桜も咲き始め、日本人なら誰しも心が弾む季節の到来だが、私の心はいままで経験したことのない春を迎えようとしている。
地政学的にあまりに遠い、ウクライナでいったい全体何が起きているかの、自分自身の想像力の皮膚感覚的な弱さに、どこか忸怩たるものを感じながら生きているからだろう。だからなのだと想う。五十鈴川だよりを打つのは。
誰かが言っていた。脳は自分が見たいものしか見ないのだと。自分が心から思い感じなければ、一歩は踏み出せないのだ。何かはしなければ、とは思う。だが何を。侵略戦争が報じられたのが2月24日、私にできることはと考え続け、何かアクションを起こし、10年ぶりにウクライナの音楽家を招こうと、企画者復帰五十鈴川だよりを打ったのが3月5日である。
以来今日に至るも、そのまずは企画の実現に向けて、年齢を省みないかのような、何か突き動かすような久しく感じたことのない、老いの肉体感覚を生きている。正直、若い頃と違って動きは鈍いし疲れるが、精神は若い頃と違って、血気に流行らず冷静さを嫌でも保てるのが救いである。
それぞれの世代が動き、考え、連帯し、ああ、ああいうやり方もあると、不謹慎な表現になるかもしれないが、楽しめばいいのだと、私などは考える側に立つ。ただ一人、戦争非暴力のTシャツを着て行脚するだけで十分である。
一日一日なにか見つけ発信 |
要は柔軟に、ガチガチになって考えないこと、深刻なことを、あえて逆にユーモア感覚ですすむ、どこかしらに余裕がないとなかなかに進まず、しんどくなるとわたしは思う。だから五十鈴川だよりはいい加減にながれて行きたいのである。そのような私の思いを、あうんの感覚で共有できるかたたちと繋がりたいと切に思っている。
人間と言うのは、いざというときの反応やリアクション、行動でその方なりの生き方や、物のみかたが身体の細部に現れる。小さな私のアクションに意外な反応を見せてくださる方が少なくない。意外や意外、この方はと期待できそうな方がそうでもなかったりするのだから、シェイクスピアが言うように、人間は謎の存在なのである。
ともあれ、10年ぶりの企画者復帰は、娘のお陰でいまのところゆっくりと確実に進んでいる。ところで、テレビの報道画面はあまり見ないようにしているのだが、新聞は努めて読むようにしている。3月17日の中村明夫氏のコラムが、古市憲寿著【ヒノマル】をとりあげていた。
古市憲寿の戦争、と言う文句にひかれて一気に読んだのだが、若い世代、(私などよりも)が戦争について考えて、小説と言う形で表現しているのを知り、いたく嬉しく心強く思えたことを打っておきたい。年齢ではない、嫌な感じや、理不尽に思えることにたいして、思考停止になっておらず自分の言葉で考え、行動する人間的なヒトと世代を越えわたしは連帯し、繋がりたいと、たぶん戦禍の音がやむまで、繰り返し五十鈴川だよりを打たねばとの、思いなのである。
理屈はいい。泣き叫ぶ弱い立場の民衆の痛みや苦しみに無関心ではいられないヒトとわたしは限りなく連帯したい。我が家でいながらにゆっくり読める新聞から、勇気と希望をいただきながら、今日も誰かに、私の老いの思いを伝え、チケット行商行脚をと動くつもりである。
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