ドレスデン7日目、最後の朝である。74歳にして、12年ぶりドレスデンのレイさんの両親の住むフラットに6日間ホームステイさせてもらえた幸せが、老いた体を嫌でも感傷的にさせる。
春、妻とノアと三人で門川、故郷を旅した時、不意に今行かないと、と急にドレスデンに往くことを決めた。今、元気に五十鈴川だよりを打てるうちにこれた喜びに私は浸っている。娘が異国の男性を生涯の伴侶に選んだことで、結果このような意外性の連続、とでも言うしかない老人時間の旅がかなった。(私の人生は意外性の連続である)
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| 長女と未彩(ミア)3歳 |
そのいちいちはとても記せないが、わずかでも打っておかねばという老人の煩悩が、五十鈴川だよりを打たせる。今回の目的の旅の半分が過ぎようとしている。ほぼ一週間、有意義に過ごせた有り難さを、きちんと刻まずにはいられない。
12年前、娘の結婚式の時には、ただ嬉しかった喜びしかなかった。あれから12年の歳月の重みを今回の旅で染々、随所で、今も感じている。もう十分に老いているので、厚顔無恥を承知で打つが、老いてもやはり希望、夢をコツコツと貯める、心に水をやり続けることの大事さを想う。(実現する、しないではなく希望の根を養い続ける)
何事も伏流水のように、いきなりは湧水は生まれない。厳粛な事実である。人間は死をあらかじめ観念的には知っている動物である。が、私を含めその死を深く見つめつつ生きることは至難である。
だが、ようやくにして、ほんのわずかだが生きていることの、生き続けて来たことの哲学的な想いの一端が、この旅で初めてちょっとだけ府に落ちたような気がしている。
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| レイさんはカメラが趣味である。 |
昨日は午前11時前から、路面電車で10分くらいのところにある多機能プールのある施設で、夕刻四時過ぎまで、娘家族と私の水入らず時間を過ごした。このプールで過ごせたことで感じた事は、(多国籍の、おそらく宗教も言語も歴史も異なる老若男女の水着姿は絶対に日本では見ることが出来ない)いずれ日本に戻ってゆっくり打ちたい。
ただ、8歳のノアが繰り返し繰り返し、プールに頭から飛びこむ練習を嫌と言うくらい続けたことを一行記しておきたい。当初泳ぐつもりはあまりなかったのだが、ノアの無心な情熱が爺の心に伝わってきて、指導する手前、実演するはめになってしまったのである。
古希を過ぎて、頭から初めて飛びこんだのだが、意外に簡単に飛び込めたし、まだ25メートル泳げた。一年でも長く旅をするためには体力が必須である。
プールを後にし路面電車で家に。娘と私は近所のスーパーで買い物をして家に。夕刻7時最後の晩餐、もちろんペーターさんのガーデンで、アンケさんの妹さんの家族も加わり、11名での夕食。娘はソーメンを茹でお味噌汁を作ってふるまい、昨日行けなかったギリシャ料理をアンケさんがテイクアウトして各自にご馳走してくれた。
言葉の壁は随所に感じたが、要所要所での配慮に私は打たれた。午後9時前、夜の帳が降りて宴はおわった。食器の片付けを手伝うとアンケさんが日本語でありがとう、といってくれた。ペーターさんは暗くなる前、庭の植物に散水していた。その後ろ姿を眼に焼きつけた。レイさんと娘は子供たちのケアー。私は連夜、ノアを待たずさっとシャワー、歯磨きを済ませいちばん先に横になった。


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