先週水曜日早朝に岡山を発ち、山陰経由で関門橋を渡り、翌木曜日の昼には故郷に着いた。4泊五日を過ごし、29日月曜日10時に門川を発ちその日の真夜中に無事、西大寺に帰った。
往復 、この年齢での長時間小さな車での運転で、妻や娘たちが心配する中、あえて車での帰郷運転を私は選んだ。理由はいろいろあるが、梅雨時の車窓の水田地帯の景観、西日本、大分、宮崎の風景を移動しながら物思いにふけりながら走りたかったのである。わずかに高速を利用した以外は、一般道路を走ったので時間はかかったが、それなりに、いい旅時間を過ごすことができた。
書きたいことはいっぱいあるのだが、コロナ騒ぎでなかなか帰省がかなわなかったので、いちだんとまた故郷の空気がしみた帰郷となった。半日、石井十次友愛記念館(友人が新聞記事を送ってくれたので訪ねた。いってよかった)を訪ねた以外は4日間、I先生が30年以上前に作られた、まさにわが町の 弓道場、幸節館に通い、I先生の指導を受けた。
先生は14歳で弓を始められ、今年弓歴70年であられる。市井の片隅で仕事の傍ら、ひたすら弓の道に精進され、自ら個人で自前の道場をおつくりになった、至誠一貫、つわものという以外ない雰囲気の持ち主である。道場の隅々にお花や樹木が植えられていて、弓に対するおもいが行き届いている。
このような方と、私は昨年の冬の帰郷で出会った偶然に、今となってはいわく言い難い思いにとらわれる。今回ついてすぐ私は幸節館道場におられる先生を訪ねた。先生ご夫婦は暑いさなか、汗をかきながらお二人で道場の庭木の剪定をされていた。
幸節館という道場の名前は、お二人の名前から一字ずつをとっている。夫唱婦随 の仲のいいご夫婦である。恐縮至極、ご夫妻は私の里帰りを喜んでくださる。I先生との出会いがなかったら、私は弓の世界からは遠のいたかもしれない。
この度の帰省で私は二つ目のかけを手にした |
I先生の創られた幸節館という道場で弓をひきたいとの念い、I先生に稽古をつけてもらいたいとの一念で、再び弓をひくことに決めたのである。幸節館からは山の中腹にある我が家のご先祖のお墓がのぞめ、お墓に見守られて弓の稽古ができる。手を合わせるしかない。
よく金曜日の朝から、月曜日の朝の稽古まで都合4回、先生は熱心に暖かくも厳しい稽古を、なかなか帰ってこれない初老凡夫にしてくださった。ピーンと張り詰めた空気の中で、全身に神経を行き渡らせての稽古は、この年齢になるとそうは経験できない。
まさに一期一会の稽古、先生はご高齢にもかかわらず、眼光鋭く私の所作の隅々に目を光らせ指導してくださる。一対一、まな板の上の時間 、自分の至らなさが露呈する。でも終えると、先生の眼は涼やかである。その心がけで稽古を続けなさいと、一言。
まさに、この年齢で師と心から思える方に、出会えた幸運に感謝せずにはいられない。先生は人間として的外れにならないように指導してくださる。ごく普通の老人に見えるのだが、いったん弓を構えると生気がみなぎり84歳にして矢が的を射抜く。
大地に根を張ったような ゆるぎない構えである。大木は一朝一夕にはならない道理。歳を忘れ修行を重ねるしかない、わが故郷でよき師に巡り合えた幸せを、五十鈴川だよりにきちんと書いておく。
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