10月最初の日曜日である。M新聞の書評欄が日曜日から土曜日にかわった。執筆者も少し入れ替わっている。執筆者であられた山崎正和先生が、先ごろお亡くなりになり、それより少し前、これまた私が愛読していた執筆者のおひとり、池内紀氏もお亡くなりになったからでもある。
毎週毎週、M新聞の書評が読みたいがために、M新聞の購読を続けているといっても過言ではない。日々刊行される本を読んでいる時間はないし、読むのが遅い私には 信の置ける執筆者が取り上げる本の書評を読むことは、ささやかな20年来の楽しみの一つなのである。
というわけで、今朝も書評に目を通し、目に留まったもののみファイリングしたり、ノートに張り付けたりした後、妻が仕事に出掛けたのちの家に一人の五十鈴川だより時間。
最近以前にもましてテレビを見ない凡夫としては、ほとんどのニュース情報からは置き去りにされているような按配なのだが、今のところこれといって生活に支障がなく過ごせ、目も疲れず耳もつかれずまったく問題ない。静かな時間がこよなく年齢的にあってきたのである。
無関心というのではなく、ご隠居気分の私にはもう十分との思い。おおよその俯瞰的、新聞による情報や、信頼する方々からの主体的に学ぶ情報で、事足りているので、もう年齢的にインプットする情報は最低限にして、日々是好日的に、いかに過ごすのかに重きを置いている。(でも学術会議の委員を勝手に減らすなど、権力の横暴にはいからないとまずい)
歳を重ねるとあらゆる動きが、若いころのようには立ちいかなくなるのだという実感が、古希を目前にしてようやく深まってきている。当たり前の ことながらこれが老いてゆくという現実なのである。
でもだからといって、後ろ向きに考えることはまるでない。前向きに蟻のようにゆったり、ゆっくり進む勇気を育めばいいのだと、最近は得心している。だから時間は大切に、宝である。
さていきなり話は変わる。先のふるさと帰省で、3日間幸節館道場で弓の稽古、I先生に御指導を仰いだ。先生と出合って一年半、数か月に一度帰省の度の直接指導。身が引き締まる時間を過ごしている。
長くなるので端折るが、先生との出会いがなかったら、弓は挫折していたかもしれない。道場には【至誠一貫】の文字が大きな板に刻まれている。先の大相撲で大好きな熊本の力士正代が、大関に推挙された際に口にした言葉である。
至誠一貫、言うは易しである。亡き父もよく口にしていたが口先三寸なら何とでもいえる。要はいかに実践できるか、否かである。お恥ずかしき話だが、時代に浮かれて思春期を過ごした私は、世の中に出てもまれ少しは人並みの苦労も味わったのだが、この半年間のコロナ渦中の、主に戦前戦後の受難というしかない時代の先人たちの体験された御苦労の数々を知り、思うと何と恵まれているのかと、忸怩たる思い、反省しきりである。
一言でいえば、家族の生活の生業ができている。健康に存在している。そのことだけでありがたき幸せというほかはないのだ。まさに足るを知ると頭では分かっていても、人間は安きに流れすぐに忘れてゆく、悲しい器、そういう私なのである。
話を戻す。弓は人格が如実にである。I先生の指導は正道過たず、指摘は当たり前のことばかりである。岡山で弓をひく時間をもっと見つけなさい、と。そこで家からはちょっと遠いがコロナ渦中の前にしった、総社の道場に通う時間を増やすことにしたのである。(この道場との出会い集う方々のことはまたいずれ書きたい)
6月の帰省以降、平均すれば週二回は通っている。今夜もゆく予定だ。やはり積み重ねる稽古に勝るものはない。相撲と同じである。たゆまぬ努力をいかにしたら続けられるのか。私の行く末を、亡き父は案じて厳しくしつ、そのたびに逃げ回っていた私だが、コロナの渦中のこの半年、弓の先生はまるで亡き父の生まれ変わりのように、厳しくも暖かくいい歳をした私を見守り、指導してくださっている。
亡き父は、晩年亡くなる直前まで囲碁三昧で過ごしたが、晩年時間、音読、読み書きにもう一つ、弓の稽古時間が増えた。私のコロナ渦中生活は、肉体労働生活と共に、光陰矢のように日々が過ぎてゆく。
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