旅から戻ると、太田昌国先生から、お葉書(絵はがきカード10枚が同封されていた)が届いていてビックリした。投函した日付が8月13日となっている。私がドレスデンで打った五十鈴川だよりを愉しく読んでいる、と書かれてあった。その一行に驚かされ、どれだけ嬉しかったことか。お葉書で、五十鈴川だよりを愉しく読んでいる、と頂いたのは初めてである。
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| 先生から頂いたウカマウフィルム作品のカード |
文字、文体には自ずと人柄がにじみでる。7月4日初めてウカマウのフィルムを観て心が揺さぶられたことのお礼を葉書で出したら、お返事を頂いたのである。7月4日、受けた印象をを五十鈴川だよりに打ったので、読んでほしいと、お電話も、いきなりしたのだが、きちんと読んでくださっていたのである。誠実で大人である。
その事実に私は驚くと共に、7月4日先生から受けた直感的印象が、間違いなかった事を確信したのである。正直今私の体は、思考がままならいほどに、心地良い疲労が蓄積しているのだが、先生のお葉書を繰り返し眺めていると、何やら打たずにはいられなくなるのである。大人の先生から、よもやまさか久しく感じた事のないような温かさを、人格を私はお葉書に感じてしまったのである。
もうちょっと涼しくなったら、ウカマウフィルムの自主上映会に向けて、頭と体が動き始めると思う。それまで今しばらく、労働しながら頭と体が錆び付かないようにただ生活したい。9月5日には東京学園坂スタジオで、2回目の上映会があるので、上映会もだが、先生に会いにゆく予定である。
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| 生活者が演じている、そこが凄い。 |
話は変わるが、この年齢で、何ゆえ、ウカマウフィルムの自主上映会を企画したいのかを、つらつら労働しながら朦朧とした頭で考えている。
自分にウカマウフィルムの作品を企画できるだろうかと(資格があるだろうか)言う、単純素朴な問いである。もっとうてば、皮膚感覚では理解が及ばない世界を企画する重さである。
だが体の中で、理解が及ばないからこそ企画する、企画しなければならないのだとの内なる別の声が、ほうはいと湧いてくるのである。そしてこれまでもそうしてきたように、遠くに感じてはいても、だからこそやらねば、遠くに感じたままで人生を閉じることになる。そちらのほうがずっと私には恐ろしい。(のだ)
まだ先生の本と、ウカマウフィルムの作品を僅かしか観ていないのに、何やら企画するのも面映ゆい。が、残された私の人生時間を慮ると、もうそんな事は言っていられない、やらねばという気持ちが抑えられないのである。とはいっても、この暑さがもう少し収まらないと、何ともならない。
その間ちびりちびり老骨を冷やしながら、我流で学ばねば(情熱をキープするために)と思う。いずれにせよ近々上京先生にお会いするのが楽しみである。
PS ネパールの氷河の大崩落、能登の水害、ベネズエラ、熊本の地震、、、。鴨長明の方丈記を夏休みの異国旅に持参ししたが、世はまさにあの時代を彷彿とさせる。


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