パセちゃんのバラ(ほんとうに感動した) |
若いころには、あんなにヒトや文化的出来事を求めじたばたと動き回っていたのに、じたばた惑う感覚はさほど変わらないのだが、動かなくなった。
あるいは動けなくなったといった方が正しいかもしれないし、じっとしていながらも、精神は自在に動き回る楽しさに徐々にシフトしている。だから静かに思いを巡らせ書くことができる。想像力は本当に宝である。
シンプルに、ただ手の届く範囲の 暮らしに重きを置く、66歳の体の発する声に静かに耳をすませ、ただ体が喜ぶことを優先、もう無理はしないしできない。義理的な生活には限りなくおさらば、これまでの自分とは決別する。
話は変わる。昨夜遊声塾から帰ると、すぐ上の兄貴(次男)から立派な梅がドーンと届いていた。
朝一番えぼをとって水洗い(庸男さん感謝します)梅酒にする |
私は5人姉兄弟だが、全員そろって暮らしたのは私が小学5年生までである。詳細は割愛するが父の転勤で、私とすぐ下の弟は上3人とはその後別々の生活を余儀なくされたからである。
とはいえ、回数は少なくてもお正月他、定期的に家族全員での時間は折々共有していた。だがこの歳になると、やはり貧しい中全員で暮らしていた、私が5年生までのあの実家での暮らしが、私の記憶の中の黄金時代なのである。(お金はなかったものの、退屈した記憶がない、すべて面白かった)
ありがたいことに、最近の出来事はすぐに忘れ去るが、あのころの記憶はいまだ鮮明なのである。だからなのだ、私が歳を重ね死者の側の世界にゆっくり向うにしたがって あの黄金期に回帰するのは。
いま、私の生家は消えてしまい、今風のアパートが立っている。それを見るといまだ私の胸は疼く。良きにせよ悪しきにせよ、時代は移り変わるが、私の記憶までは消せないのである。
いまやあのころの幸福な(と今は思える、大変さも過ぎてしまうと、人間は美化する生き物なのである)貴重な感覚は、私がこれからを生きるための大きな根底を支える、エネルギ-なのである。(物や金に執着しない、あのころの楽しさをこそ、再び生きるのである)
特に次男の庭には、何本か実家から移植された植物などもあり、植物を愛する、父のDNAを最も受け継いでいる人である。野菜作り、花づくり、すべて見事である。目に見えない自然の移ろいを敏感に感知する能力、愛情がないと無理である。そういう能力は兄弟で図抜けている。
小さいころ兄弟げんかもし、父のサラリーだけの暮らしでは、どの家庭も大変だったあの当時、次男がもっともその時代の大変さをわが兄弟で担ったのだはないか。
わが姉兄弟も歳を重ねたが、ありがたいことに全員が元気である。取り立てて言葉を交わさずとも、いい感じで折々の再会時間が過ごせる今が、私には最もうれしい。夏また五十鈴川で泳ぎ兄貴の庭を見るのが楽しみである。
会えば、私のお恥ずかしきガンたれ時代(とても私は悪かった)の話が飛び出すが、それでもあの時代の苦楽を共に生きた、わが姉兄弟が何はともあれ愛おしい、仲良くしている姿を両親が向こう側から眺めていると思う。
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