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2015-12-05

新聞で国内外のニュースに耳を澄まし日々を過ごす。

最初にまず断っておきますが、SDカードとパソコンのコネクトがうまくゆかず、昨年のドレスデンの写真がこのところ続いていますが、どうかご容赦ください。

書いている文章とは全く関係がなかった写真が載ったり、またしばらく文章だけになったりするかもしれません。

さて昨日は、午前中竹韻庵で笹の根を耕運機でうがしてから、しつこく笹の根を手で採る作業をしました。(土の匂いを嗅ぎ、こういうことをやっているときがことのほかに幸せです)

風が強い一日でしたが、竹韻庵は高い雑木に 囲まれていますので、直接風に当たるということはないのですが、木が風にあおられ木の葉がひっきりなしに舞い降りてきます。ときおり世捨て人感覚になります、いい意味で。

風が強い時には焚火は控えることにしています。じっとしていると寒いのでともかくのらりくらり冷えない程度に体を動かすのです。

体調次第では億劫に感じる 日もあるのは人間なら当たり前のことなのですが、これまでの経験でそのようなときはそのように体を動かせば、いまだ自然に体は動き始めるということが、私にはわかっています。

熱やよほどの体調が悪い時は別ですが、長時間でなければ体は動かした方がいいのです。案ずるより体を動かせです。

冬は日照時間が短いので、竹韻庵にいる時間を少なくして、ゆく回数を少しですが増やそうかと考えています。季節ごとにやれることを見つけながら竹韻庵が少しでもいい感じになればと思うのです。

体を動かしながら、休んではあれやこれや考えてきたので、ささやかに畑らしきものも存在しているのだと思います。

体と脳の意識は不即不離の関係です。書くという行為もかなり意識を使いますから、つまりはささやかに体で書いているのではという気が私はしています。

もう最近は、書き始めると体がかいているという感じで 、パソコンを開くまで何を書こうかなんてほとんど考えていません。
昨年ドレスデンで怜君の家族がバーベキューをしてくれました

私のブログは8割は即興文体になりつつあります。

話は変わりますが、ちょっと留守にしていると新聞がたまります。

一昨日と昨日、かなり集中して新聞を読みました。

読み手の意識、心かけ次第であらためて新聞には(M新聞だけなのですが)貴重な記事や今を生きるのに必要な情報が、満載されています。

専門知識は何もない私ですが、【核の回廊をいく】という連載をよんでいます。戦後からの原子力発電政策から、津波による事故、そして今また再稼働を認め始めた自治体の動き。

あらためてこの経済大国になるまでのエネルギー政策のむつかしさを、この連載でいくばくかを私は知りました。連載は続いています。知らないとやはり何も言えません。

温暖化で海面が上昇し、このままでは国が沈没する危機をツバルの大統領がコップ21の会合で訴えました。自国の利益だけを追える時代はとうに終わったと思う。この惑星生命体はかけがえなくつながっている。

プラスチックの微粒子のごみを魚が食べる、食物連鎖の、放射性廃棄物の濃縮の連鎖、海洋汚染の深刻さ。

フランスのテロ以外にも報道されていないテロの頻発、 新聞を開いても日本にいると皮膚感覚で受け止めることの困難さ。

だが、せめて日々新聞くらいは開いて世界の出来事や社会の出来事に耳を澄ます感覚を、なくしたくはないという思いが、たまった新聞を開かせる。読める体で読むしかできないにせよ読む。

報復の連鎖を乗り越える英知は、海面上昇を超える英知は、 安全なエネルギーを生み出す英知は、新聞で知るあらゆる悲しみ、国内外の暗い知らせを超える英知は、、、、。人間とは何か。お金とは何か。

竹韻庵で風の歌を聴きながら、初老の私は天と地の間で揺れる。


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