いつにも早く目覚めた。珍しくなにもうつきが起きない。が、打つのである。ニュースも最低限しか目に、耳にせず。あれやこれや、老いた身を鑑み、春間近な空を眺めながら、10年目のウクライナ緊急ささやかアクション支援音楽会について、いつどこでどのようにやるか、やれるかに思いを馳せている。
タイトルは、ちらしは、スタッフは、なぜアクションを起こすのかの一文は、等々、次から次に、やらねばならない、考えねばならないことは、尽きない。そう、企画をすることは、まさに自分との戦い、煩雑なあれやこれやの交渉、やり取り、意思を伝えることの根気比べ、山は低くても高くても、険しいのである。
だが、我が体は達成したときの喜びを何度も体験している。だが、今回の企画は、明らかこれまで企画してきたものとは、ちょっと次元が異なる。だが、理屈はいい、今やらねばいつやるのだとのうちなる声が、私にははっきりと聞こえるのである。
まずは、思い立ったのだから、なんとかヵテリーナさんに来ていただく、それさえ決まれば後はきっと流れる。どこでやるかの場所がもっとも大事だ。ウクライナの演奏会を岡山のどこでやれるか思案している。
そしてコロナ下、集客人数は。いつやれば、やれるのかと、老いた頭はじんわりやんわり回転する。実現するまではこのゆっくり回転は止まらないのだ。大自然や仲間からエネルギーをいただきながら、五十鈴川だよりをうちながら、よたよたとではあれ、はっきりとゴールを見据えて歩こう。悪夢を見据える。
困ったときは、家族や仲間と相談し、若いときのように一人で抱え込まないようにしよう、と思っている。明後日、横浜で私は人生ではじめてウクライナの人と出会う。そう、企画する上でもっとも大事なことは、まずは出会うことなのである。
生きていることは他者との出会い、の積み重ね、そこからすべては始まるのである。そういう意味で、古希の節目のこの年に、ウクライナの音楽家を企画できるということは、巡り合わせ、お導きと考え、一歩一歩ことを冷静に進めルこと。これしか今は考えていない。
過去の自分とは、とうにおさらばしているので、今、おじいさんなりのことがやれるのか、やれないのか、そこが思案のしどころ、ギリギリまでの思案を生きたい。だが無理する企画はよいことにはならない。
話は変わる。青春期、【禁じられた遊び】というフィルムを上京して間もない頃、当時飯田橋にあった(いまはない)佳作座という名画座で見た。ラスト、瓦礫のなか、戦争で親とはぐれた少女の呟きが、あの旋律ともに、今も老いたからだの奥底に眠っていきている。
あのような痛ましさを経験することなく、この年まで生きてこられたことにたいして、もう私はウクライナで起きている出来事にたいして、なにかせずにはいられないのだ。
若き数学者森田真生氏(私には先生)がかかれていたが、世界の叫びに耳を傾けるリスポンス(反応)が責任、リスポンスビリティなのだと。私には責任があるのである。
この度の企画は、はじめて企画するチャリティー演奏会である。最低の経費を除き、全額ウクライナの人々へ、食料や水医薬品として、ウクライナ大使館に寄付します。この企画に事前に賛同してくださったかたには明細をお知らせします。今朝はこれくらいで。
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