昨年のの3月23日わたしは生まれて始めての手術入院から退院した。その日のことは鮮明に記憶している。だがそのような思いに耽っている場合ではない。よもやまさかの一年後、ウクライナですさまじいと言うしかない、現実映像を日々お茶の間で見ることになろうとは、私を含め、誰が予想し得ただろう。
まったく、この天と地の間には哲学のおもいもしないことがあると言う、ハムレットの台詞が頭のなかを去来する。なぜこのようなことが、誰が見ても蛮行の狂気の沙汰とも言える戦争が止まらないのか。歴史は繰り返すと言う言葉ではなんとも言えない、むなしさを覚えるのは私だけではないのではないかと考える。
だが、老いたりとはいえ、思考放棄だけは少々無理してもごめんである。五十鈴川だよりを打ちながらあの無惨と言うしかない人々の困窮から目をそらさず、一人ではあれ誰かの窮状が救われることを願って、何かしなくてはとの思いは、やまない。
ややもするときが滅入りがちになるのだが、昨日の夕方、某放送局の若い女性記者のHさんから、4月24日のカテリーナさんのチャリティ演奏会について、訊きたいとのお電話をいただいた。数日前、名刺をおいてきただけなのに、思いもかけない素早い反応に、正直意外といっては、大変失礼だが嬉しかった。
最初は思いを伝えるのが、顔の見えない相手に、気が重かったのだが、声の反応が自然で柔らかく、好奇心が失われていない瑞々しさをどこかに感じて、数十分もおもいのたけを吐露してしまった。話している間、若い世代と出会わないとダメだ、ダメなのだと言う、うちなる自分の声がどこかでした。
Hさんは、10年ぶりの突然の私の企画に、最初に声を通して出会った最初のメディアの記者である。還暦を過ぎ自分の好きなことに、逃げ込むかのように耽溺していた私が、ウクライナでの侵略戦争でアクションを起こしたことについて、ゆっくりと耳を澄ませて聞いてくださった。
Hさんとは、後日チラシができてから、直接お会いする約束をした。老いの行動の賜物、一刻も早い停戦を願いながら、行脚することの大事を、改めて痛感している。デジタルであろうが、何であろうが、想いを伝えルのには、やはり身体を使って作物を育てるように、地を這うようにカタツムリ的に動くしかない。
出なければ、思わぬ意外な人とは決して出会えないと、これまでの人生で私が学んだことなのである。人生70年、あっという間である。命短し恋せよ乙女ではなく、命短し動け老人なのである。
勇気をいただくお便り |
とまれ、この10年ぶりの企画は、これまでの企画とは全く異なる老いの喜びを伴いつつ進んでいる。4月24日まで、あと一月。チケットを行商しながら、未知の若いかたに出会いたいと思う今朝である。
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