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2018-05-30

梅雨入りを思わせるあさ、とりとめなき五十鈴川だより。

曇り空、梅雨が近いことを思わせるようなお天気である。外に出たら雨が落ちているので、逍遥声出しは屋内ですることに。

さていきなりだが、声を出すことも、本を読むことも、弓をひくことも、集中力と持続力のキープが肝要であることが、この年齢になると実によくわかる。

五十鈴川だよりを書くにも、精神集中力が要る。それを支えるのは一言でいえば、身体の力であると痛感するようになってきた。
最後の蔓バラを愛でながら書く

だから、何事をなすにせよ。一定時間体に負荷をかけて、体力をキープすることが今の私にとっては何よりも必要なことである。

還暦までは、さほど意識することはなく動いてくれた体が、意識に負荷をかけないと(あえて意識を盛り上げる)なかなかに意識も、動かなくなるということが徐々にわかってきた。

だからなのである、無理のない範囲で、休んでは体に負荷をかけるようなことを、唯一無二のわが体に、課しているのである。それをやれる誰にも邪魔されない、唯我独尊的に過ごせる時間が、わが人生にようやく訪れたのだからそれを楽しまない方はない。

昨日できたことを、何とか今日も持続する。続ける、それだけである。毎日ではないが一番長く続けているのは、もちろん五十鈴川だより、次が声出し(最近ではシェイクスピアにとまらない、いろんな文章を声に出す)弓も何とか一年が過ぎた。(弓は深い)

書いてはいないが、ほかにも体に関して継続してやっていることがいくつかあるのだが、それはまたおいおい書くこともあるかとも思うが、本日は割愛。

さて、佐藤優先生(年下であろうが、私にとっての先生)や、出口治明先生のおかげで、ずいぶんと読む本が変わってきたような最近である。
机でなにかしてる昼寝氏に来る花、だんだん私も猫化してきた、

あえて、これまでは読まなかった、苦手だと思い込みがちな著者の(例えば藤原正彦さんの本なども、虚心坦懐に読むようになった、うなずくことも多々あった、教えられた、そして大笑いした)本なども、まずは(相手の内在的論理を知る、佐藤先生に教わった)何でも手にするように心がけている。

何か月か前、数学者であられた岡潔先生のエッセイなども初めて読んだのだが、人間的な魅力が随所に垣間見れて、同じ人間なのであると安堵し、一芸に秀でた方はやはり、文章も素晴らしかった。無駄のない研ぎ澄まされた論理的な一文は、その方の全人生が生み出したものとわかる。だから残る。

知る(学ぶ)ことによって、世界の素晴らしさをもっと深く感じられる人間になるべく、本を読み、散歩できる体力を、一日でも長くと願う、無所属一個人として。


2018-05-28

本橋成一氏と再会する日の、朝に思う。

外は曇り、今日は今日の何やらの空気感で、わが五十鈴川だよりは流れてゆく。まずは朝一番のルーティン的、声出し時間を終え、シャワーを浴びての、静かなブログタイムの訪れは、すっかり初老の体の精神調節機能の役割を果たしているかのようである。

脳トレなどという言葉が、こんなにもはやるかのようなご時世は、私は苦手である。リアの言葉に在るが、人間も自然には勝てぬのである。有限だからこそ、無限的なもの、普遍的なものに憧れる。

やがては元の木阿弥に 帰するからこそ、人生は素晴らしいのである、との側に私は立つ。死。果てしのないかなたから、お迎えがやってくるからこそ、今日をいつくしむ。

パスカルが書いていたことを誰かの本で読んで、深く同意しうなずいた。どこから来たかわからない自分という存在は、やがてどこにゆくかもわからないと。真の哲学者の言葉は限りなく素晴らしい。

もっと書けば、死があるからこそ生は輝くのである。小さきおのれの生を他者と比較したりなどせず(愚かである)この歳になるとただただありがたく、今日のわが命の有難さ、在り様をいつくしむのである。

歳のなせる業、このような以前だったら歯が浮くようなことを平気で書けるようになったのは、面の皮がただただ厚くなってきている証左だろう。

話は変わる。昨夜思いもかけぬかたからお電話をいただいた。声の主は本橋成一氏(写真家・映画監督)、明日岡山にゆくので夕飯でもという、ありがたきお誘いのお電話であった。
本橋成一市との出会いは【アレクセイと泉】

この歳になると、自然に在るがままに、首を垂れるように、過去にとらわれず、有限な未来時間をこそ大切にしたい。このような私に声をかけてくださるなんて。

本橋成一氏は飾らない、偉ぶらない、人間というか弱き立場に置かれた存在を限りなく暖かい目線で、フィルムに焼き付けてきた稀なお仕事を、今も継続されている畏敬する方である。

その方からのお誘い。ささやかな、私が取り組んできた仕事をきちんと見て、評価してくださる方がいる有難さ、ほとんどは忘れ去られるのが世の常であるのに、本橋成一氏は心のどこかに、私のことを記憶されていたのである。

ひさかたの再会、一期一会のひと時を、しっかり大切に記憶に刻みたい。



2018-05-26

凡夫の、裸足の老春、の朝に思う。

今年も次兄のおかげで、梅酒をつけることができた。夢が原退職後から、干し柿、ラッキョウ、琵琶茶づくりなど、手間や時間がかかることを、時間に余裕ができた今の暮らしの中で、可能な範囲で努めて手作りしようと心がけている。

妻はまだフルタイムで働いているので、今回初めて母の手を借りず、すべての工程を一人でやり、7・2リットルの梅酒をつけることができた。母をはじめ、何人かの方にも梅をおすそ分けすることができた。
大地の恵み・次兄に心から感謝する


話は変わる。今朝は曇りだったので、いつもより長く運動公園でリア王を読むことができた。

すでに書いたかもしれないが、我が家から運動公園まで往復で2キロくらいなのだが、この間歩きながらぶつぶつテキストを読む。公園では裸足になり、約一時間歩いたり立ち止まったりしながら、ときおり深呼吸しながら声を出し続ける。

ともかく、リア王はじめシェイクスピアの登場人物のセリフは、長いし、韻を踏んでいるので、その言葉を流ちょうに声を出すことは、何度も書いているが、息が浅くなっている初老の現代人である私には限りなく難しい。

正直、言葉の壁に弾き飛ばされて、遭難しそうになり、金魚のように息をパクパクする羽目になる、現在のおのれの姿が浮かび上がる中、もう丸5年も続けている。

なぜこのようなことをやっているのか?また 続けられているのかは、実は当人にもよくはわからない。ただちょっとだけわかっているのは、あの言葉の壁をよじ登りたいという自分がいまだいるという、それだけのことである。

あの膨大で、生き生きした言葉と格闘したいという、 体がいまだかろうじてあるということなのである。

今朝もなんとかやれたということが、ありがたいのである。ほかには何の意味もない。だが、5年も続けていると、唯我独尊、逍遥声出しの朝が、たまらなく贅沢ないっときに感じられる。


コンクリートの隙間に可憐な花(散歩の帰りに目に留まった)

ただ一人、天のもとで裸足で声を出す、初老の男。はたで見ていたら、何をやっているのだと、いぶかしく思われるのは必定である。

その証拠に、いつも私と同じような時刻に散歩されている方から、何をされているのですかと声をかけられたのである。(長くなるので詳細は省く)

逍遥、精神の散歩、たまたま、シェイクスピアを声に出しながらの散歩に過ぎないだけである。超デジタル時代のさなか、中高年の巡礼とか、歩くということが、大はやりの感がある御時勢だが、私はただただ、手の届く範囲で、あたかも巡礼感覚の、声出し時間を過ごしているだけである。想像力でたゆたう無限の世界への散歩。

裸足、これが私の声出しの時の喜びである。地面の上に裸足で立つ快感、私の健康声出し時間はもう限られている。もう来年はできないかもしれないのである。

【宮本研】(ご存命の時に文学座のアトリエで言葉を交わしたことがある)という素晴らしい劇作家の作品に、【裸足の青春】という作品がある。安堵のこころもちでこの世から見えなくなるためには、今しばらく【裸足の老春】にあやかりたいと、凡夫は願うのである。





2018-05-24

すぐ上の兄から見事な梅が届いた、そして思う。

このところ日々の暮らしが淡々と流れ、ほとんどルーティン的に流れてゆく。それが何だか気持ちがいい。身の回りの雑事をただただこなす。その誰にも邪魔されない時間がただうれしい。


パセちゃんのバラ(ほんとうに感動した)

若いころには、あんなにヒトや文化的出来事を求めじたばたと動き回っていたのに、じたばた惑う感覚はさほど変わらないのだが、動かなくなった。
 あるいは動けなくなったといった方が正しいかもしれないし、じっとしていながらも、精神は自在に動き回る楽しさに徐々にシフトしている。だから静かに思いを巡らせ書くことができる。想像力は本当に宝である。

シンプルに、ただ手の届く範囲の 暮らしに重きを置く、66歳の体の発する声に静かに耳をすませ、ただ体が喜ぶことを優先、もう無理はしないしできない。義理的な生活には限りなくおさらば、これまでの自分とは決別する。

話は変わる。昨夜遊声塾から帰ると、すぐ上の兄貴(次男)から立派な梅がドーンと届いていた。
朝一番えぼをとって水洗い(庸男さん感謝します)梅酒にする

私は5人姉兄弟だが、全員そろって暮らしたのは私が小学5年生までである。詳細は割愛するが父の転勤で、私とすぐ下の弟は上3人とはその後別々の生活を余儀なくされたからである。

とはいえ、回数は少なくてもお正月他、定期的に家族全員での時間は折々共有していた。だがこの歳になると、やはり貧しい中全員で暮らしていた、私が5年生までのあの実家での暮らしが、私の記憶の中の黄金時代なのである。(お金はなかったものの、退屈した記憶がない、すべて面白かった)

ありがたいことに、最近の出来事はすぐに忘れ去るが、あのころの記憶はいまだ鮮明なのである。だからなのだ、私が歳を重ね死者の側の世界にゆっくり向うにしたがって あの黄金期に回帰するのは。

いま、私の生家は消えてしまい、今風のアパートが立っている。それを見るといまだ私の胸は疼く。良きにせよ悪しきにせよ、時代は移り変わるが、私の記憶までは消せないのである。

いまやあのころの幸福な(と今は思える、大変さも過ぎてしまうと、人間は美化する生き物なのである)貴重な感覚は、私がこれからを生きるための大きな根底を支える、エネルギ-なのである。(物や金に執着しない、あのころの楽しさをこそ、再び生きるのである)

特に次男の庭には、何本か実家から移植された植物などもあり、植物を愛する、父のDNAを最も受け継いでいる人である。野菜作り、花づくり、すべて見事である。目に見えない自然の移ろいを敏感に感知する能力、愛情がないと無理である。そういう能力は兄弟で図抜けている。

小さいころ兄弟げんかもし、父のサラリーだけの暮らしでは、どの家庭も大変だったあの当時、次男がもっともその時代の大変さをわが兄弟で担ったのだはないか。

わが姉兄弟も歳を重ねたが、ありがたいことに全員が元気である。取り立てて言葉を交わさずとも、いい感じで折々の再会時間が過ごせる今が、私には最もうれしい。夏また五十鈴川で泳ぎ兄貴の庭を見るのが楽しみである。

会えば、私のお恥ずかしきガンたれ時代(とても私は悪かった)の話が飛び出すが、それでもあの時代の苦楽を共に生きた、わが姉兄弟が何はともあれ愛おしい、仲良くしている姿を両親が向こう側から眺めていると思う。

2018-05-22

パセちゃん(義理の姉の愛称)のオープンガーデンに今年もゆきました、そして思う。


一昨日の日曜日、妻の姉のオープンガーデンに、妻、母、私の3人で出かけた。この私の五十鈴川だよりに妻の姉が登場するのは初めてである。

今年は、初孫に恵まれた歳として、またいろんな意味で、私のこれまでの人生というか、生き方を勇気をもって見直し、今一度新たなる生き方を模索する歳として、内省的に生きることを、自分に課している。(ようなところがある)

この数年パセちゃん(義理の姉の愛称)のオープンガーデンにゆくことは、楽しみの一つになっていたのだが、私の中の中の何かが壊れ、変わったゆえなのかもしれないが、ひときわパセちゃんの、オープンガーデンの素晴らしさが沁みてきたのである。

中世夢が原で働いていたころから、パセちゃんがバラづくりガーデンに打ち込んでいることは 聞いてはいたが、ゆく余裕が持てなかった。ゆくようになったのは退職後である。


真ん中がパセちゃん、来られた方に説明している

私の拙文で、パセちゃんのガーデンの素晴らしさを伝えるのは至難だが、企画者にその企画の個性が顕れるように、パセちゃんの庭には、余すところなく限られた狭い家の周りの敷地に、バラを含めた観葉植物ほか何百種類の植物群がまさに競うようにひしめき合って、今はやりの言葉でいうなら、ダイバーシティ、ピンからキリまでの多様性、大小色とりどりの花々、果肉植物が美しく、それぞれがそれぞれを引き立たせ、整然と存在していた。

薫風薫り、お天気にも恵まれ、光の花園、私はオープンガーデンで至福のコーヒータイムを過ごさせていただいた。あたかもあの世に浮かんでいるかのように。

バラから始まったパセちゃんの花の(近年は花以外の植物にも)ガーデンは15年近くなる。何事も10年以上真剣に取り組んだら、このように個性を打ち出さなくても、それは自然に眼前にこぼれるように現れてくるのであるということが、まさにまばゆい陽光のもとに如実に示されていた。

私は感動した、そして撃たれた 、そのあまりの一心不乱ぶりの見事さに。何としてもわが五十鈴川だよりに、この奇特な義理の姉のことを書いておかねばと、思うのだ。

独自に、一人黙々と、お金も体力も要るガーデンづくりに勤しむのは、ご本人にしか感知しえない、突き動かす何かがあるからだろう。お金があるからといってあのような庭はできない。愛情と情熱、知恵の結晶。限られた空間のあの土地に、パセちゃんの無限の想いを込めた何かが、花開いていたことの、素晴らしさを愛でさせてもらったものの一人として、書いておきたい。(もう私は芸術や文化とは限りなくおさらばし、静かな暮らしを愛す)

浮いたような、文書改ざん、偽善や、詐欺まがいの慈善(大学)事業、もう書くのも嫌になるくらい経済界、政界、官界、スポーツ界、あらゆる界に偽物が横行闊歩するご時世だが、パセちゃんの庭づくりには善悪が、創造と破壊が 敵対せず、美しく統一されていた。沈黙の美。

堕落した世相とは、まるで無関係に、ひたすらわが道を往く、義理の姉のゆく世界は私には、ただただカッコイイ。


2018-05-20

10年以上前、竹トンボを作って交流したご縁の方から身に余るお電話をいただき、そして思う。

先日、意外というか、思いもしないというか、まったく記憶にないご婦人から、予期せぬお電話をいただいた。

おおよそ10年以上も前、まだ私が中世夢が原で働いていた時、当時まだ息子さん二人が小学生の時に、私に竹トンボを作ってもらったことがあるとのことだった。

その時、私が束の間竹トンボを造りながらの会話が、ずっと記憶に在って、その時に竹トンボを共に作った御子息は成人し、いま彼女は、玉島の幼稚園の園長をされておられるとのことで、手を尽くし私の電話番号を調べて、お電話をくださったのである。

電話口でとつとつと、当時私が 話したことがいまだに頭から離れず、いま現在園長をしている幼稚園に、秋に話に来てほしいとの、身に余るお電話であった。

まさに一期一会の出会い、よもやまさかこのようなお電話を後年いただけるとは。少年には、ちょっと障害のある弟さんがおられ、刃物を持たせることに、お母さんは随分と神経を使わされていたらしいのだが、詳細は省くが、その時に私が即興でしゃべったことが、記憶の底に焼き付いて、記憶にしまっておられたとのことであった。

思えば、いったい何本の竹トンボを作って、来られた来園者の方々と、武士の屋敷の縁側で、縁あって交流したことだろう。

私は企画の仕事にも重きを置いていたが、武士の屋敷の縁側で、見知らぬ来園者の方々ととの、まさに一期一会の竹トンボ作りでの、束の間の出会い時間を、ことのほかに大事にしていたのである。
若い時に買って、書斎に眠っていた本を繰り返し読む

もっと書けば、今日はどのようなヒト、どのような子供と出会えるのかが、実に楽しみであったのだ。まことに持って十人十色本当に愉しい時間を、武士の屋敷では過ごさせていただき、未知の方々からたくさんのことを教えてもらった。

企画をするのは、苦楽を伴ったが、竹トンボ時間は楽しい記憶しか残っていない。私が作れる竹トンボはたかが知れているのだが刃物を現代の子供たちに、怖がらずに持たせ、その楽しみの入り口の場として、まさに武士の屋敷の縁側はまさに、縁を結ぶ場所として理想の場所であった。

若い頃演劇を学び、演劇とは出会いである、なんて言葉にしびれた私である。子供にとって、刃物を持つということは、ワクワクドキドキの大事件なのである。

そのワクワクドキドキの指南ができる職場、中世夢が原に出遭い、私は心のどこかで、演劇を学んで本当に良かったと、一期一会の交流を通じて何度も思わされた。幸福であった。

あの当時、私が小学生のころ学校の行き帰りに出遭った、鍛冶屋の親父とか、畳屋の親父とか、鋳掛屋の親父とか、漁師、お百姓さん、物売りの人、旅芸人等々、まだまだ機械化される以前の、人間の面白さに満ち満ちていた時代の記憶が、今の私を根底で支えている。

秋、どんな即興のお話ができるであろうか、孫の望晃くんに教えるように、まだまだほかに、これからの時間を有意義に生きるために、何か可能性が膨らむ勇気をいただいたお電話であった。





2018-05-19

雷雨の翌朝、リア王の言葉を裸足で声に出す。

昨夜、雷の音を聞きながら、雨と強風の嵐の荒野をさまよいながら、天地に向かってすさまじい狂気の呪いの言葉を吐き続ける、80歳リア王の姿を、暗い部屋で横になって想像しながら過ごした。

睡魔がきてやがて眠りに落ち、5時過ぎに目が覚め、洗面を済ませコーヒーを飲み、雨上がりの運動公園までリアのテキストをもってぶつぶつ言いながら歩いた。体が徐々に起きてくる。

運動公園に着いたら、いつものように裸足になり、深呼吸を繰り返し、おおよそ一時間嵐のシーンから始まるリア王の3幕の主に長台詞を、リアの台詞以外の登場人物のセリフも声に出して読んだ。

30分も声を出し続けていると、ゆるやかに雑念が消え、セリフが体になじんでくるのがわかる。7月7日の発表会まで、何とか少しでもセリフが自分の体の腑に落ちるところまで、こぎつけたいと、五里霧中のなか繰り返し声を出す、私にはほかに方法がない。

現在66歳のわが体で、80歳の老王の実の娘たちに裏切られ、酷薄極まる仕打ちに対するリアの狂気を伴った呪いの凄まじい悪口雑言を朗誦することは、限りなく難しい。
運動公園から帰ると盛りのバラが迎えてくれる

だが、80歳になったからといってリアがやれるわけのものでもない。今、リア王という作品を、声に出してやりたいと思う私がいる。そのことが一番私にとって大切である。

ほんのわずかでもいいから、リア王の言うに言われぬ、実存的な痛みや悲しみを表現するためには、 声を出しながら、ああでもないこうでもないと、両足で地面を踏みしめながら、声を出すしかないのである。
 
組めども尽きせぬ普遍的名セリフの数々、突然リアは絶対君主から、無一物、不条理な世界へと放り出される。

400年以上前に書かれた作品であるが、リア王で描かれている不毛ともいえるほどの、愛
と憎しみの連鎖は、現代グローバル化世界を いかんなく照射している、と私には思える。