震災で被災され今も仮設で暮らされておられる方が、いまだに5万人近くいると伝えられる。が現実の詳細な生活の弱者の実態は、そうは微に入り細に入りは伝わらない。戦後も75年が経つわけだが、年々の高齢化の波で同時代の空気を体験した方々がお亡くなりになってゆくにつれ、記憶の伝道者の生の声を聴くチャンスは減り、風化は避けられなくなってゆく。(でも当事者たちには戦争はいまだ終わっていない)
だがそれでいいのかというわが内なる声が、かすかにわが老いつつある体に、まるで老いに逆らうかのように、年々響いてくるのはなぜなのか。わからないが事実なのである。だから最近、その響く声に素直に耳を傾け、これからの時間の中で、自分に何ができるのかどのように生きるのかを問いながら、ストイックに生活したいという気が深まる。
妻のかぶと油揚げのお味噌汁寝起きの一杯、しみる |
コロナウイルスの発生で、あらゆるイベントや震災の追悼行事 、卒業式、もろもろ引きも切らず、自粛が続く状況は、名状しがたいこれまで経験したことがない、いやな感じである。緊急事態法などが次々に通る。うまく言えないが何か嫌な感じである。隙に乗じてというのでなければいいのだが。
こうも次々に予測しえない事態、ウイルスに関する得体のしれない情報が変異のように飛び交うと、なにを信じていいのかを分からなくなる。(人の心の隙間を突いての悪の手が忍び寄る。危ない気持ち悪い)私のような朴念仁は、特にそうなりやすいので、余分な情報は取り込まず、できる限りヒトとの接触を避け、どこか腹をくくって生活するしか、ほかに私には方法がない。静かに満月を眺め無言の対話をし、春の小花をなめる。水滴を眺め、おいしいお味噌汁を飲む。夜明けの朝日を浴びる。
信頼できる方の言葉にあやかり生活しながら、今しばらく推移を見守りながら浮き足立つことのないように静かに暮らすだけである。論旨に脈略のないとりとめなき朝の五十鈴川だよりになってしまったが、記憶の風化を自分に戒め、津波原発事故ほかでお亡くなりに方々のご冥福を祈り、そして被災され今現在も苦境を生きておられる方々のことを、想う。
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