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2015-12-02

素敵な舞踏家の女性と出合い、竹韻庵にご案内しました。

4日も竹韻庵を留守にしていると、畑がやはり気になる。そこで何はともあれ朝一番出かけた。漸くふゆらしくなってきた竹韻庵はしんと静まり返っていて、肌寒い。

雑木林に囲まれている竹韻庵の野菜は日当たりが悪く、成長は遅いがゆっくりと育っている。それなりに育っているので安心する。

そこで少したき火をしてから耕運機を動かしとにかく体を動かした。何はともあれ、竹韻庵では最低2時間近くは体を動かすことにしている。

こんなに早く畑ができるとは思いもしなかったので勢い竹韻庵にゆく回数が増えているが、これもまた成り行きで楽しんでいる。

話はいきなり変わるが、先日とある方が私に紹介したい舞踏家がいるということで、この間お会いしてお話をさせていただいたのだが、私の中で感応するものがあり、ほんのわずかな時間だったが、その方を竹韻庵に案内した。

女性で40年近くパリに住んで活躍されていた方で、私よりちょっと年齢は上なのだが、岡山で今後は生活しながら、小さなユニットを作りたいということで、何故か出会う羽目になってしまったのだ。

それもこれも何かの機縁だと前向きに考えることにし、まあとにかく私がいま大切にしている場と空間を見てもらいたく、即興的にご案内したわけだ。

とても喜んでくださったので、私はこの方と何らかの形で面白いことができるのではないかという可能性を今感じつつブログを書いている。

舞踏の歴史はまだ半世紀くらいだと思うが、地方ではなかなか見るチャンスが限られている。私自身も3回くらいしか見ていない。若き日びっくりした記憶がある。美醜とは何か。

踊りの概念を覆す動きの舞踏は私にとっては未知の世界、竹韻庵もそうだがお声がかかるということを私は前向きにただただとらえたいのである。

声を出すこともそうだが、喜びや感動は いい意味でのある種の苦痛を伴うものではないかという認識が私にはある。
昨年ドレスデンの旅で見つけた巨大カタツムリ

この齢になり、舞踏家と出合えるのも何かのめぐりあわせ。この方を中心にしていろんな人とまた出会えるのは生きているからこそである。いま感じ取れる日々の世界こそがすべてである。

舞踏家は己の身体をとして人間の根源のふちに降りてゆく。はなはだの勇気の持ち主でないとかなわぬ行為である。

ともあれ、人は巡り合い分かれ、別れ巡り合う。上がらない足を引きずりながら、よたよたとではあれ、何かの導きのままに流れるように流れてゆこうという五十鈴川である。

またもや話は変わるが、昨日夕方娘を岡山の歯医者に連れて行った帰り、娘が竹韻庵を見たいというので、再び竹韻庵を案内した。

親子で落ち葉のじゅうたんの山里を 二人でしばし散策。娘がいいところだといってくれ、畑もよく作ったね、といってくれたので単細胞の私は、若い時のようには上がらぬ足を、今しばらくはゆっくりと動かしたいとの思いを念じた。齢は無関係、要は情熱の発露のみにすがるだけである。

誰かが見て感じてくれる人がいれば、私は情熱の発露が保てる今を生きている。なにやら最近あちらこちらが痛い、昨日は過労だろうか終日歯がうずいた。当たり前だ63年かん使ってきたのだから。

だがこれまでとはあきらかに異なる自分があらわれてきたようにも思えるのでそういう自分を生きてゆくしかない。

(ちょっとしばらくの間

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