20代のころ、氏の書かれた小説を数冊読んだ。 今も手元にそれらの本がある。自然を破壊して突き進む経済優先資本主義の行く末に、絶えず警鐘を鳴らし続け、こよなくこの水の惑星の素晴らしさを教え続けてくださった、稀有の畏敬するナチュラリストであられた。行動し体感し発言し文章で伝える、文武両道の達人であられた。
お目にかかることは かなわなかったが、いつか氏が心血を注がれた晩年のお仕事、長野黒姫山のアファンの森を訪ねたく念っていた。年のせいだと思うが、年々私の自然回帰、ふるさと回帰志向は深まるが、やはり心の片隅のどこかに氏の存在が自分の中に生き続けているのを感じる。
M新聞にカントリージェントルマンを不定期だが連載しておられ、時折切り抜いたりしていて、お亡くなりになられる4月2日(木曜)も掲載が続いていたし、よもやまさかその2日後に訃報を聞くとは思いもしなかった。
カントリージェントルマンは直腸がんに侵され、入退院を繰り返しながら書かれたのであることを知らされる。そのいちいちの文章の重みをしっかりと受けとめなくてはならないと、ぼんくらの私は感じいる。
朝一番新聞を手にした、短い評伝を書かれた萩尾信也氏の一文にこうある【 人間は、大自然の恵みへの感謝と共生のすべてを忘れてしまった。この星はいったいどこに向かっているのだろう】と。
33年前、35歳の時に読んだ長編あらためてもう一度読みたい |
コロナウイルスのまん延に、カントリージェントルマンの一文で、ゆきすぎた経済発展幻想文明に 病床から警鐘を鳴らし憂いておられた【新型コロナウイルスは、今後、我々を襲うであろう災厄の先駆けに過ぎない】と。
わたくしごときの頭でこれ以上の拙文を弄することは控えるが、昨年暮れに亡くなられた中村哲先生も長きにわたって、行き過ぎた文明の作りだした温暖化をことあるごとに危惧しておられた、終わりの始まりを。クラスター爆弾や レジ―カッターほかの、おぞましい新たな生物を使う人間に(兵器の殺傷能力、いつも無辜の民が犠牲になる不条理に暗然たる怒りがにじんでいた)絶望しておられた。
中村先生のいいしれぬ深い憂鬱とCW・ニコルさんの底しれぬ苦悩は、方やアフガニスタンの緑の用水路となり、方やアファンの森となったのだと、今にしてわかる。
お二人に共通して言える偉大さは、絶望を希望に変えたまれな行動力と具体的に具現化する根性を伴った頭を併せ持っていた。傑物というほかはない。
コロナが落ち着いたら、アファン の森を訪ねたく思う。心からご冥福を祈る。
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