月曜日の朝だと皆さん働いているし、ほとんどリタイアした方々しか来れないので私の方からお願いして、時間を変えてもらったのである。
とにかく夜になったら、ひとりでも生徒さんが増えることを私は願っているがこればかりはどのようになるのか皆目わからない 。
とにかく私としては、夜に変わったことを機に何らかなPRをしたいということを今考えている。なるようにしかならないにせよ。希望を持つのみである。
話は変わるが、おとといの夜10年ぶりくらいに忘年会を我が家の庭と家の中でした。家族とゲスト合わせて9名によるちょうどころ合いの人数での小宴会となった。
庭で炭火を起こし、牡蠣を焼き私がゲストに振舞った。7時過ぎからは家の中に所を変え、夕食をしながらの歓談タイムを過ごし、ささやかで穏やかな愉しい忘年会となった。
母と妻が準備から片付けまで大活躍してくれた。久しぶりの忘年会である、がしかし母の存在の大きさをあらためて感じ入り再認識した。
ドレスデンの王宮あと戦後見事に街並みが再創造されていた |
やがてはこのような忘年会もできなくなるであろうとは思うが、今年は何とかやれた。そのことをただただ私は感謝している。
夢が原退職後、母や妻との休日時間を大切にすることを、ブログ上で臆面もなく何度も書き綴る私だが、本当に感心することが多い母である。
当たり前に、自然に染み入っているかのように、ゆるゆる動くことをいとわない、やめない その仕事ぶりに、私は打たれる。
新聞は読むが、本などはほとんど読まない。畑仕事と、洋裁と編み物が彼女の一日の大部分を占める。一言での母の暮らしぶりは、家族のためにのみ費やされている。
一切の贅沢はしない。そういうことを育む環境に生まれなかったのである。だから口癖のように今が幸せだと、念仏のように繰り返し唱える。
そんな母だが、この夏妻と二人怜さん娘夫婦のところに3泊4日で上京した。数十年ぶりのことだ。ことのほか幸せそうな旅のアルバムを娘が作った。
なぜ行ったか。怜さんが一度来てくださいと再三誘ったからである。家族もだが、人間の信頼足りうる関係性は、ともに苦楽を共にすることでしか育みえないということだと私は考える。
一見大変そうな体動かしを、人生時間のほとんど費やしてきた母である。だからいまだに知らぬ間に、編み物や野菜が出来上がってくるのである。
一事が万事にそれは言える。学校を終えたら終わりではなく、人生はつまるところ生き方、継続、積み重ねの上にしか、花は咲かないのだということを母を見ていて、ともに時間を共有しながら思わせられる。
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