげる居場所があり、まだまだ動ける身体があり、食べ物があるということの有難さを再確認、今日もこれから倉庫、ウエアハウスで 午前中を過ごすことにする。
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