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2020-04-02

シェイクスピア遊声塾しばし閉塾、そして想う朝。

4月が始まったが、全世界がコロナウイルスショックの渦中にあり、燎原の火のように広がり不気味である。わが国でも集団的な感染が地方でも起きる可能性は否定できない。

シェイクスピア作品の音読をまる7年にわたって続けてきた(これた)遊声塾のレッスンも昨夜からコロナウイルスが収まるまで、無期限のお休みとすることにした。

この7年間、数回お休みしたことはあるが、ほとんど毎週水曜日の夜はレッスンをしていた。だから昨夜は家にいるのがどこか奇妙な感じであった。昔から事実は小説より奇なりというが、まさにそのような感じ。

ハムレットは言う。この天と地の間には哲学など及びもつかぬことがあると。ロミオは言う、哲学でジュリエットがつくれますかと。私に言わせれば、コトバなどではとてもではないが、今わが人生で起こりつつある出来事の推移の懸念を言い表しうる術はない。

が、悲しいかな私の場合考える葦、心身機能を整える大部は、コトバにすがって日々をしのぐ。もうあらかた人生を過ごすことができた初老男なのではあるが、いまだ経験したことがない出来事が起こっている。(起こりつつある)いままさに非常事態かせんと、迫る状況下にある。
こういう時にこそ普段手にしない本を読んで過ごしたい

戦前戦後のあまりの過酷さを生きられた多くの諸先輩方は、あまたの艱難辛苦を潜り抜けてこられておられるから、耐性があるかもしれないが、我々の世代以降は食うに困らぬ世の中しかいわば知らないので、この状況が長引けば書きたくはないほどの事態が出来するのでは、との懸念はつのる。

とはいうものの、スーパーマーケットにはまだ食い物もあるし、戦前戦後のあの悲惨さとは比較しようがないほどの状況下ではある今、想うことは何度もかいているが浮き足立たない、じっと嵐が過ぎ去るまで静かに耐えることである。

耐えつつ考える力を持つということである。感染された方々や、医療従事者、物流で動いておられるかた、つまりはこの社会を底辺で最前線で支えてくださっておられる方々への感謝と、寛容の精神を見失わない努力が大切である。

ユウチューブなどで、気詰まり感を払拭するために、いろんな方々が希望を失わない試みをなさっている。若い方々はやはり素晴らしい。こういう時にこそITライフが有効なのだと思い知る。 五十鈴川だよりを書けるひとときが、どれほどわが一日にとってありがたいかがあらためてわかる。

当たり前の日常がこんなにありがたいとは。好きなもの同士集まって音読ができることがこんなにもありがたいとは。平凡の非凡さ、をこそ思い知る初老男である。

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