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2022-03-19

雨のなか美星町のK氏を久しぶりに訪ねた、翌朝の朝に想う。

 最低の個人的な情報だけを、もうこの体に入れるようにして、と言うか気が滅入る画像には努めて見ないようにしている。なれて麻痺してしまう自分の感覚が怖いのである。だからいつもどおりの普段日常的な五十鈴川だよりをうつ。

昨日雨で労働がお休みだったので、何故か私の足は5年ぶりくらいになるかとおもうが美星町に車で向かった。目的は中世夢が原で大変お世話になった、初代園長であったK氏に会うためである。長くなるのでかんびんに記すが、私はカテリーナさんの招聘を決めてから、さてどこでやれればいいのかと言うことに頭を痛めていたのだが、まず思い付いたのが、美声天文台であったので、もうリタイアされてずいぶんな時間が経っているにもかかわらず、浦島太郎の私は、ほかに相談する相手も思い浮かばず、突然の電話をいれたのである。

K氏はある意味では時間的に無謀とも言える私の企画に後期高齢者を過ぎておられ、私と同じように、数年前にご病気入院をされて、体調が万全ではないないにもかかわらず動いてくださったのである。

結果的に、場所は能楽堂ホールになり、私の思い付きは実現しなかったが

我が家の庭のクリスマスローズ

、何事もよい方向にしか考えないのが私の性癖である。お骨折りに感謝しお礼のが方々、会えるおときに会っておこうと、かなりの雨のなか向かったのである。

K氏はそのような私を快く迎えてくださり、雨に濡れた私のために暖かい珈琲をいれてもてなしてくださった。そのいちいちの久しぶりの会話はとうてい記すことはできないが、会話の最中、私の頭を何度も駆け巡ったのは、思いついて来てよかったということである。

K氏との出会いがなければ、おそらく私は中世夢が原で働くことはなく、20数年にわたって企画者人生を送ることもなく、ひょっとしたら一本の企画もなすことなく人生を終えたかもしれないのである。まさに人生は出会いの妙で彩られる。

K氏との出会いは、まさに後半の私の人生を変えたのである。もう古希を迎えたのだから、少しは人生を振り帰ってもいいだろう。書いていると様々な中世夢が原での出来事がまさに夢の中の出来事であったかのようにのように思い出されるのは、やはり私が老いたからだろうと、とは思う。だが老いない人などいないのである。

老いてしみじみとわかることがあるのである。昨日のK氏とひさかたの再会は、ウクライナの企画を発心しなかったら、まずお会いする機会を逸したかも知れない。そのようなことに想いをいたすとき、なんと不思議な我が心の動きに、心のざわつきに、いまを生きているからなのだと、合点がいくのである。

心が動くままに、正直に生きてゆく。これしかないのだ。

別れ際、K氏は些少ですがですがと志のカンパをくださった。雨のなかK氏の家を辞した。私の心は雨なのに晴れ晴れしていた。


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