ページ

2020-04-09

夕方月を眺め、明け方再び同じ月を眺められる今に感謝する私。

起きて新聞を取りに行ったら西の空に美しい満月が残っていた。昨日夕方用事があり先月の遊声塾のレッスン以来久しぶりに岡山に出掛けたのだが、その帰り東の空にぽっかりとオレンジ色の満月が姿を現し、月の大好きな私は車窓から月と満開の桜を車を運転しながら、しばしコロナウイルスのことを忘れ、お月見とお花見を一人で楽しんだ。
東京の娘たちに贈ることができる

この調子では塾が再開できるのは先のことになりそうではあるが、生来の宮崎人的なのんびり屋でもある私の一面は、なる様にしかならないいわば危機のようなことが出来すると(個人的ではなく、これほどの社会的な危機はわが人生で初めてである)じっと嵐が過ぎるのを待つだけである。

できるだけ危機的状況を、そのさなかにあってもできうる限りの範囲で、なせることを淡々と生活するだけである。昨日は肉体訓練労働アルバイトがお休みだったので、午前中はキンカンの収穫や、午後はバイト先で借りている個人的な小さい菜園場に植えていたネギを収穫したりした。

それ以外にも声出し、弓などのルーティンワークがいろいろあるし、掃除やメルの散歩や買い物など、日々の暮らしのこまごまとしたいわば生活がいわば私の場合基本なので、その基本を先ずは押さえたうえでの、生きがい的な趣味、それがかなわぬ時はあくまであきらめるにしくはなし、といった心境なのである。
このところ普段はあまり読まない小説を読むのが愉しい

世界の非常事態地のあまりの急激な感染拡大で生じている惨場、遺体が放置されている映像などを見ると言葉を失う。関東大震災やおそらく戦中戦後の庶民の暮らしなども、簡単に比較することはできないが、もっともっとすさまじかったはずであるし、早い話人類は幾度もこのような危機を潜り抜けてきたのであろう。

ウイルスの災厄が自分のこととして 、親族、家族や友人に及ばない限り、悲しいかな人間は受け止める想像力の限界を生きるしかないにもせよ、この未曽有のわが人生に訪れた突然の危機を、一庶民の日本人の一人として落ち着いた行動をしながら、日々の暮らしの生きられるありがたさや、当たり前に桜や月を愛でられる今に感謝する私である。

何はなくとも月は出て、花は咲く。食いものさえあれば、命がつなげる。命が在っての仕事である。先人たちは乗り越えてきた、そのことから学ぶ、そのことを私は肝に銘じるつもりである。


0 件のコメント:

コメントを投稿