コロナウイルスの新型肺炎のこともあって汽車を避け車での移動を選択して帰郷した。我ながらよく運転した。実質兄貴の家に宿泊したのは丸々三日間で、行きと帰りは車の中で仮眠をとって走り続けたので故郷での滞在時間は少なかったが、有意義な時間が流れて、思い出に残るとてもいい帰省旅となった。
私の小さな軽自動車でよくぞ往復走ったものである。正直、コロナウイルスの新型肺炎の騒ぎがなかったら、運転は避けていたかもしれない。実は私の軽自動車は助手席を倒しスライドさせ、隙間を平らにする工夫をすると、大人一人が横になれ、眠ることができる。
平らになったところに毛布を敷き詰め、古い布団を乗せ、寝袋や枕を備えれば、斜めに少々窮屈ではあるが足先が伸ばせる。睡魔には十分太刀打ちできるくらいの仮眠は取れる。妻がスマホで聴けるラジオのアプリ、ナビ他あれやこれや車内環境を万全にしてくれる。密室で子供に還ったかのように何故かうれしい。
今の軽自動車で帰るのは今回が2度目だが、行きと帰り、疲れたら休み、車中仮眠が取れたことで、時間を気にせず気ままな帰省旅を、今回久方ぶりに堪能することができた。何よりも現在の自分自身の体力気力測定ができたことが一番よかった。今しばらくは運転できる自信がついた。
行きは休み休み高速と一般道を半々くらい走った。金曜日朝九州に入り、熊本経由高千穂(大好きなチャンポンで遅めの昼食)をのんびりと越え、宇納間に入り、一目日高E子さんにご挨拶し5時過ぎに兄の家に ついた。
土日はふるさとの空気をいっぱい吸ってのんびり英気を養った。どのように過ごしたのかはまた後日書くことにするが、毎年帰省するたびに私も含め兄姉含め、私の大好きな方々も年齢を刻んでいる。でも有難いことにみんな元気で私を迎えてくれ今回もまた、やはりふるさとならではのかけがえのない、たまさかの幸福時間を過ごさすぇていただいたことの有難さは、到底私の筆力では表せないが少しでも書けるときに書いておきたい。
何故故郷に回帰するのか、それは一言幼少期を共にした私の大切な兄弟が健在で私を迎えてくれるからであり、何よりも記憶の原風景がこの半世紀であまりに様変わりしたとはいえ、五十鈴川をはじめ、懐かしい山川海が健在であるからだ。(としか言えない)
幸節館道場との出会いでゆみを続けることにしました |
ふるさとの山・川・海に向かい ていうことなし、故郷の匂いは有難きかな、というほかはない。人工的なものはなくとも、自然の幸は68歳を迎えたばかりの今の私をこれ以上ないやさしさで包んでくれるのである。
わが姉兄たち、私の大好きな人たち。彼らと共に私は老いてゆきたいのである。昨日今日出会ったわけではないのである。見渡せば高齢者となり、わが姉兄弟、だがどっこいみんなしぶとく、きちんと生きている。老人ホームや介護施設に入っている人はまだいない。
頭もしっかりとしている。カッコイイ憧れる高齢者が住んでいるわが故郷は、私の誇りである。
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