行動半径が狭くなり、身近な世界の暮らしの中でかなりの充足が得られるようになってきたのには、あきらかにいい意味で老いてきたからだとの自覚がある。
オーバーに言えば、内面生活に重きを置いた暮らしに変化してきたというか、そのようにわが体はできているのだ、という感覚が深まって きている。内面との対話生活、それが愉しいのである。
お隣に頂いたお花 |
天上天下唯我独尊というが、この世にわが体はただ一つ、他者とは比較のしようもないし、する必要もない、見えない何かに突き動かされながら、わが体と意識を運び、何をするにせよ遊び心を見つける、今しかできない日々を送る。
話は変わる。昨夜NHKで人体誕生の、スペシャルドキュメントを、妻と共に心身とみた。いまだ謎に包まれた、緻密というしかない神の領域に迫る、最新情報映像研究分野の数々に見入った、そして驚いた。
当たり前のように感じることが、いかに当たり前ではなく、数々の言葉にならない、なしえない、いまだに解明されない複雑精妙な未知の細胞の情報伝達、受精後、驚くべき変化の果てに、生命体が、わずか10月10日で誕生するという、まさに神秘が、まさに最新最先端映像編集で知らされる。
つい最近孫に恵まれたばかりなので、いちだんと敬虔な面持ちで番組に見入った私である。まさにこの世に、わが体と共に命が在るということの何という、奇蹟的な不思議、そしてそれは70億以上の全世界の人々、天上天下唯我独尊、代わりのきかないかけがえのない命なのである。
この年齢まで生きられ、このような番組を見ることができて、いまだ厳粛で粛然たる面持ちになる私がいて、なにやら言うに言えぬ感覚が、わたしをして五十鈴川だよりを書かせる。
それは、一言でいえば、初孫を授かった有難さへの感謝である。春雨が森羅万象に降り注ぐ、万物が輝く、我あり愛でる、ありがたきかな。
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