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2020-03-04

コロナウイルス新型肺炎のパンデミックな広がりの渦中で想う。

正直こうもコロナウイルスの新型肺炎に関する話題に、メディア報道が席巻されてしまうような事態が長く続くと、いささか倦んでしまう。

が、だから冷静に推移を見守るしかない。絶対矛盾ではないが、間接情報に触れるのは新聞を注意深く読むくらいで、画面を通しての情報はほとんどスルーしている。繰り返し何度もかいているが、できるだけ静かに暮らし、生活範囲の中で接する人との会話をするのみで、足りた初老ライフを過ごそうとしている。

ひとりで働き、五十鈴川だよりを書き、一人で声を出し本を読み体操をし、一人で弓の巻き藁をし、買い物をし、妻とDVDを見、犬と散歩し、墨をすって文字を書き、手紙を書き掃除をし等々を繰り返して、コロナウイルスの新型肺炎の終息を祈っている。

世の中の子育て世代の抱えている困難を想像すると気がめいり、安穏と五十鈴川だよりを書くのも時に萎えてしまう。二人の娘家族は東京暮らし、やはり心配である。3月中旬には初孫が2歳になるので上京する予定だったのだが、揺らいでいる。(でも何らかの方法で会いにゆきたいと考えている)

だが誤解を招かないように想うのだが、見えないウイルスとの接触をさける手立てのみに心労を重ねるような暮らしが、いつまで続けられるのか、続くのか。

こないだ見たDVDの原作、このような記者がいることに希望が持てる
オーバーではなく人類史上初といってもいいくらいの、これまで体験したことのない、まさにSF的未曾有の心理的ゾーン、未知との遭遇、岐路に立たされている不気味さを多くの方が感じ、垣間見ているのではないかという気がする。(私だってそうだ、夢かSFのお話であってほしい)

見えない闇の中のウイルス、処方箋がないのだから、信頼できる識者の言に従い、じっと嵐が過ぎるのを待つほかに方法がない。だからこの際発想を変えて、静かに落ち着いて生活する自分なりの暮らし方のようなものを、とくに高齢者世代は考えることに時間を割くべきだと私などは考える。

経済の停滞、生活の困窮、入試他、あらゆる世代、多分野において次々に湧いてくるような困難の 連鎖は、しばし止むことはないだろう。だが命ほど大切なものはないと考えるなら、国民とくに責任世代は落ち着いて連帯し、クラスター的な発症を避けるべく行動しないと、と初老男は考える。人類はおおいなるものに試されているのかもしれない。大人はおとなしく落ち着いて行動するしかない。付和雷同、流言飛語は厳に慎むべきである。

未知のウイルスに対して免疫を上げ、あらがうために は何をしたらいいのか?夕方買い物帰り、上空に浮かぶ半月の月の輝きに見入りながら、想う。

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