朝である。同じ場所、同じ机の上で朝の窓からの眺めに、ドレスデンに居るのだなあと思う。6日連続の快晴、朝は肌寒い位の気温である。西大寺の机の上で打つのとはやはりまったく気分が異なるのは、異国情緒が高齢者の私の体に感傷的な気分に浸らせるのである。これは旅人の特権である。その気ままな気分が五十鈴川だよりを私に打たせる。
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| 見事に復活した中心部 |
さて昨日は取り立てて予定がなかった。レイさんがどこか行きたい所があるかと問われたので、市内をブラブラしたいと応えたので、私はレイさん家族とドレスデンの中心部を、ほぼ半日散策、ちょっとショッピングにも立ち寄った。(カード一枚で全て足りる、現金不要)
家を出たのが、午前9時半、近くの路面電車停まで歩く。おおよそ20分。ドレスデン中央駅で降りる。第二次世界対戦で無惨なまでに破壊され、今は見事なまでに復興が市民の努力で成され、ドレスデンの古い都の素晴らしい古い教会、多くの由緒ある建物がひしめき合う、中心部を、多くの観光客と共に陽射しを避けながら、堪能したした。12年前よりもはるかに街並みが染み入ってきた。
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| 歴史が絵で示されている。 |
エルベ河を望みながら、古い建物のテラスで、娘が作って持参したハンバーガーで簡素な昼食を済ませた後、再び市内散策、頂上からドレスデン市内が一望できる古い教会があったので上る。
階段の数は260、高齢者には堪えたが、ここいちばん、不断の労働の脚力がでた。
いちばん驚いたのは3歳のミアが上りも下りも完歩したことである。そのことをきちんと打っておく。その教会には第二次世界の写真展示館があったのでしばし見いった。文字が読めないのが甚だ残念だったが、レイさんが一点だけ写真にとって、何が書かれているのかを、翻訳しスマホで送ってくれた。その一文を、掲載する。
シモーヌ.ヴェイユの言葉。根こぎ(デラシヌマン)は人間社会にとってはるかにもっとも危険な病である。根を失った者は、根を失ったままである。根づいている者は、根を失うことはない。根づくということは、人間の魂にとってもっとも重要で、もっとも見過ごされてきた欲求である。[シモーヌ.ヴェイユの著作、根を持つことからの一節です]。
ぞの教会を見学の後、カフェでアイスクリームタイム(私はビール)ミアが頑張ったのでご馳走した。人混みの多い最先端のデパートで、娘がちょっと日用品の買い物をしたのに付き合い、午後2時半路面電車に乗ってペーターさんの家にもどった。少し休んで、午後5時、路面電車に乗って、ギリシャ料理のレストランに向かったのだが、あいにく予約でいっぱい。急遽近くのドイツレストランでの夕食となった。
娘家族、ペーターさん、アンケさん、私の7人で。私は魚のフライとブロッコリーのフライに白いマカロニソースをあえた一品を注文、美味しく完食した。(お世話になりっぱなし、私が馳走した)
夕食を終えると午後7時すぎ、路面電車の高架まで歩き、何とそこで全員で日蝕に見いった。欠け始めておおよそ一時間、レイさんが用意したサングラスをかけて、最後レイさんの幼なじみみの親子も一緒に記念撮影。またもや忘れられないエンディングの一日となった。高架からはペーターの車で家に。いちばん先にシャワーを浴び、早々に私はひっくり返り、ノアを待たずに横になった。



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