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2018-03-14

娘に男の子が生まれ、おじじになりました、そして思う。

昨日、3月13日午後、長女に男の子が生まれた。私にいわゆる初孫ができたのである。おじいちゃんと呼ばれることになった。まだ見てもいないし、実感的に遠いとはいえ、レイさんの送ってくれた母と子の映像と写真を見ると、すでに一人前の姿形、泣き声が立派で、言葉になしえない感情が、じんわりとおじじの体にこみ上げた。
少しずつ声に出して石牟礼さんの文章を読みたくなりました

娘の生誕が、私をして父親の端くれに導いたように、初孫の生誕が、きっとわたしをおじじに導いてくれるであろう予感が、孫の命の鳴き声を通して、私の体に湧き起っている。

時のたつごとに、孫の命は刻一刻と変化し、立ち上がるまで劇的な変化を遂げる。このかけがえのない二度とない時間を、娘夫婦には大切にしてほしいし、彼らはするだろう。

命の精妙さを体感するまたとない時間というしかない。もうすっかり過去の時間となってかなり忘却したが、娘が生まれてからの世田谷の団地での一年間、ふりかえっても新米両親として生きた時間のかけがえのなさは、私の生き方を変えてしまうほどに、赤ちゃん娘の持つ生命力に圧倒された。

人間なかなかに変わらないが、赤ちゃんのためなら、かなりの親は劇的な変化を遂げるように思える。おじじにしてもらえたのだから、私も初孫のためにも今しばらくの変化を遂げたいものであると、命の輝き、不思議さをまえにいささか神妙な私である。

ともあれ、こつこつ生きていると思わぬ後利益が、庶民の私にも訪れる。一見平凡な 生活の中での、何という非凡な生命の誕生、まさに天からの授かりものというしかない。

今月下旬から10日ほど、娘夫婦のもとに出掛ける予定なのだが、その間は五十鈴川だよりをかけないが、ノートを持参して折々の出来事を書きたくは思っている。命の輝きにあやかりたい私である。

さて、全世界のあらゆる出来事、株価の上下いどうが何十年も日めくりで報じられ、弱肉強食資本主義社会(破綻しそうである、価値観の変換が何としても必要だ、でないと命の元である水の惑星の生態系が危ない)が暗躍跋扈する。

何のためにヒトは働くのか?誰のために?という当たり前の問いが、欠落した社会の到来、一億が総活躍し、あげく他国の人と武器(永遠に軍需産業は安泰)をもって戦争まで起こす国に向かうのか?今しばらくおじじとしては老いたり、ボケている暇はない。

知らず知らず精神と体がむしばまれる超過労労働監視社会、人間不信社会、こころが金銭で売り買いされ、食い荒らされ、命がかくも軽んじられる時代のさなかに生まれてきたわが孫の未来を、おじじは危惧する。

命の重さに対する感覚が鈍磨(ほとんどしている)しがちなご時世だが、命の比類のなさ輝きは普遍である。世界のあまりの理不尽不条理、命の不公平は多くの人が認識している。

このままでいいのか、いけないのか、そこにこそ価値観を置いた、発想を変えた新しい政治家や新しい経済政策を、おじじは未来の人たちに期待する。おじじの役割は限りなくある。

安倍さんや麻生さんの自民党体質ではもはや無理、命の輝きを奪う大きな理不尽というしかない強者には、今後一人の庶民おじじとして、断固五十鈴川だよりで異を綴る覚悟である。



2018-03-10

母の命日を機に食生活を見直すことにする。

母が逝去して早20年である。昨日も五十鈴川だよりを書いたし、また今朝も書き連ねるのは、いささか書きすぎの感無きにしも非ずだが、それでも書きたい五十鈴川、といったところである。

母は81歳、父が83歳で亡くなり、私はまだ40代で子育て真っ最中であった。現在66歳の私は子育ても終わり、もうすぐ初めての孫に恵まれようかとの、齢を生きている。

人生の・有為転変を重ね人は皆歳をとる・(リアの台詞)という言葉が、私にも沁みる。

今朝私が作ったお味噌汁

生きることは、ほとんどが哀しみの連続である、とどなたかが言っていた。わたくしごと気のささやかな人生でも、かなり腑に落ちる言葉ではある。ではあるが、それだけではあまりにもむなしいと、小生は考える側に立つ。

悲しいことが多いのであれば、なるべくなぜなのであろう、と考え、悲しい自分を自ら慰め、愉しいことを探し続けてきたのが、オーバーだがわが人生であったのでは、(まだ終わってはいない)との思いが最近してきている。

ことさらに深遠なる哲学ほかには皆目無縁で、ただただ無学無知生き恥をさらしながら、(もかすかにまなび)一生活者としての人生を今も歩んでいるに過ぎない。
出汁は煮干しと昆布

母は言っていた。小事を大事に生きなさいと。齢を重ねるにしたがってますます母の言葉が沁みる年齢となってきて、有難く思う私である。

話は変わるが、最近数年ぶりに娘の言葉に従い、(ありがたいことに家族全員がわが体を案じてくれる、私は素直になってきた)健康診断のために病院に行ったのだが、血糖値が高いということで 、自らの生活を反省し、簡単な調理を試みている。

結果、どういうことになるのかが楽しみなので、しばらくの間、あらゆることを自制し、禁欲的に、生活してみようと自らに課しているのだが、3日坊主にならないように自らに戒めている。簡単調理は楽しい。小事をとにかく丁寧に生きる(ようにつとめたい)、母の命日に誓う。





2018-03-09

1998年に亡くなった、母の命日の前日に想う。

明日は母の命日であり、敗戦の年の東京大空襲の日であり、明後日は東北津波大震災、原発事故の日である。

当時私は59歳、7年の時が流れた。あれから私自身の生活が表面はともかく、内面生活がやはり微妙に変化してきてるということを、実感している。

そのことに関しての、ことさらの言及は五十鈴川だよりでは控えるが、あきらかに身の回りの何気ない、当たり前の手の届く範囲の日常生活を大切にするようになってきた自分がいる。

それと先日も書いたが、無数のおびただしい想い半ばで、旅立たれた過去の死者たちのことを、のーたりんの私も遅ればせながらいくばくか考えるようになってきた。

いくばくか考えるようになってきて最近思うのは、 無知なるがゆえの渇望が、老いてゆきつつも、深まってゆくのだという我が身の実感である。

外見は老いてゆきつつも、内面はいまだ激しく揺れ動き、老いてゆく中で若いころには感じなかったことが、ようやくにして感じるようになってきたことが、あるという発見である。
宝石のような文章がちりばめられている、肩を押される。

例えば、シェイクスピア遊声塾を立ち上げ(東北の大震災がなかったらおそらく遊声塾はなかった)5年が経ち、今リア王という傑作に塾生共々、7月7日の発表会に向かっているのだが、作品を深く理解し味あうのに、この年齢で読めることの幸運を想うのである。

息が浅くなり、若い頃のようには大声が出せなくても、80歳のリアの息を、感情を発露するには、それなりの人生の辛酸を生きてきた感情の襞が、無駄なく生かされ、老いた息というものが、大いに役に立つということの発見である。

発見がないと、不特定多数の方に観ていただくという表現行為は、私にはできない。ささやかに私のエネルギーの根拠を、私の母を始め無数の声なき声の中に、わずかであれ見つけ続けたい。

末尾にアーサービナードさんの【日々の非常口】という随筆本の中に見つけた、村の夕暮れ、というエッセイの中の、(いまわの挨拶)という詩を(ロングフェローという方の)。

【見栄えは違うが、本当は老いが、若さに負けないくらいの可能性を孕んでいる。陽が沈み、夕闇が迫ると、昼間はまったく見えなかった星が、天いっぱいに現れる】






2018-03-07

身近な死者たち以外の、死者たちのことも身近に考える。

最近高村薫さんの小説を読んだばかりだったので、新聞に高村薫という文字を見つけると、すぐに目がゆく。
他者の死に敏感でありたい

高村薫さんの小説のブックデザインを長年にわたり手掛けておられたという、装丁家、多田和博さんが、2月18日、享年69歳でお亡くなりになり、一文を寄せられ悼んでおられる。(すばらしい)

このところ、大杉漣さんはじめ同年代の方の訃報に接することが多いので、いささか否応なく、死について考えることが、多いように思うし、五十鈴川だよりでも書き連ねることが多い。

長寿を祝う社会の風潮には、異を唱えるものでは決してないが、長生きばかりが、幸福であるなんてことは、決して言えないと私は思っている。


要は何事にもほどよいあんばい、ある程度の千差万別のその方らしい、引き際、寿命をこそ生きられたら、(現時点でだが)と思わずにはいられない。その人らしい死に際、があるのではないか、あえて言えば、これからは、そこをこそ考えつつ、私などは日々を送りたく思うのである。


40過ぎまでは、死を特別に意識することもなく、ただただやみくもに生きてきたが、還暦を過ぎてからは、意識的に死を考えようと、努めている。
ご近所のしだれ梅

だから、今後も繰り返し書くだろうけれど、死と生を分けて生きるのではなく、そこはかと、日々の暮らしの中で折々死を意識することで、何とはなしに生を敏感に、新鮮に感じながら、生きていられるように心がけたいのである。

凡夫の私などに、大変に難しいことは重々承知ではあるけれども、凡夫は凡夫なりに、身近な死者たち以外の死についても考えられる、現在のこの陽だまりのような初老時間が、かけがえがなく思える。

死を想うことで、ささやかに健やかでありたい、寒春である。




2018-03-06

今日の新聞を読み、味わうことで今日を生き延びる、そして思う。

ちょっと寒の戻りのような朝の温度であったが、日差しを浴び、声を出しながら歩く先、近所の庭先の梅の花の一気の開花が、春を告げている。自然と直結しているわが体も緩む。

さて、退職後というか、生活に時間 の余裕が生まれてから、新聞、小説、随筆を含め、あらゆる日本語の文字を以前よりも、ずっと落ち着いて、丁寧に読むようになってきたように思える。

それとともに、いかに自分という存在が、言葉を紡ぎながらよたよたと思考をしているのかが、わかるようになってきた。言葉、文字に以前にもまして敏感になりつつある(ように思える)。
一日に何か一つ心が動く記事を見つけたいと思う
文字を通して、何かを見つける、感動する、内なる何かが揺れる。

知的な(かすかであれ)悦びには、今のところ年齢などは全く関係がないのだということを、今年になってますます実感している。足るを知り、無限世界の言葉にたゆたう。

それは、やはり気づいた時から、無知なればこそ知る悦びが味わえるのだという、いささか逆説めく、唯我独尊的わがままな発想によるとはいえ、人生一巡り、還暦を超えたら人生の晩年くらい、唯我独尊に生きてもいいのでは、と考える。

他者と比較するなんて愚を、私はこれまでの人生でほとんど選択してこなかったし、すべてを置かれたところの暮らし向きの中で、耕し掘り進み 、苦楽し今も生きている。


このような記事を見つけるために新聞を購読する

自分には才能がないのでは、との不安感に、思春期から20代の 青年期、何度も何度もかられたものだが、30代に入り自分は自分の人生を悔いなく生きる、といささかオーバーだが、腹をくくったところあたりから、運命の女神が好転し始めたのだ、と今は思える。

簡単に絶望したり、あきらめたりするのは、あまりにも私にはもったいないという気がしてならない、命あれば人生は長い。どんなことが人生に待ち受けているのか誰しもわからないのである。

目先の勝負なんて本当にどうでもいいのだ、パラリンピックのアスリートにみる、人間の無限の可能性、程度差はあってもどなたにだって備わっている。

カッコ悪くても人(他者はは無責任に勝手なことをほざく)に何を言われようが、気にはしても振り回される必要はまるでない。ほんのわずかであれ、やれば可能性は拓く、やらなければ無で終わる。そういう側から、私は世界を生きてゆきたい(よしんば明日倒れても)

若い時、特に金がなく、ずいぶんみじめな思いをあじわったが、(結果つくづくそれが良かった)自分で自分を楽しませるしか、ほかに私には方法がなかった。在るのは、不確かでひ弱なわが体だけ。私は全財産ともいえるわが身体にしがみつき、何とか生きてきた。

そしていまも、まったく若かりし頃と同じように、わが体にしがみついて 生きている。身体とは、何と不思議な器であろうか。

どこかの先人哲学者の言葉であったかと思う。体は私が作ったものではない、気が付いたらこの世にいたのだ。人間は、こころにも、身体にも衣をまとわないと、息ができない存在なのかもしれない。

リアの言葉【人間・衣裳を剥ぎとれば・おまえのように・あわれな裸の二本足の動物にすぎぬ】リア王という傑作は、人間の運命、存在の奥深い闇を容赦なく私に突きつける。

リア王の登場人物たちは、運命とたたかっている。運命と生きている。私もささやかに運命を生きるしかない。









2018-03-03

初めて高村薫さんの小説、【土の記】上下を読みました。

初めて高村薫さんの小説、土の記上下を読んだ。いわゆる純文学といわれる本を、ほとんどこれまで私は読んでこなかった。

だが、折々新聞などで高村さんの発言などをたまたま読み、ほぼ私と同世代の、この作家に関心をもっていた。何かこれまで読んだことがなく、今を生きる私に必要な手ごわい小説が読みたかった。

私は本(の種類にもよるが)を読むのは極めて遅い、特に高村薫さんのような、独自のその人にしか書けない自在な創作文体を、一行一行読み進むのは、かなりの根気が私には必要だった。

が、主人公が72歳で 【土の記】というタイトルに惹かれ、稲の栽培に関しての記述や、そのほかにも異なる分野の専門的な用語に、多々読めない漢字があって、しばし難儀しながらも、何故か読み進められたのは、やはり現代の高齢化家族の抱えている、不毛の闇を丸ごと描こうという、作家の比類ない挑戦に撃たれたからだ。

本能的良心がにじみでる作家が、数年かけ心血を振り絞って書いた小説を、わずかな時間で読み、読んだ気になってしまうのは、空恐ろしいことだといわねばならない。

巷間、日々数多の小説が出版されるが、私などが手にし、冷静に深く読める時間、本は限られている。縁とたまたまのタイミングでの本との出会いなのである。


よたよたとで、はあるが、わずかずつ長年にわたって本を読み続けてきたおかげで、 年齢を重ねるにつけ、良き本に巡り合うようになってきた。

2月は随分と五十鈴川だよりを書いているが、それはきっと良き本に巡り合い、日本語という文字、言葉で考える生き物として、言語による想像力が私の中で刺激され、かろうじて何かがわが体の中で、分泌されているからである。(本だけではもちろんない)

私が今求める作品は、なにがしかの、現代の解決不可能に思えるような問題から目をそらさず意識的に果敢に取り組み、挑戦している作家の本、読者が求める正解やカタルシス(そういう本も私は好きではある)ばかりではなく、未知の想像力を刺激してくれる本である。

数冊の本を時間帯で読み分けながら、【土の記】上下500ページを読み終えたが、この同時代の未曾有のカオスの中、一筋の光を(困難な道)探究する作家の言葉に撃たれた。




2018-03-02

春の嵐の日にアーサー・ビナードさんにお手紙を書く。

昨日は春の嵐が吹き荒れ、北国では強風と吹雪が続いて災禍が報じられている。今朝は一転穏やかな朝で、私は春の日差しが一番入り込む部屋で、しばしの五十鈴川だよりじかんである。

初老の、曰く微妙に揺れ動く自分の中の心身のうつろいを、週に何回かつづれるいっときのおかげで、充実の日々を過ごしている。(気がしている)過ごせていなければ、臆面もなく、書き綴れるわけもなく五十鈴川だよりは、当の昔におえていただろう。

一言、確認自問自答、日々のわがきわめて個人的雑記録が、五十鈴川だよりなのだと、あらためて思う。つたなくはあっても、何やらの想いがつづれると、数日間は何も書かなくても、良きリズムで日々が過ごせるのである。



アーサービナードさんは私が人生で初めて出遭えた詩人である
そうこうしているうちに、徐々に徐々にあの寒かった冬が去り、しずしずと春の気配がそこかしこに感じられ、冬を忘れることによって、新たにめぐりくる春を新鮮に生きられるというのが、身体に備わっている、人間の摂理というものかもしれない。人間は環境から逃れえない生き物である。

ともあれ、生きている限り、私は私の一回生をそれなりに絶対矛盾を抱えながら、可能な限り五十鈴川だよりを綴ることでの、内省時間を大切にしたいと思うのである。

さて、昨日午前中アーサー・ビナードさん、兄、年上の友人宛に3通お手紙をかいた。メールでのやり取りももちろん可能なのだが、最近万年筆でできるだけ手紙やはがきを書く時間を、大切にしたいと思うようになってきた。
詩人の感性が横溢、シェイクスピアの引用がそこかしこに出てくる

畏敬、敬愛する アーサービナードさんは、いまだにケータイを持たれていない、都内を移動する時には、雨の日以外は自転車で移動しているというほどの、グローバル化という一見美名な時代の大波には、安易に飲み込まれない、強靭な筋金入りの感性の持ち主、そのような方に手紙が書けるというだけで、私はうれしい。

私は思想信条も浅薄至極、ではあるが、年下の異国の方の、恐れ入るほどの日本語能力のもとに(英語も含めた多言語能力、疑う好奇心つまりは、彼の思想)徹底した 生き方を実践されているのを、わずかでも学びたく思う日々なのである。やわらかい頑固者に憧れる。

絵本の翻訳他お仕事は多岐にわたっている
先日念願かなって初めてお目にかかり、すでにもっていた本に講演が始まる前 サインをお願いした際に、お手紙を書きたいので住所を教えてくださいと、ぶしつけではあったが、いきなり申し出たのだが、ビナードさんは淡々と書いてくださり、何と電話番号、まで記してくださったのである。

人間は、直感で何かを感じるものである。私は理屈よりも直感を信じる。逆の立場、私だったらどうしたであろうか。日本語ぽこリポコリを読んで、氏の類まれなユーモアとその博識、教養の深さ、人間性に撃たれていた私は、詩人が見ず知らずの私に住所を書いてくださる自信があった、私の直感は当たった。

氏の発言や書かれている言葉には、嘘偽りの言葉がまったくない、限りない人類への愛の想いの深さ、氏が見つけた日本語の日本人も知らない、気づかない、思いもよらぬ発見の言葉が絶望的なまでに満ち満ちている。

氏は、このままでは日本語が廃れてゆく、この時代の趨勢を絶望的なまでに危惧している。異国の方がである。 一庶民、日本人の端くれとして、先人が生活の端々で紡いできた日本語の素晴らしさを学びなおしたいと、感じ取りたいと、思わずにはいられない。