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2018-03-10

母の命日を機に食生活を見直すことにする。

母が逝去して早20年である。昨日も五十鈴川だよりを書いたし、また今朝も書き連ねるのは、いささか書きすぎの感無きにしも非ずだが、それでも書きたい五十鈴川、といったところである。

母は81歳、父が83歳で亡くなり、私はまだ40代で子育て真っ最中であった。現在66歳の私は子育ても終わり、もうすぐ初めての孫に恵まれようかとの、齢を生きている。

人生の・有為転変を重ね人は皆歳をとる・(リアの台詞)という言葉が、私にも沁みる。

今朝私が作ったお味噌汁

生きることは、ほとんどが哀しみの連続である、とどなたかが言っていた。わたくしごと気のささやかな人生でも、かなり腑に落ちる言葉ではある。ではあるが、それだけではあまりにもむなしいと、小生は考える側に立つ。

悲しいことが多いのであれば、なるべくなぜなのであろう、と考え、悲しい自分を自ら慰め、愉しいことを探し続けてきたのが、オーバーだがわが人生であったのでは、(まだ終わってはいない)との思いが最近してきている。

ことさらに深遠なる哲学ほかには皆目無縁で、ただただ無学無知生き恥をさらしながら、(もかすかにまなび)一生活者としての人生を今も歩んでいるに過ぎない。
出汁は煮干しと昆布

母は言っていた。小事を大事に生きなさいと。齢を重ねるにしたがってますます母の言葉が沁みる年齢となってきて、有難く思う私である。

話は変わるが、最近数年ぶりに娘の言葉に従い、(ありがたいことに家族全員がわが体を案じてくれる、私は素直になってきた)健康診断のために病院に行ったのだが、血糖値が高いということで 、自らの生活を反省し、簡単な調理を試みている。

結果、どういうことになるのかが楽しみなので、しばらくの間、あらゆることを自制し、禁欲的に、生活してみようと自らに課しているのだが、3日坊主にならないように自らに戒めている。簡単調理は楽しい。小事をとにかく丁寧に生きる(ようにつとめたい)、母の命日に誓う。





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