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2019-02-13

67歳生誕日の朝に、ささやかに想う。

もうこの年齢になると、生誕日に関しては特別の感情は湧かないが、また一つ歳を重ねることができた感謝の念は深まる。

今夜は遊声塾のレッスンなので、昨夜ささやかに妻が祝ってくれた。まあ、なにはともあれ、今現在健康に動けてやりたいことができていることに関して、感謝のほかはない。

67歳といえば古希まであと3年、もし天変地異や大病などの大煩いがなければ、そのようなことになる。今は昔、超高齢化社会といわれているが、どこかぴんと来ない。

昨日、五十鈴川の上流のわがご先祖で出会った。同姓のあまりに素敵なたたずまいの老夫婦に出遭えたうれしさを、長めの五十鈴川だよりに書いた。その余韻がいまだ残っている。もし、無事に古希を迎えたならば、あのご夫婦ように老いてゆきたいとの念を強く持った。

そういう意味で、私にとって今回の帰省旅は、最高のお誕生日 プレゼントになった。

昨年は望晃くんの生誕の年であったが、来月には望晃くんが1歳になる。瞬く間に月日は流れ、望晃くんは歩き始める。

さて、今年はどのような年になってゆくのであろうか。旧正月も過ぎいよいよもって万物が春を感じ私自身も、いよいよもってこれからの人生時間を、業のようなものなのかもしれないが、できることなら、日々動ける身体に感謝しながら、有意義に過ごしたいと思うばかりである。

それと、これは老いた証拠だと思うが、一日一日の妻との時間を大切にしたいと思うのである。いつもそばに暮らしていると、どこか空気のような存在になりがちであるが、そうはなりたくない。(おのろけではない)

身近に、生誕を祝ってくれる存在があるということの何たる有難さ、をようやくにして沁みるように感じている。
甲斐寿氏がお書きになった故郷へのおもいあふるる御本

老いながらも、老いるからこそ、若いころには感じなかったことを感じ取れる、老いの感受性ををこそ養いたい、そのためにはどのように生きてゆけばいいのか。生活力なるものを、私なりに求めたいと念うのである。

うまく言えないが、声が出せなくなっても、弓が引けなくなっても、その先の行く末時間を見据えて、妻との時間をベースに大切に過ごしたいものである。

それにしても、今回のご先祖が暮らした土地への旅は、今後の私の行く末を照らしてくれるような気がしてならない。

今回出遭えた日高ご夫妻に感謝し、これからは 帰省の度に細宇納間の地を踏みしめ散策しながら、古希を目指したいと思う私である。

1 件のコメント:

  1. お誕生日おめでとうございます。いわゆる限界集落真っ只中��の私達。東京の息子宅から自宅に戻ると、日常以上に歳を感じたり、、。日高様のエネルギーをいただいて、私達もここにしかない、喜びを見つけて行きましょうか。

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