昨日午後3回目のワクチン接種を済ませた。左腕がいくばくかだるいが発熱もない。だが今日は明日から上京するし、大事をとって労働バイトはお休み、明日からの上京準備とうに時間を費やし、何人かに(遠方の)お便りを書いたりしたいと思っている。
10年ぶりに企画することになって、この一週間仕事の前や休憩時間にメールやお電話をしているのだが、瞬く間に時間が過ぎてゆく。私の場合、デジタル機器時間はほとんど午前中である。あえて、生活にメリハリをつけるためにそうしている。
昼食後から夜にかけては、ほとんど特別のことがない限りスマホは手にしない。散歩したり本を読んだり、別のことに頭をシフトしている。夕方6時以降はなにもしない。とくに夜はただ体を休め、はやく床につく。そしてはやく起きる。スッキリとした頭で、ほぼ午前中の7時間で、大事なことは考え進める。40才から、そういうスタイルが体に染み付いているので、こればかりはこれから先も変えようがない。
だから夜、週に一度とはいえ7年近く、天神山まで出掛けていってレッスンを続けていたものだと、今となっては想う。やはり無理を知らず知らずのうちに体に与えていたのだと。
たぶん恐らくこれから毎年3月になると、昨年ベッドに横になっ
3月9日の朝日 |
て、回復を祈り続けたことを思い出しては、命のありがたさに想いを巡らせることだろう。
2月24日、ロシアがウクライナに侵略してから、古希を過ぎた今の自分になにができるのか、問い続けた結果が、ヵテリーナ(エカテリーナは間違い訂正します)さんの企画へと結び付いたのだ(と思える)。
まずは思い付くこと、後はいかにして実現化するための方法を、これまでの経験を踏まえたうえで、娘や新しい世代から学びながら、古希を過ぎたこれからは、無理をしないでゆっくり歩きながら、思い付くことを誰かさんのようにメモしながら、と考えている。
報道の画面ではきっとお茶の間には伝えられないような、悲惨なむごい状況が起こっているのに違いない。あの病院のベッドでなすすべなく、祈るようなおもいでいた自分を思い出す。もちろんはじめて経験したのだが、最後は覚悟と祈りしかないのだ。
この状態から抜け出して自由に歩けるのであれば、50年以上飲んでいたお酒もやめますと、私は自分に誓った。幸い今に至るも実行している(少しなら飲んでいいとはお医者様には言われているが)。もう飲みたいとは思わないのである。
話を戻す。企画を思い立ったことで、長いこと音信不通であった友人とうにもお声かけを、臆面もなく突然の想いを伝え始めたのだが、意外といっては大変失礼だが、今のところほぼ全員から暖かい賛同の意思を賜り、いっそうの責任を感じている。
このような友人知人に恵まれている我が身の幸運、ありがたさは言葉にはなし得ない。私にできることは世界のまれな音楽家を岡山に招き、人生を肯定できる希望の一滴をを企画することである。どのような国家的な大義があろうと、罪もない極めて普通の生活を営んでいる人間を蹂躙する権利は誰にもない。
あくまでも平和りに解決の入口を見つけるのが、21世紀をいきる政治家のつとめだと、私などは考えるのだが、ウクライナの出来事を鑑みると、武器が発達したぶん、余計におぞましさ冷酷さが際立つ。
話を変える。昨年、旧交が玉ねぎ事件でいきなり復活、香川に住むI氏から、倉敷に住むKさんからも暖かい賛同のお声寄せられている。なんとしてもヵテリーナさんの企画をまずは実現させたい。
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