10月(日本語は素晴らしいちゃんと月が入っています)になりました。月の満ち欠けにわが体は存在する。今夜は中秋の名月、先程買い物に行くとき少し寄り道をして、吉井川のほとりでしばし、姿を現したばかりのオレンジ色のまあるいお月様を、しっかりと眺めた。月を眺めることで私の体と心は、穏やかになる。
ひとり月見酒をしたく、傍らにスーパーでかった一本のハイボール。今日も昭和生まれ、初老凡夫は一日身体を良く動かして、働いた。遊声塾をお休みして早半年が経つ。
この間私が ほとんど以前と変わらぬように生活できていることに、まずは感謝するほかはない。世間や世界は、このような能天気な状況にはない人々が、それこそ天文学的数字に及ぶほどに、おられるに違いない。私だっていつコロナウイルスにかかってもおかしくない。
だが、68歳の私はコロナ以前とほとんど同じように日々の暮らしを、継続できていることに、何はともあれ天を仰いで感謝せずにはいられないのだ。人の心は魑魅魍魎に揺れ彷徨いたゆたうが、その人心のはかなさを、月の輝きは補って余りある。
健康でいられるわが体、かけがえにない家族の存在、大切な数少ない友人の存在 等々。老いてますます、自分にとってかけがえがない存在とは、、、。コロナウイルスが改めて私に知らしめた。
だから、明日コロナウイルスに感染してもたぶん私は、さほどうろたえないだろう。多少のうろたえは、ああやはり来たか、なんて思いはしても、重症化はしないのではないかとの、脳天気な自信のようなものを、感じている。
感じてはいても、自信と裏腹に重症化しても、それを受け入れるしか仕方あるまいというくらいの気構えを、何とかよたよたこの半年間養ってきたとの、ささやかな生活力的自負がある。
ヒトは弱く、卑怯千万匿名主にネットによる、コロナ感染者(他ならぬ医療従事者に対してまでも)に対してのバッシング他、弱者がより弱者を攻撃したりしたりしている、(らしい新聞によると)狭い島国の悪しき伝統的世間体を気にする心根には、江戸時代かと、小生など慙愧に堪えないが、事実はともあれ、五十鈴川だよりを綴るものとしては、時代錯誤も甚だしいとだけ述べておく。人類の行く末をこそ、万人の英知を結集しないといけないこの非常時に。
私はちょっと気が短い初老凡夫に過ぎないが、卑怯な人間が一番苦手である。この歳になると、もうあらかた人生時間の大部は過ぎたし、今後は好き勝手に自由につづる五十鈴川だよりますますなってゆくし、何より頑固ジジイ的にご隠居、韜晦しつつも、弱い者に対して居丈高になるような輩とは 、一線を画す。私は孫に対して顔向けできないような、ジジイにはなりたくない。
お月見のハイボール、たった一本でほろ酔いになるなんて、安上がりな初老凡夫わが現在の体である。
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