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2018-05-20

10年以上前、竹トンボを作って交流したご縁の方から身に余るお電話をいただき、そして思う。

先日、意外というか、思いもしないというか、まったく記憶にないご婦人から、予期せぬお電話をいただいた。

おおよそ10年以上も前、まだ私が中世夢が原で働いていた時、当時まだ息子さん二人が小学生の時に、私に竹トンボを作ってもらったことがあるとのことだった。

その時、私が束の間竹トンボを造りながらの会話が、ずっと記憶に在って、その時に竹トンボを共に作った御子息は成人し、いま彼女は、玉島の幼稚園の園長をされておられるとのことで、手を尽くし私の電話番号を調べて、お電話をくださったのである。

電話口でとつとつと、当時私が 話したことがいまだに頭から離れず、いま現在園長をしている幼稚園に、秋に話に来てほしいとの、身に余るお電話であった。

まさに一期一会の出会い、よもやまさかこのようなお電話を後年いただけるとは。少年には、ちょっと障害のある弟さんがおられ、刃物を持たせることに、お母さんは随分と神経を使わされていたらしいのだが、詳細は省くが、その時に私が即興でしゃべったことが、記憶の底に焼き付いて、記憶にしまっておられたとのことであった。

思えば、いったい何本の竹トンボを作って、来られた来園者の方々と、武士の屋敷の縁側で、縁あって交流したことだろう。

私は企画の仕事にも重きを置いていたが、武士の屋敷の縁側で、見知らぬ来園者の方々ととの、まさに一期一会の竹トンボ作りでの、束の間の出会い時間を、ことのほかに大事にしていたのである。
若い時に買って、書斎に眠っていた本を繰り返し読む

もっと書けば、今日はどのようなヒト、どのような子供と出会えるのかが、実に楽しみであったのだ。まことに持って十人十色本当に愉しい時間を、武士の屋敷では過ごさせていただき、未知の方々からたくさんのことを教えてもらった。

企画をするのは、苦楽を伴ったが、竹トンボ時間は楽しい記憶しか残っていない。私が作れる竹トンボはたかが知れているのだが刃物を現代の子供たちに、怖がらずに持たせ、その楽しみの入り口の場として、まさに武士の屋敷の縁側はまさに、縁を結ぶ場所として理想の場所であった。

若い頃演劇を学び、演劇とは出会いである、なんて言葉にしびれた私である。子供にとって、刃物を持つということは、ワクワクドキドキの大事件なのである。

そのワクワクドキドキの指南ができる職場、中世夢が原に出遭い、私は心のどこかで、演劇を学んで本当に良かったと、一期一会の交流を通じて何度も思わされた。幸福であった。

あの当時、私が小学生のころ学校の行き帰りに出遭った、鍛冶屋の親父とか、畳屋の親父とか、鋳掛屋の親父とか、漁師、お百姓さん、物売りの人、旅芸人等々、まだまだ機械化される以前の、人間の面白さに満ち満ちていた時代の記憶が、今の私を根底で支えている。

秋、どんな即興のお話ができるであろうか、孫の望晃くんに教えるように、まだまだほかに、これからの時間を有意義に生きるために、何か可能性が膨らむ勇気をいただいたお電話であった。





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