綴るわがままの繰り返しに、何の意味があるのかなどと考える、近代人的な病が私には根本的に欠けている。本能のままに動物的に。そういう意味では小さいころから遊びほうけて、保育園も幼稚園にも行ったことがなく、いきなり小学校で文字を教わった時の戸惑いは、今も心のどこかにトラウマとして、私のその後の人生に与えた影響はいかんともしがたく在る様に思える。
だあれもいないわが心の五十鈴川・静かに流れる |
だから、家にはまったくといっていいほど本の類がなかった。文字は教科書と漫画で気が付くと自然習得していた。まだ私の幼少年時代は どこかのんびりしていたし、親たちは戦後生活を再建することに躍起になっていたし、子供の教育などに配慮する余裕がなかったのである。
最近良き本に巡り合う、ありがたいというほかはない |
だからほとんど勉強しなさいという言葉を私は親から聞いた記憶がない。中学高校になっても、私は限りなく遊びほうけていた。敏い友人たちは学んでいたのに怠惰で軟派な性格の私は、好きなことにのみ熱中し(逃げ込み)気が付いた時には、少年老い易く学成り難しという言葉が、老いゆく今の私の体にに響き渡るのをいかんともしがたく、受け止めている私である。
でもまあ、よたよたとではあるが、遅きに失したとはいえ、徐々に学ぶことが好きになってきたというか、本を読んだり、映画などに即発されると風に吹かれて旅がしたくなり、お金を貯めては実行、様々な人に会い、大恥をかき無知の涙を痛感し反省し、この目で世界の成り立ちや、奥深さを体感し、徐々に学ぶことの大切さにようやくにして目覚め、今もかろうじてささやかに学び続けている。(のだ)
未知と出合い、無知を知る。その繰り返しの中で、まったく今もって無知丸出しの私であるが、気づいた時が一番若いと母に教えられ、今もその言葉にどこか励まされている自分がかすかに存在している。
五十鈴川だよりを書ける間は、学ぶということ、いかに生きるのかということをささやかに我が身に問い続けないとまずいと思う自分が、初老の体の奥深くにいる。そして想う、18歳までほとんど脳を使ってこなかったのだから、与えられたこれからの時間は学びながら、非力ではあれ沈思黙考し、時に勇気をもって行動し発言する初老男でありたいと願う。
今日は国際女性デーである。新聞の書評欄に加藤陽子先生がM新聞にお薦め図書三冊をあげておられる。あさっては母の命日である。大正昭和(もちろん明治からの女性の置かれたこの国の歴史)母の生きた時代の男の側からではなく、女性の側からの歴史を学ばなければいけないと、私は反省する。
逆説めくが、コロナウイルスのおかげでこのところ、以前にもまして静かな生活、じっくりと腰を落ち着けての読書は、老いゆく我が身に学びの気づきの喜びを知らしめる。
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