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2020-06-21

4か月ぶりに五十鈴川を詣でる旅に出掛けることにし、そして想う。

県をまたいで移動する自粛が、ようやく緩和されたからだというわけではないのだが、約4か月ぶりに来週帰省することにする。

汽車も大好きなのだが今回は車で。この年齢での長距離運転を妻は心配するが、用心して帰ることにする。年齢と共に旅の重さが 、帰省ごとに深まる。兄や姉との語らい食事時間は確実に減ってゆく、それが生き物の宿命である。だからこそ、毎回の帰省旅時間を大切にしたい。


梅雨のいま我が家の花の色に心が和む


おおよそわが故郷までの距離600キロ。出来ることなら、走ったことのない路を寄り道しながら、時間をかけて西日本から九州までの道のりを、ただ移動するだけではなく、年々過疎化、高齢化が進む日本の山里の6月の梅雨の若葉が染み入る風景 を視野の中で愛でながら、のんびりと走りたい。今回は、時間をかけて山陰周りにしようかと考えている。

話を変える、同じようなことを繰り返し書いているような気がするが、今日は今日のおもいを綴っている。コロナ騒ぎ(今後も続くが)のおかげだと思うことにしているが、事自分にとっては、はなはだ貴重な数か月の自粛時間であった、と今想う。

置かれた立場や世代にとっては、天と地ほどの違いの過酷な状況を、世界の多くの国民が生きておられるに違いない。瞬時にSNSにより個人発信の動画が広まる。フェイクと真実の境界が曖昧模糊となり、同じ人類であるのにこうも国によって、行動思考様態がことなる。運命の不条理に言葉を失う。

だが、このコロナ騒ぎが、あらゆる局面でのことの本質の脆弱さを、多面的にあぶりだし、わが国の諸問題が露呈されたのではないかと、いう気がする。
まずは素直に謙虚に事実を知ることの大切さを教えてもらった

わたくしごとき、初老凡夫の頭では、これから先の時代などまったく皆目見当もつかないが、ひとりの今を生きる個人としてささやかに考えなければと痛感する。

でも陽はまた昇り季節は廻り、人心は風に吹かれて移ろいゆくしかないのだと、いい意味で前向きにどこかで、日々区切りをつけ達観するしかない。

世の中に出て半世紀、この激動の時代を曲がりなりにもにも生き延びてきて思うことは、一寸先の時代は、わからないというという極めて当たり前の真実である。

したり顔で語るテレビの識者と言われる人や文化人たち、政治家たちの厚顔無恥な堕落した顔相の悪さにはほとほと、書く気にもならないくらいに呆れてしまう。コロナ渦のおかげで、静かな生活の中でこの時とばかり、普段あまり手にしないような本をこの数か月読むことができたが、知る、学ぶことの大切さをあらためて痛感している。

再び話を変える、何はともあれ久方ぶりに故郷へ 帰れるかと思うと、初老凡夫の私の体はいまだうきうきする。ご先祖に深く感謝し、これからますます、つつましくも豊かな生活をいかにして学び、持続できるのかを再確認するためにも、久しぶりの帰省旅が、私には格別にうれしい。



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