綴る回数が少なくなったが、五十鈴川だよりは有為転変を受容しながら、今を生きるささやか凡夫生活をわがままにつづる。
早9月である。今日から明日にかけて驚異的な台風10号が九州全土をすっぽり覆いながら通過しそうである。過日の熊本球磨川流域災害に遭われた方々の心中を思うと、言葉がむなしい。
昨日兄とメールのやりとりをしたが、今回はすでに家の周り他の台風対策の備えをしているとのことだった。こうも自然災害、ウイルスの脅威、猛暑等々が矢継ぎ早に襲来すると、誰だってこたえる。
いきなり話は変わるが、噺家の林家木久扇さんが先日、M新聞の特集ワイドの コーナーで、コロナの時代を面白がって生きるコツを語っておられた。現在82歳、東京大空襲を日本橋の生家で7歳の時に体験しておられる。7歳にして雨のように降るB29の焼夷弾が爆発する様を生で見ている。
木でできた日本の家屋を、焼き払うために発明製造された焼夷弾。密集した庶民の家屋が瞬く間に燃え上がる。一晩で10万人が焼け死んだ東京大空襲、その地獄を7歳の少年はみた。
今現在80歳以上の方々で、当時東京エリアにお住まいだった方々は、あの地獄の在り様を体感なさっておられるはずである。悲しいかなヒトは体感しないことは、身に染みてはわかりえぬ存在である。
だが、わたくしごとだがコロナの渦中のおかげで、以前よりずっと私より一回り上の、あるいはそれ以上の年上の方々が経験された事実の重さに耳を傾けることが、改めて 大切だと今更ながらに、気づき始めている。
インタビューで木久扇さんは答えている。あの空襲を体験しているのでこのコロナ騒ぎも冷静でいられると。罪なき庶民、ヒトが無残にも死んでゆく、殺されてゆく不条理を7歳で垣間見た少年は、生きてゆく上での肝心かなめ、座標軸をしっかりとつかんで、その後の75年間を生きるのである。死屍累々の屍は戦場だけではなかったのである。
いざことが起こったら、このような過去の出来事は今現在も十分に起こりうる、くらいの想像力を持たないと、危険な時代である。あきらかに平和ボケしていることを告白しておく
木久扇師匠の言葉は、本当に私にはわかりやすく腑に落ちる。師匠は言う、生きているだけで得だと。何も持っていない人間は強い。体一つ、芸だけ、落語という話芸で、聴衆の心をもみほぐす。すごい、素晴らしいというしか言葉がない。
馬鹿になる自由さ、子供がお砂場で無心にお金がなくても遊べるのに、私も含めた大人は、何と不自由で、気が付けばお金がないとにっちもさっちもいかないという、強迫観念に取りつかれている。
じゃあ、どうすればいいのかは、各人が考えるしかないというものの、へたな考え休むに似たりともいうし、要は五十鈴川だよりで何度もかいているが、あまりお金に頼らずに一日を身体が喜ぶことを、気持ちのいいことを見つける生活を、私の場合心がけてゆく、くらいにしか思い至らないのだが。
馬鹿の一つ覚えのように、わが全財産、体に今もしがみついて、かってに動いてくれている体の全体、生まれ変わる細胞、心臓をはじめとする諸器官に私は想いをはせる。しかし、身体のどこに心はあるのか、今もってわからない。わが初老凡夫の心は、時代の風次第で 葦のように彷徨い揺れる。事実、死んだら、揺れることすらできない。生きていることは神秘で面白い、という側に木久扇師匠のように私も立ちたい。
台風10号に話を戻す、通過した後わが故郷も含め最少の被害で済むように祈らずにはいられない。
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