妻は月曜日から金曜日までフルタイムで働いているので、努めて家事の幾分かを、私が担うように心かけています。
昨年ドレスデン・妹さんも一緒に怜君のお母さんの家の近所を散歩 |
食器の片付け、洗濯物を干し取り込む(娘がやるときもある)、 それから掃除、簡単な買い物など、たまに夕飯を作ることもあります。娘も。
これからは妻との時間を大切にし、本を読んだりする時間を減らし、料理をする時間を増やしたいと思っています。
妻は私より8歳若いのでまだまだ元気なのですが、少しでも妻の負担を減らし、私の楽しみを同時に増やしたいのです。
今日は雨の後なので竹韻庵はちょっとのぞくくらいにして、家事に重きを置いた一日を過ごすつもり、冷蔵庫の中に在るもので何か作る予定。
我が家はみんなそれぞれ忙しいので、朝と昼は各自で済ませ、夜は必ず一緒にするというスタイルなのです。
退職後、昼食はほとんど各自、(自分で作って用意し)済ませているので何事も継続しているうちに、それなりに当たり前のように簡単に苦も無くできるようになりました。
冬はやはり体が温まるものがほしくなります、(夏はぎゃく)年齢的にそんなにたくさんは欲しくありませんし、スープやなべ物がちょっとあれば、何とはなしにすぐできます。
何といっても母が季節の野菜を届けてくれるので(いまは小松菜やかぶ、春菊など)大助かり、我が家はほとんど外食をしないし食費がかなり抑えられます。ありがたいことと心から思います。
この国の行く末を、つらつらとおもんぱかるに、年金も含め我々庶民、とても私などは安穏とはしてはいられない気持ちになるのですが、いかがでしょうか。
食と安全、安心と健康は、可能な限り自分で守らないと、という気に私などはなります。
田舎の井の中の蛙が演劇などを学ぶという途方もない行動を起こしたがために、はなはだ個人的な辛酸を経験したことが、返す返すも今となってはよかった。工夫する癖のようなものが沁みついたように思えます。
なんでも安易にお金で済ませたり、労を惜しんでいると横着を絵に描いた大人になるのは理の当然でしょう。先人たちのほとんどは身の回りのことはほとんど半世紀前まで、身体を使っていたのですから。
城山三郎さんが、逆境を生きるという本を書かれています。わたくしごと気も個人的にほんのちょっぴり苦労したおかげで、節約しながら面白おかしく生きてゆく工夫をいまだに続けられているように思えます。
本当にチャップリンが言うように、家族と、友人と、少々のお金があれば、付け加えるなら健康があれば、それこそがまさにいかようにも生きられる。知恵の泉を耕さなくてはと思います。
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