少しアルコールが入るのでS氏が岡山駅まで迎えに来てくださることになっている。ありがたいことだ。7月末から竹韻庵に通うようになり、体力維持鍛錬くらいの気持ちでいまも続けている。
自分なりのことしかやれないが、五か月でずいぶん竹韻庵の雰囲気は変わってきたと思う。開墾して畑らしき体裁を整えたばかりのところに植えた、チシャトウやネギほかの野菜も、日照時間が少ない中 それなりに育っている。
それを眺めながら、いま孟宗竹の根を取り除くことを根気強く続けている。これはやったものにしかわからないくらい根気がいるし、かなりの体力を消耗するので、現在の私の体力で正味2時間くらいが限度である。
メインに使う道具は、斧とつるはしである。これがなければまず無理である。道具と体が連動してこその労働。働くという字は人が動くと書く。
頭は足と腰の上にいわば乗っかっている。直立歩行を始めた人類は、いまや頭がもっとも大地から離れたところを、いわば浮遊するような感じでたゆたっている、のだ。
私は思春期までの時間を、アスファルト以前のむき出しの土まみれの時代に育ったので人工空間が大好きなくせに、そこだけで呼吸しているとカサカサに潤いが無くなってくる自分を感じる。
いわば絶対矛盾だ。だからいま、竹韻庵に通いながらの都市生活は、私にとっては理想的なのである。このような生活ができる今を、ひとえに誰に向かって感謝したらいいのか。
だたただ謙虚に感謝することを忘れないためにも、日々五十鈴川だよりを書きたい。おそらく斧を振り下ろす体気力が持続でできる間は、きっと声出しも続けられるような気がする。
自分の体は自分がやはり一番よく分かるようで在りたいのだ。本を読んだり、ブログを書いたりするがために、私の一番の今のところの弱点は背中である。
それなりの対策を続けながらこれ以上はひどくならないようにケアーをしている。しかし在り難いことに、未だ元気に動ける身体があることの嬉しさは、歳を重ねるにつけ深まる。
あくまで自分という存在を動かしながら、老いてゆく時間の中での、自分なりの右往左往揺れる姿を、見つめたい、というくらいでこれ以上書くのは控える。
ドレスデンの怜さんの大好きな森を家族でピクニック |
ところでいつものように話は変わり、堀江貴文氏の【我が闘争】という本を読んだ。
(わからないIT
語はすっ飛ばして)この人の本を自分が読むとは思いもしなかったが、一言私には大変面白かった。
1972年生まれの氏は、私より 20歳若い。
人は生まれてくる時代を選べない、その渦中をある種天才的に氏は突っ走る。そのスイング感は若さゆえの才能のほとばしりを縦横無尽にいかんなく発揮、それは今も続いている。
氏はいわばそういう宿命の星に生まれたのだ。全地球上の存在がいわば宿命的に日々を呼吸している。想像力こそ私の財産、生と死を日々繰り返し、命は時に縮み時に輝く。
せっかくこの星に生まれたのだから、日々を気持ちよく呼吸したいとシンプルに私は考える。
拝啓 日高様
返信削除日高さんの第二の故郷、東京はいかがでいたか?
久しぶりにお目にかかれて嬉しかったです。
日高さんの出自をたどれば舞台俳優に行き着きますね。
世界中の演劇人が尊敬する巨匠ピーター・ブルック(演出家)は長年の芝居づくりを次のように言い表しています。
「死守せよ。そして軽やかに手放せ」と。
いまの日高さんにぴったりの言葉ではないでしょうか。
東京での感想を楽しみにしています。
敬具 M