ページ

2015-12-12

想いもかけないことが連続して起きるわが年の瀬。

年の瀬が日々近づいてくるが、私は相も変わらずマイペースで流れている。若い時から散々右往左往生きてきて、いまだに雀百まで踊り忘れずという感が抜けきらない初老の私である。

ところで、先日舞踏家の女性を竹韻庵に案内したことをちょっとブログに書いた。今日は午後その方の家で、小さなユニットを作り岡山で活動したいという彼女の思いに招かれている。

彼女がほかにも、何人かの方たちにお声をかけているので、どのような面々が集うのか少々の不安も抱えながら、楽しみにしている。

これまで岡山にやってきて、声をかけたことはあるが声をかけられたことはほとんどないからである。

私は自分が単細胞を自覚しているので、愚直なまでに一途な(程度バランスにもよるけれど)人生を歩むことを余儀なくされたような方に、惹かれるところがある。

舞踏家の女性とは二回しかお目にかかっていないが、一途さという点では芸術家にしか持ちえないオーラのような匂いを私は感じたし、私の人生で舞踏家と直接会いまみえるのもこれも何かのお導きと 、今を前向きに生きたいだけである。

社会的には定年などという言葉が大手を振って歩いているが、還暦を過ぎたらひたすら自由自在に存在してみたいという思いしか私にはない。

定年、諦観、などというものは自分で考えればよいのである。ギリギリ、ハラハラ、ドキドキ、いまだときめく身体があるうちは、ひたすらその流れの中を、必死で泳ぐ。メダカはメダカなりのDNA人生を生きるのみである。

結婚式場を流れるエルベ川、怜君の祖母と
昨日とは異なる時間や、出会いがあるなんてことは、たまさかに生きている果実であると私は考える。

いきなり話は変わるが、昨日も予期せぬかたからお電話をいただき夕方西大寺でお茶を飲み、お話を伺ったのだが、とある方が私を紹介したとのことでした。

ちょっと驚きました。私が岡山にやってきてあれこれやってきたことを(いったん過去形にしておきます)きちんと感じ見ていてくださっている かたがいたからこそ、このような実に余るお話をいただけるのだと、大変恐縮至極のありがたいお話でした。

4人のインタビュー本を作る(実際に販売する計画です)その中の一人として、何故か私に受けてほしいとの依頼でした。正直、私でいいのかとの思いがよぎりましたが、つたないなりに20数年企画してきたいささかの私の仕事が、何らかの形で記録として残るのであれば望外の喜びなので有難くお受けすることにしました。

来年2月からインタビューを開始、10月には本を完成(横長版の写真集のような体裁になるのではないかと、定価は1000円程度、未定)するとのお話でした。

今朝はこれくらいにとどめますが、なんともありがたいお話なのでインタビューされる側の一人として(他の3人の方の中のお二人とは面識がある)よき本ができるように側面から、微力を尽くせないものかと、ま考えている。

ともあれ、いい意味で思いもかけずうれしいことがおきるわが年の瀬、 静かに何かに感謝するのみである。

1 件のコメント:

  1. 「いいとも!」みたいな 人のバトンリレーですね

    返信削除