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2015-12-11

野坂昭如さんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。

85歳で野坂昭如さんがお亡くなりになりました。先日の水木しげるさんに続くかのように。

敗戦の時に15歳ですから、その後お亡くなりになる前まで飢餓の恐ろしさを、一貫して伝えられました。そのことはいくばくかは頭の中でではあるにせよ、受け止めています。

私が土に親しむようになってきつつあるのも、食べ物の有難さや、尊さを歳を重ねるにつけ実感しているからにほかならない。

命と食べ物は直結しているという、まごうことなき真実。ところで野坂大先輩は私の中では11PMに出演していたころの元気な盛りの頃の姿が脳裏に焼き付いています。

【みんな悩んで大きくなった】 のCMも。白いスーツにハットと黒メガネと独特の早口語り、まさに怪人。そして照れ屋で、余人にはないやさしさ。だからこそ、あんな素敵な奥様に巡り合えたのでしょう。

私が信じられる人は、どこかに後ろめたさや、ある種の申し訳なさ、いわば良心の影を引きずっているような人に惹かれる。

きっと私の中にも、そういう闇の自分を引きずって、今現在を生き延びているという苦い自分が、まぎれもなく存在し、眠っているからなのだと思う。

その人間存在の狂気の部分を、いやでも引っ張り出してしまう戦争という、いわば人類の国家間の悪事に翻弄されるあまたの民の苦しさ(自身が体験された)の恐怖のトラウマを野坂昭如さんはペンや歌や、お百姓をされたりしながら、生涯伝えられたのだと思う。

時代は野坂さんが憂えられたように進んでいるようにも思えるが、新しい感覚や感性を持った優れた若いかたたちの出現を感じる。

私は能天気ではあれ現在を肯定的に生きられる人生時間こそが大切だという認識をもって生きている、でないとこれからを生きる人たちにはあまりにも希望があらかじめ閉ざされている。各自がこじ開ける勇気を持たなくては。

きざな言葉ではあるかもしれないが、世界は今を生きているからこその中にしかありえないのだから。だからこそ尊い。自分の体、手や足を動かして頭に問うのである。

いたずらに憂えるのではなく、自分の中の希望という幻想とでもいうしかないものに、多くの人々は必至でしがみついているのだ、と私は思う。

その尊さを、私のような凡俗人はすぐ忘れてしまう。だからこそ忘れない根源的人類の記憶装置として演劇、文学や絵、音楽、あらゆる芸術が、絶えず繰り返し再生されるのだろう。



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