パンデミック。世間は学校が閉鎖になったり大変な様相を見せているが、五十鈴川だよりではこの件に関しては書くことは控える。じっと推移を見守り、終息を祈るのみである。
さて、先の帰省で改めて老いてゆく今後のお手本のようにありたいと思える、私より年上のご夫婦の素晴らしさを 今回も再認識した。一組は弓の先生ご夫婦であり、もう一組は宇納間のご先祖の地で出会った日高ご夫妻である。
いずれのご夫婦とも昨年の2月の帰郷でお会いしたのだが、以後帰るたびに会っているので今回で5回はお会いしている。帰郷の度に弓の稽古、宇納間もうでは欠かさないようになってきた。会うのが楽しみなのである。
両ご夫婦がかくも私にとって魅力的なのは、外見とは異なりまったく老いというものを感じさせないからである。自立した老いというか、老いを悠々と生きておられるその存在感、自信というしかない、これまでの歩んでこられた 重みが風格となって漂うのである。
これまでの人生でこのような市井人にあってこなかったせいもあり、目からうろこのようにわが故郷に、このように今の私を魅了する先輩がいるということに、言うに言えぬ喜びと誇りを感じるのである。あのように淡々と時を充実して過ごせる大人(たいじん)にあやかり半歩でも近づきたいと思う殊勝な私なのである。
ゆえに、車を運転してでも老いゆく私の足は故郷を目指すのである。弓の先生は84歳、M兄は75歳。いずれもかくしゃくとしている。なぜかくもお元気なのか?
M兄の作った見事な箒、2本もいただき車に積んで帰ってきた |
今日はM兄のことにのみ触れるが、ほんの若い時の一時をのぞいて宇納間から出ておらず、今現在M兄 が体得してきた数々の生きていく上での生活上の知恵はおそらくご先祖から受け継いできたものであろうと、確信する。素晴らしいというほかはない。
イノシシの罠猟など、その最たるものではないかと想像する。鉄砲ではなく罠を仕掛けて捕獲するのである。このようなことが現役でやれている高齢者がわがご先祖の地に健やかに存在していることに驚嘆する。(昨年末から今年のかけて12頭捕獲したそうである)
M兄は大柄な体躯なのだが、手先が器用で大工仕事から、箒づくり、ドラム缶ストーブなどなど自力で創る。農の仕事(お米、お茶、シイタケ、多種類の野菜、珍しい大根等々)から生きてゆくに必要なことはほとんどを体一つでこなせる、まさにお百姓という言葉を体現具現している、現代ハイテク都市文明の中にあっては、まさにローカルの雄、絶滅危惧種的人間なのである。(奥様のE子さんも同類、まさに夫唱婦随理想のカップルである)
私のような都市生活が長く、口先三寸的な軟派人生を歩んできた輩とは根本から異なる、まさに地と体が一体化した、一言でいえばカッコイイ男なのである。同じ性であるM兄に私は臆面もなく、親戚づきあいを申し出たのだが、いいよといってくださったときの、私のひそやかな喜び、安ど感は格別のものだった。
還暦以後ご夫妻と出会うまでは、私はご先祖の地をさまよう亡霊のような気分を時に味わっていたのだが、今は違う。心おきなく訪ねてゆける親戚ができたことで、私の中の亡霊は消え、積年の落ち着かない満たされない宇納間逍遥にピリオドが打たれたのである。
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