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2020-11-14

冬の陽だまり、土取利行さんとの突然の昼食再会時間が持てました、そして想う。

 一週間に一度綴る五十鈴川だよりになりつつあるが、この程度の頻度でつづるのが今の私にとっては、自然な流れである。

今日は最近入会した総社の弓道クラブの月に一度の例会が午後ある。そのことは置くとして、先週の日曜日、八日 午前10時ごろいきなり土取利行さんから電話があり、今香川(土取さんは香川の出身)に来ている

あまり時間がないのだが、都合がよければお昼をとのお言葉。今年の冬コロナ騒ぎがこのような事態になる前にあって以来の再会。直接対面して人と話をするのは家族以外では先の上京で友人と短い時間あって以来。

コロナ渦中、わざわざ 時間を作って会いに来てくれるというのは、きっと何事かあると直覚した私は無論いいですよと、返事をした。電話を切りわずか一時間半で香川の土取さんの音楽活動をサポートするO氏の運転で土取さんは我が家にやってきた。

近所のお店でお昼を食べ、食後は席を変え、我が家のご神木八朔の樹の下でお茶しながら、約二時間近く近況を語り合った。いつものように土取さんの口を突いて出るお話、コトバにじっと私は耳を傾けた。

前回は 香川が産んだ反骨のジャーナリスト宮武外骨の話、今回は私の知らないキリスト者として人生を独自にまっとうした、その名【賀川豊彦】氏のことを、いつものように熱く語られた。

話は飛ぶ。土取さんのことは五十鈴川だよりを書きはj秘めてから折々書いているので省くが、26歳で ロンドンで知己を得て以来なので、早42年の交友が続いている。このような私にとっての異能(脳)の人とのご縁を、私は今更ながらに、歳ふるごとに感謝している。

出会って以来、私は土取さんとはつかず離れずの関係性を今もだが持続している。カッコつければ、君子の交わりを続けていていざという時にしか、連絡をお互いに取り合わない。

でもいざという時には、このように連絡が必ず来る。いつ何時連絡が来るかもしれないので、せめてちょっとでも役に立てるように、自分も普段からフットワークを軽くして関係性持続生活力を保っている(つもりである)。

芸術家というに値する生き方、あらゆる困難を抱え込みながら、土取さんの口を突いて出てくる言葉は、初々しく今現在を生きており、未来を見据えよどみがない。人生にはタイミングというものがある 。娘たちの手が離れ、初老凡夫生活の今、再び土取さんと久方ぶりに何か共に企画プロデュースをやれる仲間に、私を加えたいのだとのありがたいお言葉。

全世界の終息がいつになるやもしれぬ このコロナ渦中(この一週間で感染者はますます増え続けている)土取さんは時代を怜悧に見据えながら、これからの音楽家としての使命をいよいよ故郷で実現すべく布石を打っている。そのことが地下水が流れるように伝わってきた。

私もコロナ渦中、私自身世の中に出てからのこの半世紀の出来事をじっくりと振り返ることができ、これからの時間の過ごし方を考え続けていたので、またとないタイミングでの対話時間となった。

土取さんはとんぼ返りで香川に帰っていった。夏は郡上八幡、冬は香川での暮らしを今後は考えるとのことであった。私もいよいよ岡山とふるさととの二重生活を考えているし、土取さんが香川に来る機会が増えれば、今後ますます会う機会が増えるので、私としては実に大いなる喜びである。

時代を鵺のような面妖な閉塞感がおおうがこのような時にこそ真の意味での音楽家の存在が必要である。 素晴らしいというしかないあまたの勇気ある先人たちの足跡を知ると、冬の光を浴びながら、コロナ後の生活を見据え、コロナ渦中生活を大切に生きたいと思わずにはいられない、土取さんとの予期せぬ初冬の陽だまり昼食再会時間となった。

土取さんを応援する若い世代の香川の有志たちとの出会いも愉しみ、香川にゆきたくなっている。

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