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2020-03-20

孫に会いに上京する朝の五十鈴川だより。

今日から3日ほど孫の顔を見に上京することにした。出掛ける前の朝の五十鈴川だより。

イタリア、ヨーロッパ、全世界にコロナウイルスが広がり、パンデミックにおびえ、懸念され、その報道のヒートアップは過熱するばかりである。日本でも日々感染の広がりはやまない。

ウイルスと戦争状態になっているといってはばからない、世界に、一言のあたえる影響の桁が違う政治家の発言には開いた口が塞がらない。人類は歴史的にウイルスと長きにわたって共存してきたと、信頼するCW・ニコルさんは語っている。散々な苦難のウイルス感染症の歴史を人類は生き延びてきたのである。

だが、五十鈴川だよりではこれ以上の言及は慎むことにする、どこか私にはなる様にしかならないという気持ちで、ウイルスの終息を祈るばかりである。

もう生物としての大きな役割は果たした初老男だからこのような能天気なことが書けるのだが、成長期のお子さんを抱えた方々は、想像を絶する不安を抱えた暮らしが続く、そのことに胸が痛む。劇的改善は望めそうもない。耐えながら生きるしかない。経済的な打撃は空前絶後に及ぶ可能性があり試練の時というほかはない。

よもやまさかのことが、起こるのだということの実感を、この歳で改めて 思い知らされている。ヒトは危機に際して、いかに振る舞いいかに生きるのかということを、あまたの国の人々が潜り抜けて生き延びてきたのだということを、思い知らされる。

1999年初めて手にした先生の御本、いまあらためて読み直している

だがやたらにおびえていても始まらない。考えた末、上京することにした。新幹線の乗客数も半減し、人々の行動が自然自粛している最中ではあるが、妻と話し合い二人して思い切ってゆくことにした。

冗談ではなく、外出禁止令 などがわが国でも出ないとも限らない、一寸先は余談を許さない事態が起こらないとも限らない。細心の注意で行動しながら、初老夫婦は悔いなく2歳になった孫の成長を祝いたいのである。それだけである。

時間がないので簡略に記すが、放射能とかウイルスは目に見えない、匂わないだけに やたらにパニックに陥りやすい(私だってそうなる可能性がある)が、私はどこかで腹をくくっている。(くくるしかない)

このひと月以上、アルバイトとレッスン日以外遠くに出掛けていない。久しぶりの遠出、二人の娘たち家族のいる東京には人がわんさか暮らしている。そこで生活して居る人々は、おそらく人混みの中で生活するしか、ほかに方法がない(逃げられない)。

生活するとは、動くこと交流することに他ならない。皮肉にもいろんなことが今回のウイルス騒ぎの渦中で見えてきたことがある。素晴らしい人間力の発露と、それとは真逆の発露である。 どのように生活し、生きてゆけばよいのか初老男生活の今が試されている。


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