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2015-12-25

師走、ひとり静かに小津安二郎監督の東京物語を見る。

師走のさなか、たまたまNHKでお昼小津安二郎監督の【東京物語】と【秋刀魚の味】を続けてみた。

戦後70年の節目の年、原節子さんの訃報が知らされた。家人のいない部屋で一人静かに見入った。

20代、名画座で見たことのある作品だが この年齢で見るとなんともはや心に染み入ってくる。これだけは年齢を重ねないと感じ入ることのできない世界ではないかと、私は思う。

東京物語は1953年の作品、わたしが一歳の時である。いま、63歳の私が見て思うのは、名作というものはかくも時代を超えて残り、人間の深いところに届くのである。

私は玄関の開け閉めの音なんかに、昭和の家のかすかに時代の空気感を肌で感じることができるので、なおさら琴線を打つ。

団扇を仰ぐ老夫婦の姿に、曾祖父母の姿が蘇る。明治は遠くなりにける、なんていうが私には昭和は遠くなりにけ、あらゆるシーンに私の昭和が蘇る。

名作には余分な説明が一切ない。一気に展開するので、見る方はその間の出来事の推移をいやでも想像する。余韻の残る、奥行きのある、暗示する作品こそが私の好きな映画である。

時代に翻弄されながらも、家族として生きる姿のそこかしこに無常感が忍び込む。それを独特の同じポジションからの人間目線のロウアングルでとらえる。

一筋縄ではとらえきれない人間の細やかな感情のひだが、セリフのない無言の顔のアップで示される。絶対矛盾に揺れるしかない人間存在の悲しさ、と美しさ。

私が年齢を重ねるにしたがって故郷に回帰するのは、おそらく昭和にこそ私の青春(人生の大部分)があり、自分の中でいたずらに今の世相に迎合してまで生きるのは、はなはだもって無理があり、時代に取り残されても、東京物語の老いた夫婦のように、それを丸ごと受け入れた両親を見ているからだと思う。

戦後復興した旧市街を歩く妻と娘
いい意味での諦念のような。だがこう書きながらも、いい事か は別にしてあの時代に比較して格段に寿命がのびた現在、はなはだもって私は元気なので、今しばらくはじたばたしながら生きることになるのだとは思うが。

だがきっといつの日か、東京物語がもっともっと染み入ってくる日が来るのは確かな気がする。

このような映画を生み出した小津安二郎という監督の偉大さを漸くにして私は感じるようになってきた。

ところでこの東京物語という作品は、世界映画史上、2012年世界中の映画監督358人が選ぶ、監督選出部門の【10年に一度選ぶ】第一位に選ばれたとある。

このような世界の人たちに今も理解される、通じる普遍的な作品を小津安二郎という日本人が創ったことは何という誉だろう。

長部日出雄さんがM新聞に書かれていた。小津監督の作品は現在の世界の映画の流行とは、正反対の立場にある。

暴力・殺人・破壊・炎上・スリル・サスペンス・などの映画的な要素とは無縁で、非日常的な出来事は一切起こらない 。描かれるのは平凡な家族の平凡な日常ばかりー。


人間の本当の幸福は平凡な日常の平凡な繰り返しの中に隠されている、というのが小津の信条である。

その考えが的を得ていたのは、いま混迷を極めて何が何だか分からなくなっているシリア情勢と、長年住み慣れた土地を追われて、欧州に向かった難民が直面している悲惨な境遇を観れば一目瞭然ではないか、と。

地上に紛争と混乱が続く限り、平凡な日常の繰り返しこそが人間の非凡な幸せと説く。そのヒロインは原節子しかいないと。(余談だが黒澤明監督の白痴のヒロインの原節子さんが素晴らしい)

不世出の原節子の存在有らばこそ、小津安二郎監督の名作東京物語は生まれた。




1 件のコメント:

  1. 與那覇潤氏の「帝国の残影」という本があります。「いちばん 日本的だと日本人が思っている映画監督」とも称されているその作品の内部に、いかに中国大陸での兵士・小津安二郎の影が深く差しこんでいるのかを考察してみたい・・・という。お時間があれば どうぞ。わたしには 結構 きつい内容でした。

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