夜とは異なる、まるで生き返ったかのような感覚の朝がやって来た。そして想う。このような極めて普通の感覚の朝を迎えられない、人々老若男女がウクライナをはじめとする戦争や扮装地帯には、わんさかいるのだと言うことに、思いを馳せるとき、なんとこの世は、不条理理不尽さに満ちているのかと、暗然としてしまう。絶対矛盾の途方もなさに。言葉化しにくいのだが、なぜ忽然と無謀とも言える、このような緊急企画をはじめたのかと、問い続ける自分がいる。
だからなのだろう、五十鈴川だよりを以前にもまして打ち続けるのは。答えのない問いを発しながら、企画をやろうとアクションを起こしたことについて、緊急支援演奏会が終わるまでは、一切の責任が私にはあるのだから。
カテリーナさんとは口約束、契約書も交わしていない。指切りの約束をしただけである。万が一不測の事態がしゅったいしたときは。そのようなことを私は考えなかった。考えなかったから、からだが反応したから、アクションが起こせたのだとわたしは考えている。私だって現代人、数々の中世夢が腹のビッグイベントではもちろん契約書を交わしてきた。緊急の思い付き、今回はない。
考える前に飛べである。中世の歴史公園で長いこと働いていたわたしは、近代的な思考のパターンからは、限りなく遠い思考をどこかで生きている。法律や書類などがなくとも、約束した仁義は通す、といったある意味では、現代的な常識や感覚からは、極めて古い感覚を未だに生きている、前世紀的な古き男なのである。
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これでよくもまあ、この複雑魑魅魍魎騙し合い吸血鬼的な時代を、呼吸できているものだと絶対矛盾を覚えるのである。亡き父は幼い私によくいったものである。男は信念を貫かなければと。義を見てせざるは言うなきなり。今どきこんなことをいったら、まさに絶滅危惧種である。そのようなことはいくら私だって自覚している。だから、絶対矛盾を抱えながら生きているのである。
企画をすると言うことは、人間的な信頼感が伴わないとまずはむりである。特に今回のように時間がない緊急企画は、火事場のバカ力的なチームワークが絶対的に欠かせない。だが、ありがたいことに、今週末にはチラシがする上がりそうであるし、何よりも信じられないほどの、私の思い付きの企画に,賛同してくださる方がこんなにいてくださルことに、正直驚き、勇気をいただきつつ、ちょっと恐ろしいくらいに、いまのところ順調に進んでいる。
貧乏性のわたしは、どこか落ち着かないが、なるようにしかならないことにたいしては、わたしはいつもどこかで楽天的である。腹を据える。身を捨ててこそ浮かぶせもあれ、このようなことを打つから時代についてゆけないのだと、重々承知しながらも、にたような感覚をお持ちのかたがたがこんなにも私を支えてくれているのだと、驚いている。
だから、何があっても後方で応援してくださる、友人知人仲間たちの力を借りて責任をもって、この緊急支援演奏会を遂行する覚悟である。
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